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同人α編集後記集

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 5月23日(金)09時20分37秒
  .

                      同人α編集後記集
                        2010年5月(23号)~2013(38号)





23号『蝶の夢』  2010/5

今回は、創刊号と同じ縦書きと成り、色々と新しいことを学びました。
原稿の集まりが心配だったけど、従来の平均以上の百頁超が得られてほっとしています。
今回は、飛び入りの原稿が一つありますが、その作者の正体は秘密です。
次回からは、また新同人が増えることを期待して、みんなで頑張りましょう。




24号 『夢碍无(むげん)』   2010/8

今回は、前号のオール・ド・エレガンスさんの「三つの願い」を承けて、新シリーズが始
まりました。その気宇のなんとまあ壮大なこと。一体誰が、こんなことを考えるんだろう。
この二作目を書き継ぐ人は誰なんだろう。何でも書けて面白い反面、辻褄合わせに相当苦
労しそうだなあ。




25号 『颯』   2010/11

 PCの不調をなだめつつ、やっと自分の原稿を書き上げました。
当初は、バラバラの項目をどう一つに纏めようかと呻吟していましたが
締切り間際に、今回のお題[風]にハッと気がついて、一気に纏め上げました。
お題提供の赤松さんに、感謝、感謝。
 さて、新人の加入です。新人と言っても私より2期上で、文章についても余程長けた方
ですが。
十月の二十三日、これまでは、四人で頑張りながら守って来たα同人に十一期の田辺悟朗
さんが、赤松さんのご縁で加入されました。
なにせ、大学在学中には「傾斜」、十五年前には「斜光」という同人誌を創始されたとい
う経験を お持ちの方だとか。今後のご活躍を期待いたします。
我々も、これでホッと一息つけそうです。
 引き続いて十一月四日に十一期の竹内一郎さんが、これまた赤松さんのご縁で加入され
ました。[風]という今号の題名と同じハンドルネームをお持ちです。
これからが、ますます楽しみになってきました。




26号 『仮面』   2011/2

 今回の原稿は、早めに準備したつもりだったのに、思わぬ仕事が舞い込んで時を奪われ
ました。矢っ張り、私がアンカーか。いや、そいつは違うって。ドンジリと言わなくっち
ゃ。赤松さんによると、どうやら26号のページ数は、過去最高に成るそうな。
 そろそろ電子ホッチキスが欲しいなあ。製本時に提案してみよう。何はともあれ、先ほ
ど二作目の原稿を仕上げて、ほっと一息。ゲラ刷りが来るまで、いや来た後も、思う存分
休めるぞ。




27号 『こんとん』   2011/5

今回は、大震災の影響で身の回りの整理に時間を取られ、大いに苦労しました。
おまけに、原稿最後の追い込み段階で、PCがツムジを曲げ、後半の数頁が宇宙の彼方に
飛んでいく災難まで有りました。やっぱり、この辺でPCの新調が必要なようです。




28号 『震災列島』   2011/8

 今回のテーマ「震災列島」は、私の文章中ではなく、図らずも期間中の実生活を支配す
ることになった。
というのも、カミサンが仕事で使っていた建物の躯体が震災の影響でひどく弱り、作業中
の安全のために旧宅を改修して新しい仕事場に変えるという作業に私も巻き込まれたため
作品にかける時間と精力とがえらく制限される結果になったからである。当然、原稿締切
り間際の人様の評や掲示板への書き込みが、おろそかになった。挙句、心配した友人から
は、病気見舞い?のメールを戴くという羽目になった。
 掲示板の管理人さん、評をお届けできなかった著者さん、御免なさい。
これから、ちゃんと埋め合わせをします。




29号 『兆』   2011/11

櫛田宮に思う

 肥前風土記によると、昔、基肆(きい)郡と神崎郡に荒ぶる神があり、往来の人が多数殺
害されたという。これは、徐福船団がもたらしたタタラ炉の暴発記事だろうというのが、
私の従来の推定だったが、今回縁あって、以前に触れた神崎の櫛田宮のことを[肥と筑]
に詳しく書くことに成った。

 この櫛田宮の大蛇祭り尾崎大神楽は、この肥前風土記の記事や周辺に残された様々な状
況証拠から見て尾崎地区に置かれたタタラ炉が暴発し流れ出た溶鉄を大蛇と見立てた安全
祈願祭であろうこと、モンゴル・宋・朝鮮の軍が来寇した元寇の際、櫛田宮から末社の博
多櫛田神社に神剣を移して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがあったこと、二度目の
来寇の弘安の役において、河野水軍の将、河野通有が博多沿岸で立てた武勲の恩賞として
与えられたのが、神崎荘の小崎(恐らくは尾崎の別表記)郷であったこと、時代は下った
幕末、再度来航予定のペリーの侵略を恐れた徳川幕府が、お台場に大砲百門を据え付けて
欲しいと佐賀藩に要請して来た時に、佐賀藩がそれに答え、一年間で五十門作って幕府に
提供できたのは佐賀の多布施に据えた反射炉で製鉄したからであること、などなど。

 基肆(きい)郡・神埼郡・佐賀郡と郡名こそ異なれ、有明海を通って来た徐福船団タタラ
技術者の影を見るようで佐賀という土地にまつわる縁(えにし)が、今もなお生きていると
いう思いを禁じ得ない。
ちなみに、私の本籍は櫛田宮と同じ神埼郡の吉野ヶ里町、櫛田宮の東北4km程の所にあ
る。




30号 『沈黙』   2012/1

今回も、肥と筑は神埼の櫛田宮が中心となった。佐高十一期の牟田元明さんから赤松さん
宛の書信に触発されたからである。この方の牟田家は、景行天皇を先祖に戴き、曾祖父ま
での先祖代々、櫛田宮宮司を勤められた由緒ある家柄なのだ。十一期の卒業三十周年記念
誌[青春のあの日]で、その会員名簿を見て更に驚いた。牟田さんの勤務先は昔で言えば
タタラ関係者の川崎製鉄、社員寮は福原京の故地神戸市、本籍は神埼の櫛田宮地内と、共
に平清盛の対宋貿易港の直ぐそばにある。更にその社員寮が、海人族の住吉神社の総本宮、
元住吉神社とは数百メートルの至近距離にある。牟田さんが持つ製鉄と貿易港への縁(え
にし)は単なる偶然ではなく、タタラ製鉄に巧みな海人族としての血の縁(えにし)と見て
良いのではないだろうか。




31号 『遊び』   2012/5

 [遊び]を自分なり定義し、人に読んで貰えるように書くのは、易しいようで難しい。
さてどうしよう。そうだ。今回αの号数は素数の三十一、これを利用しない手は無い。
と言うわけで、[肥と筑]前半は短歌中心に書き始めたけれど、難しそうな話になってし
まいました。
 後半は、源平の戦いの清和源氏を論じるつもりが、嵯峨天皇から出た嵯峨源氏が中心に
成りました。
 嵯峨源氏からは、大江山の鬼退治で有名な渡辺の綱の子孫の摂津の水軍渡辺党、分家の
肥前の水軍松浦党さらにその松浦党一族に支えられて神埼で武士と成った神埼御荘の荘官
源満末(みつすえ)という、佐賀・神埼に係わる武人が輩出しています。
その一方、貴族身分の嵯峨源氏には、光源氏のモデルに成った源融(とおる)や、和歌の名
手で且つ和名類聚抄まで著わした源順(したごう)と非常な文化人もいて、興味をそそられ
ます。
さらに、サカ・サガをキーワードにした探求の間に徐福船団・秦氏との関係が再浮上して
きました。
 矢っ張り佐賀と京都の嵯峨の関係は見逃せない。ということで、今後の検討課題も増え
てきそうです。
 それはそうと、今回の万理さんの表紙絵は[遊び]のテーマに沿ったイメージがよく表
現できてますね。




32号 『造次顚沛』   2012/8

 今回の原稿締切りは、何時になくきつかった。
何せ、我家では久しぶりの祝い事に加え、猛暑中での時差の大きいロンドンオリンピック
観戦があった。 当然、結果は慢性の寝不足になった。といっても、日中の大半は眠って
いたが。
 いやー、なでしこJAPANと侍ニッポンのサッカーは、良く頑張りましたねえ。
連続する戦いの中で、この両チームが見る見る成長して行く過程が見られて、実に楽しか
ったしこれぞ、ヒトのみが味わえる人生中の成長の典型的見本だと思った。
 異なる同人によるシリーズ作品については、従来の作品との整合性を重視してようやく
書き上げた。今まで書き継いでくれた人たち、アイデアと苦労の種をたっぷりと供給して
戴き、ありがとう。シリーズ中の作品は当然として、個人の作品中のアイディアをちゃっ
かり、利用させて貰いましたよ。




33号 『無常』   2012/11

 今年は、十月二十七日に佐賀で佐高十三回生の五十周年記念同窓会が開かれ、翌二十八
日には附中同期生の同窓会、またその後には仲間との五島列島への小旅行も開かれ、全て
参加してきました。
これらに先立つ二十六日には、六月に結婚した長男夫婦が吉野ヶ里町にある先祖代々の墓
のお参りに同行してくれました。
 と行事としては実り多き時期でしたが、その分原稿を書く身としては、なかなかにきつ
い時期でした。
 ところで、附中同窓生の資料を整理中に気がついたこと。
それは、我々が中学校では十一回生に当たるという事実でした。
どうやら、これからも素数との縁が猶も深まって行きそうです。




34号 『息吹』   2013/2

 今号のαは、私の担当として第何回目になるのか、と数えてみたら何と第四回目に当た
っていました。う―ん。これは多すぎる、なんとかしなければ。などと考えながら遅筆の
我が身にむち打って、なんとか一作品を書き上げました。
 対照的に早々と二作品を書き上げた万理さんは、今号のテ―マ[息吹]の表紙絵用に[息
吹]を形として表わした風に因む二枚の挿絵を描いてくれました。その出来が素晴らしか
ったので、一枚目鳳凰の画像を表紙絵に、二枚目風の精シルフの画像を作品中の挿絵に使
わせて貰いました。万理さん、どうも有り難う。




35号 『ラビリンス(迷宮)』   2013/5

 肥と筑と解深密経(げじんみつきょう)

 今回の肥と筑では、肥前鹿島の出身で真言宗中興の祖となった興教大師覚鑁(かくばん)
を取り上げた。
 覚鑁は京都の御室仁和寺で修学、その後高野山に入山したあと修行を重ね三八歳の時に
高野山内に住房としての密厳院を開いた。私事にわたるが、四〇年ほど前に仕事のついで
に高野山にお参りしたとき偶然泊まった宿坊が密厳院であった。このとき覚鑁に対する私
の眼に見えない縁(えにし)が顕在化し始めたのだろうか。
 覚鑁はこの後、金剛峯寺に大伝法院を建立し、その座主に就任した。さらに金剛峯寺座
主に就任のあと山内の僧侶に佛教学の基礎たる唯識を学ぶことを課した。唯識の依経は、
解深密経(げじんみつきょう)である。今回この経については、昭和五十年十月に永田文昌
堂発行で手持ちの解深密経(げじんみつきょう)講讃を参考としたが、その序文を読むと著
者の修山脩一(ながやましゅういち)師は佐賀出身で、龍谷大学の教職を辞して帰郷後、佐
賀龍谷短期大学で教鞭を執られたという。この佐賀龍谷短期大学は、今は鳥栖市に移転し
九州龍谷短期大学と改称しているが、当時は佐賀市水ヶ江にあった。それならば、私の通
った小学校の隣だったのだ。
 興味深いことに[龍谷]という名称を用いたのは、龍谷大学を頂点とする西本願寺の教
育組織の中で、佐賀龍谷短期大学の前身第五仏教中学が明治41年4月に私立龍谷中学と
改称したのが最初であり、龍谷大学は二二年あとの大正一一年に、佛教大学から改称した
ものだという。
 何とも不思議な縁が重なったものである。




36号 『言葉』   2013/8

 この夏は、とにかく暑い。暑いから日中は昼寝する。昼寝すれば筆は進まない。
日暮れていくぶん涼しくなっても、音楽を聴きたくなったり、読み残しの本を読みたくな
ったりと、書く材料は数多く有っても、それらを作中でテーマに繋いで行く脈絡を付ける
のに苦労しました。
 しかし、佐賀の県木の樟が、越人・海人族・古代の大型船・伊予水軍の河野氏を結びつ
けてくれました。どこかで誰かさんが、これを読んで「クスッ」と笑うだろうなあ。




37号 『古典』   2013/11
 連続した暑い日々が急に冬の日に取って代わられたこの頃で、一時期体調を崩していま
したが、原稿に一区切りを付けた段階となって漸く元気が出て来た感じです。
 今度の製本日は、またみんなで集まって楽しくやりましょう。製本用の新兵器も用意し
ましたよ。




38号 『心情風景』   2013/11

 現住地石岡市で、昨年度後期の市民講座「万葉恋歌講座」を受講した。
講師は、吉澤中正先生。足尾山頂の足尾神社の宮司を兼ねながら、石岡一高・土浦一高で
永年教えられた国語学者である。私とは同じ団地にお住まいの縁で、日頃色々とご教示を
戴いている。
 この講座で先生から万葉集について教わったことは正に目から鱗であり、今回のテーマ
[心情風景]のもとに「肥と筑]を書き上げる大きな力を戴いた。
 今更ながらであるが、日本古典の世界は広くまた高い。われわれは、この優れた遺産を
欠かすことなく子孫に伝えて行きたいものである。。。

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占 術

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 5月 9日(金)10時20分57秒
編集済
  .
                 占 術 




科学技術者であった氏が、三十代終わりに占星術の本を出していることを知りました。
科学と占術、一見すると相容れないようにも思えますが決してそうではないようです。
そこに何か共通する根っこ/世界があるようにも思えます。
肥と筑の中では主に、プログラマーである芳賀に占術について語らせます。
掲示板書き込み以外に作品の中からも取り上げました。(編集部)





相続形態の例外と周易

 「話を相続問題に戻すと、高嗣の指摘のように古代における相続は、中間子の叔が受け
持った。ところが高嗣が言ったように、この相続形態に明白な例外がある。それは周王朝
と江南の呉だ。
 例外となった問題の人物は、周王朝の始祖で文王と贈り名された西伯昌と、文王の伯父
で江南の呉の始祖となった呉太白の二人だ。ただし、呉太白は自分の子孫を残していない
から、通常の意味の始祖には当てはまらない。
 この周王朝の初期において明白な例外が生じた理由を、誰か説明できるかな。」

 ここで、和昭の友人の芳賀信行が話に加わった。本業はプログラマーだが、趣味で占術
をこなすという変わった人物である。

「はい、司馬遷の著した史記によると、後に文王と呼ばれた西伯昌の父親は、周部族の
族長で、実名を季歴、贈り名を公季または王季といいます。名前から明らかなように末子
です。江南の呉を建国した呉太伯と虞仲の兄弟は、王季の長兄と次兄なので、文王から見
て伯父つまり父親の兄に当たります。虞仲は、仲雍とも呼ばれました。
 実は周部族は、陝西(せんせい)省で農業を営んでいましたが、もともとは騎馬民族出
身と推定できます。季歴のような末子相続は、騎馬民族の習慣だったらしいですね。
季歴も末子だったので父の後を嗣ぎます。これに先立って呉太伯と虞仲は、江南の池に移
り住んで、その土地の住民の頭首となりました。これが呉の始まりです。
 季歴の死後、その子の西伯昌つまり文王が後を嗣ぎます。文王は、当時の中央政権の殷
の紂王に危険視され幽閉されるんですが、この幽閉期間中に、周易中の後天八卦の注釈、
いわゆる説卦伝を作ったという伝説があります。」
「すみません。『しゅうえき』とか『こうてんはっか』ていうのは何ですか。」と清香。

「夜の街頭で見かける筮竹を両手で捌いて占う人が易者、その占いの原典となっているの
が易経で、周の文王が大成したと言う理由で、ふつう周易と呼ばれています。筮竹を使っ
て占うようになったのは、騎馬民族が占いに柳の枝を使っていた名残のようです。周以前
の占いは、亀の甲羅や牛・鹿の肩胛骨に占う内容の文字を刻んだあと焼け火箸を当てて、
割れ方から吉凶を見る、いわゆる甲骨占が正式の方法でした。
八卦は森羅万象を八つに区分するシンボルと思って下さい。易占いではこの八卦を上下
に重ねた六十四卦が基本になっています。ところで、八卦の森羅万象への割り当て方法に
は早期に成立した先天八卦と、後期恐らくは周易成立時に出来た後天八卦とが有ります。
説卦伝というのは、この八卦に対する文王流の解釈です。従って、先天八卦と後天八卦の
違いは、周以前の一般的習慣と周の習慣の差を反映しているはずなんです。」
「よく分かりました。」

「この後天八卦の配置で面白いのは、相続を象徴する東北の部分に、末男を示す艮卦(ご
んか)が配当されている事です。つまり騎馬民族の末子相続の習慣が、文王の編集した周
易に織り込まれています。
一方、易の先天八卦では、相続を象徴する東北の部分には、長男を示す震卦(しんか)が
配当されているんです。これは、周以前の相続形態を示していると考えられます。」
「うまい。その通りだ。周易の先天八卦・後天八卦と結びつけての相続方法の説明は、非
常に明快だ。」と英夫。
「ちょっと待って下さい。当時の一般的相続者は、中間子の仲・叔だったはずです。先天
八卦で相続の象徴する部分に長男が配当されたという話とは、矛盾しませんか。」と高嗣。

「もっともな疑問だ。これは、相続において宗教上の相続を重視するか、血統上の相続を
重視するかの問題なんだ。
 古代の一般的相続で、最も重視されたのは宗教的相続であり、それは伯が受け持った。
騎馬民族の相続では、最も重視されたのは武力的相続であり、それは季が受け持ったと言
うわけだ。シャーマンの家は、族長家とは別に存在したんだ。」
「肥と筑 第一回」より   2007/5





占星術と龍・蛇・蠍

★占星術と九星における龍蛇と鳥の共存:
これは、一見すると偶然の関係に見えますが、やっぱり根っこでは密教に繋がっている関
係だと思います。

★私は蠍だ。何か関係あるのだろうか:
 Horoscopeで、天蠍宮に太陽か上昇点がある人は、精力が強く集中力もあるので、目標
を一点に絞ると成功しやすい特性が有ります。
肥と筑十二回のお答えの5 より  2010/3/31





春分点

★数千年前の星座の位置を特定:
春分点の移動は、昔から占星術で論じられてきました。この移動は、地球の自転軸が黄道
面に対し2万6千年弱という時間を掛けて首を振る事から起きる現象で、それ自体はごく
単純な計算で求められます。ただし、星座を形作る恒星群は、太陽系から十分離れている
ために恒星間の相互位置は、固定されていると近似しています。
それでも、黄道12星座の境界線がどこに有ると見なすかで、春分点が星座に入る時期が
変わってくるのです。
肥と筑 第十四 回感想その2へのお答え より  2010/10/2





五大と六大

五大とは、インド人の見方による世界の五つの要素(地水火風空)を言う。
この内、地水火風の四大の概念は、アラム文明で発生したもので占星術でも使用される。
最後の空大は、空気ではなく虚空を現わすインド独特の概念である。
これらの五大は、自然界では、ブーミー(地)・ウルミー(水)・ラスミー(火)・マルタ
(風)・アーカーシャ(虚空)とも呼ばれ、空間の要素を記述する。

さらに佛教では、この五大以外の要素として識大というものを立て、六大とする。
識大は、表面の五識・第六意識・第七マナス・第八アーラヤ識までを含む意識であるが、
第七マナスは、時間の観念も内包する特別な存在である。
人の意識は、この識大の働きによって起こる。
むげん君はいつから「自分」になったのか:合評 より  2010/10/23





風と唯識・占術

コーヒーを飲みながら、芳賀信行が話し出した。
「いや、驚いたなあ。今日も雲呑(わんたん)の雲の後に、宇宙生成の風が出てきましたね。
雲と言えば、夏王朝とアーラヤ識を連想するし、
風と言えば、殷王朝や占星術の黄道十二宮中の風性の宮、宝瓶宮・双児宮・天秤宮の三つ
を連想します。
風性は、知識・知性の象徴なので、この風性三宮はアーラヤ識から表面意識が生まれて来
る三段階の象徴とも言えるし、占星術では、個人がある現象と出会う後天運の時期を定め
る仕組の象徴でもあるんです」
「えー、なになに、占星術なの。すごい。面白そうね。さっきの話で、が痛くなってると
ころだから、芳賀さんの話は解りやすく説明して頂戴な」
コーヒーカップ片手に、清香が叫んだので、思わず皆が笑い出した。

「そうですか。今食べているケーキのように、出来るだけ柔らかく、また甘く説明して見
ましょう。占星術では、固体・液体・プラズマ・気体の象徴である地・水・火・風の四大
を立てますが、佛教で説く識大も空大も、明らかには立てません。それでは、佛教の識大
はこの四大の何に含まれるのでしょうか。実は、識大は風大に含まれます。風は、遠くま
で吹き渡るので、通信・伝達・知識を意味するのです。この時の仕組は、響子さんと二人
で考えました」

【風性三宮と意識の転変】
「ふむ、ふむ。お二人さん、相変わらず仲良くやってますね」と清香。
「止めなさいよ。折角の芳賀さんの面白い話が聞けなくなりますよ」と顔を赤らめた響子。
「ホイ、しまった。しばらくは、口にチャックよね」
周りで、クスクス笑いが聞こえる中、芳賀が澄ました顔で続けた。

「さて、さっきの宝瓶宮・双児宮・天秤宮という風性三宮が、それぞれ持っている意味の
差が問題です。私たちが得た結論では、風性三宮のそれぞれが、次のように識大の各層に
当て嵌まります。すなわち、宝瓶宮は第八アーラヤ識に、双児宮は第七マナスに、天秤宮
は、第六意識に当たります。実は、この風性三宮は意識の転変の順序を表わす三つ組なの
ですが、意識の転変とは、次のような仕組で起こります。
先ず、深層意識である第八アーラヤ識中の複数の種子(しゆじ)が、ある時間が経つと縁
により自我の元である第七マナスに捕捉され、第六意識として表面化します。マナスは、
複数種子(しゆじ)が登場する謂わば舞台なのです。人は、表面化した第六意識に基づい
て種々の判断と行動を行ない、その結果として善悪の業を作ります。
今度は、その業が、第八アーラヤ識中に種子(しゆじ)となって植え付けられます。これは
意識の循環または周回の仕組ですが、アーラヤ識中の種子の中味は、瞬間毎に変わってい
きます。そこで、この唯識で説く意識の転変という見方から、風性三宮の唯識配当を見直
して見ましょう。

【風性三宮の唯識配当】
・宝瓶宮は、保守の働きを持ち知識の元である第八アーラヤ識を保ちます。
 宝瓶は、アーラヤ識という種子(しゆじ)を容れておく容器の象徴なのです。
・双児宮は、異なる物を取り持つ働きを持ち、複数のアーラヤ識を捕捉し受け入れるマナ
 スです。カストルとポルックスの二人は、異父・同母の双児とされ異質で複数の識を受
 け入れる象徴なのです。
・天秤宮は、マナスが受け入れた複数の識を結合、従来の知識・経験と照合して判断を下
 します。天秤は、対象の善悪判断をするだけでなく、価値判断・識別等を行なう働きの
 象徴なのです。
以上は、風性三宮を、人の意識の転変もしくは周回の機構として、唯識的に説明しました。
なお、占星術に興味をお持ちなら、解説本付きの非常に優秀なフリーソフトが有ります」

【風性三宮と命運】
「次に、これら風性三宮を、運命学的に検討してみましょう。
人の一生を占う運命学は、先天命と後天運の二つから成ります。この二つを併せて命運と
も呼びます。先天命とは、人が生まれたときに定まっている大きな枠組みであり、基本的
には変化しません。ただし、佛教では人の心掛け次第で、先天命も後天運も改善できると
見ています。
後天運とは、人が先天命として持っている善悪・苦楽の因子が何時発現するかという運気
のことであり、通常は、ゆっくりと変化する長運気と、早く変化する短運気の組み合わせ
で詳しい時期を見ます。
例えば、長運気は、占星術では進行、四柱推命では大運と呼び
    短運気は、占星術では経過、四柱推命では流年と呼びます」
「じゃあ、風性三宮と命運との関係は、どうなってるんですか」と清香。

「はい、それをこれから表を使って示します。
実は、唯識のアーラヤ識・マナス・意識という三つ組は、先に述べたように風性三宮と良
く対応します。この関係を使って二人で結論づけたのが、次の表です。最後に密教の曼陀
羅の対応も追加しました。
 風性三宮    八識    命運  曼陀羅
 宝瓶宮(不動宮):アーラヤ識:先天命:種子(しゆじ)曼陀羅
 双児宮(柔軟宮):マナス  :後天運:三昧耶(さんまや)曼陀羅
 天秤宮(活動宮):意識   :選択運:法曼陀羅と羯磨(かつま)曼陀羅

【選択運】
この表は、じっくり眺めれば納得して貰えるでしょうが、一つだけ大事なことを補足して
おきましょう。
それは、天秤宮に対応する命運を、選択運とした部分です。
実は、通常の命運学では、選択運と言う言葉は有りません。人の運命は、先天命と後天運
とによりおおよそ決められるとする場合が殆どです。
しかし、実際の人の運命は、その人の心掛け次第で変わるものです。つまり、目の前に幾
つかの選択肢が有る場合、そのどれを取るかの選択は、その人の将来にとって非常に大き
な力を持つことが有ります。実際ある著名な占星術師は、人の命運の鑑定に先だち、客の
心掛けに関し、ある事を質問するそうです。何故かというと、その条件を満たしている客
については、大きな凶事は起こらないというのです。私自身、それほど多数の鑑定をこな
したわけでは有りませんが、実際有りそうなことだとは思いますね」
同人α27号「肥と筑 第十七回」コーヒーブレイク中の会話:芳賀信行 より  2011/5





ケンタウロス

 所で、ヒッタイトが騎馬民族だったのに対し、ギリシア人が馬に乗るようになったのは、
ずっと後の話です。その証拠に、ギリシア神話に登場する半人半馬形の賢人ケンタウロス
は東方の騎馬民族と戦ったギリシア人が、彼らの騎乗の姿に驚いて彼らを擬人化したもの
だと考えられています。
ケンタウロスは、ギリシア人と敵対する反面、彼らに色々な事も教えてくれた民族でした。
例えば、クロノスとピリュラーの息子ケイローンは、医学の祖であり、アポローンの息子
で医術の神となったアスクレーピオスや、アキレウスなどの英雄を教育した不死の賢者で
す。
 ちなみに、占星術の人馬宮(射手座)の像は、このケンタウロスの姿から来ていますが、
人馬宮(射手座)は、知的活動のシンボルなのです。
このケンタウロスとヒッタイトの関係が詳しく解明できると、きっと面白いでしょうね。
肥と筑 第十八回 評の4の答え   より2011/10/15





無意識と占術/応用

★兆:響子
「ところで、さっき話に出た兆(きざし)って、何に由来する言葉なんでしょうか」と信行。
響子が承けた。
「日本語の[きざし]は、多分[気指す]から来てると思います。[気]は、目には見え
ないけれど何となく感じる一種の雰囲気であり[指す]は、ある事柄に先んじてやって来
ることね。噂をすれば影が指すという場合の[指す]の用法と同じでしょうね。
 一方、漢字の兆は、殷代の甲骨占に使われた亀甲が、火箸を当てられ割れた形の象形文
字です。亀甲といっても、この場合は、背中側の盛り上がった部分ではなく、腹側の平ら
な部分を用いています。
[兆]の字形は、いかにも亀甲が火箸の熱でひび割れて亀裂が走った跡みたいに見えるで
しょう」
「あ、そうなんだ。ひび割れを示す亀裂って言葉は、そこから来てるんですか。知らなか
った」と信行。

「そうよ。もう一つ面白い字は、占いの[卜]の字です。これもまた、火箸の熱で出来た
亀甲の割れめの象形文字なのね。も一つおまけに面白いのは、火箸を当てるとポクっと音
がして亀甲が割れる。その時のポクっという音が、[卜]字の音になっているそうです」
「響子さんの話は、すごく解りやすくて面白いな。もっと詳しく話して下さい」と信行。

「いいえ。私の[兆]字や[卜]字についての話は、大きな辞書を見れば、すぐに解るこ
となんです。芳賀さんこそ、よそでは絶対に聴けない貴方独自の占術と無意識との話を聴
かせて」と響子。

★占術における兆・無意識と意識の捕らえ方:信行
「それでは、ご要望に応えて、私が考えていることを話して見ます。
兆を唯識的に捕らえて見ると、深層のアーラヤ識と表面意識、つまり無意識と意識の狭間
で、チラチラと現われてくる表象を指します。これを占いの対象と見る場合、表象の現れ
方には、相と数との二つの型が有ります。相とは具象的な姿形で、人相・手相・家相など
の相という名が付く占術の判断材料となります。一方、数とは抽象的な分類で、干支術・
方位術・占星術などのデータとなるものです」
「具象的な姿形の相と、抽象的な分類の数について、もっと解りやすく説明して」清香が
突っ込んだ。

「はい、吉兆と凶兆とに分けて、例を挙げて説明しましょう。具象的な相の吉兆とは、折
々の好ましい姿形、例えば屋外で紫雲が棚引いたり、その一帯だけに雲間から日の光が射
したり、などの現象です。具象的な相の凶兆とは、世間でゲンが悪いと言われている現象、
例えば正月に門松が倒れたり、旅立ちの直後に葬列に出会ったり、極端な場合として魔物
や幽霊などに出会ったりする現象です。魔物や幽霊などの極端な凶兆は、犬や猫などの動
物でもそれと感知し防御しようとします。魔物や幽霊などは昔の人間なら感知できても、
直感が鈍い現代人では、なかなか感知出来ないでしょう。
 次に、抽象的な数の吉兆・凶兆は物事をいくつかに分類する数やシンボルと成って現わ
れます。吉凶はその時現われるシンボルまたは複数のシンボルの組み合わせによって判断
します。シンボルの例としては東洋占術の五行・干支・易卦、占星術の惑星・黄道十二宮、
タローカードなどが有ります。
占者は、出会った現象を直接数として、あるいはシンボルとして認識できます。例えば田
舎道で出会った猪の子のウリ坊の数とか危うく衝突しそうになったスポーツカーの車のナ
ンバーなどは直接数として認識できますし、猪の子は五行の水、スポーツカーは九宮中の
震宮とシンボルとして認識もできます。
このようなシンボルの意味を知り、兆が暗示する過去・現在・未来の事象を判断し適切に
処理するのが、数型の占術です。このような数型の占術による判断と処理とは、言葉を持
つことで抽象概念を持てるようになった人類だけが持つ能力です。このように、言葉を持
つ人類はシンボルを用いる数型占術という武器を得ましたが、その代償として他の動物が
持つ直感力を弱めてしまったのです」
「なーるほど、そういうわけね。でも聴いてるだけで私の抽象的思考力は、使い果たされ
そう」と清香。「なに言ってるんだ。それは多少でも思考力のある奴がいう台詞さ。ほと
んど直感だけで成り立っているお前がいう台詞じゃないよ」と高嗣。
「こいつめ、おぼえてろ。いつかお仕置きをしてやる」と清香(さやか)。
「芳賀さん、いつものことよ。気にしないで続けてちょうだい」と響子。

「はい。それでは、この数型と相型という二つの占術の型には、どのような特徴が有るの
でしょうか。
 数型占術は、思考と分析に優る人に向いており、予め一定の知識を身につければ、誰で
もある一定水準の判断が可能です。もちろん、その水準を超え、より上に行くには、日頃
の修練と長年の経験が必要です。この数型占術のうちで、占星術や干支術の持つ大きな特
徴は、過去・現在・未来の長期間にわたる占断が出来ること、更にそのためのデータは、
大抵の場合計算で求まるので、プログラム化が可能なことです。易占やタローカード等の
占いでも、適切に発生させた乱数を使えば、プログラム化可能です。
 相型占術は、直感の優れた人に向いています。これも達人の域に達するには、長年の修
練が必要です」
「それじゃあ、芳賀さんは、数型と相型のどっちに向いているの」と智美。
「はは、そんなこと決まってるじゃないか。今の体系的な説明は、彼の能力が分析面にお
いて優れていることを明確に示しているよ。和昭に聞いたら、芳賀君の得意分野は占星術
と干支術だそうだね」と英夫。

「はい。私は元々プログラマーなので、占星術と干支術についての独自システムを作って
実占に活用しています。しかし、相型占術では対象の数が膨大でパターン化が難しくプロ
グラム化は困難です」と信行。

「いや、コーヒーブレイクとしては、かなり時間を取ったが、なかなか面白い話だった。
みんなどうだ。このまま、芳賀君に話を続けて貰おうか」
英夫の提案に皆が賛成し、茶菓を片付けたあと、後半に移った。

◆占術の応用:信行
★周易八卦と九宮
「それでは、数型占術の代表的例として周王朝の文王が大成したという周易を考えて見ま
しょう。
周易の基本である八分類、いわゆる八卦(はつか)には、先天八卦と後天八卦の二つがあり
ます。詳しい説明は省きますが、先天八卦は文王以前の分類です。 後天八卦は元々騎馬
民族出身の文王が導入した西方文化の影響、具体的には騎馬民族文化とインド文化の影響
が入っています。この後天八卦以外にも筮竹を用いる周易の占筮法は、殷代の甲骨占に代
わる物として文王が導入した騎馬民族の文化です。
 さて、この後天八卦が、後代になって干支術と結びつくときには、八方位に配当された
八卦の中央に、中宮と呼ばれる新区分が加わえられて全体で九宮となります。この九宮に
配置される数は、日本では気学九星と呼ばれています。その九星の数の配置は、5を中央
に置くインドの魔方陣の考え方そのものですし九星に当てる紫白と呼ぶ色の配置も、中国
の五行分類とは異質で、明らかにインド文化の導入です。
★九宮を用いる占術とマナス
 さて、占術に戻って見ましょう。占術とは、兆をいかに捕らえ、それをどう解釈するか
という技法です。
 それでは、先天八卦では意識されていなかった中宮が新たに加えられたのは、何故でし
ょうか。
大胆な仮説ですが、私はこの中宮は外界を見る個々人の心、およびその心が置かれた部位
を示していると思います。この場合、中宮の回りの八宮は、人の心が見る外界、および人
の手足その他の部位と成ります。

 それでは、唯識的にみて中宮に収まる心とは何なのか。私は、この心をマナスと見まし
た。マナスは、通常外界からの刺激に染められ善にも悪にも傾き易い心ですが、それでも
個々人の心の働きの中心部分で有ることには間違いありません。
 要するに、九宮を用いる占術の場合、中宮は人の心、唯識で言うマナスです。それ以外
の八宮は、外界で起こってくる色々な現象、見方を変えれば色々な選択肢です。
人は、色々な選択肢中のいずれを選ぶかで、その時々の進行方向を決めているのです。
 この構造を、密教的に置き換えて見れば、中宮と回りの八宮とは、浄化された心と人を
含む回りの環境であると見る事が出来ます。
金剛界曼陀羅の基本である九分割構造は、今言った心と外界の全てが浄化された九宮の構
造にピッタリと当て嵌まるのです。その他にも・・・」

そこに、清香(さやか)が割り込んだ。
「待って、あたしにも少し言わせてよ。九宮に類似した九分割構造は、金剛界曼陀羅だけ
じゃあなくて、胎蔵曼陀羅にもあるんです」
「ほほう。確かにその通りだけれど、どうしてそう思ったのかね」と英夫。
「前に、父さんが指摘した通り、胎蔵曼陀羅は座禅中の修行者の正面図を、密教的に表わ
したものです。その中央部には、修行者の心の象徴でもあるアナハタ・チャクラが、中央
の大日如来とその回りを囲んでいる八人の佛・菩薩の形で描かれています。
さっきの芳賀さんの分類に従って言うと、金剛界曼陀羅は数型の曼陀羅であり、胎蔵曼陀
羅は相型の曼陀羅なんです」
「そう、その通りだ。金剛界曼陀羅では、専ら意識の分類を試みているのに対して、胎蔵
曼陀羅では、身体位についても興味を払っていて、ヨーガが説く体の構造も暗示的に描か
れている。心臓部位にあたるアナハタ・チャクラに人の心があると見ているのも、その考
え方の現われだね。
あ、芳賀君。話を中断して悪かったね。先を続けて呉れたまえ」と英夫。

★マナスの出会いと三昧耶曼陀羅
「はい。先ず人の意識は、密教ではどう表現されているのでしょうか。
意識は、大まかに四層に分けた、四種曼陀羅で表わされます。
これらを深層意識がわから並べると
 アーラヤ識は種字で表わした法曼陀羅で、
 マナスは三昧耶形(さんまやぎよう)で表わした三昧耶曼陀羅で
 第六意識は平面の姿形で表わした大曼陀羅で、
 その他の前五識は立体像で表わした羯磨曼陀羅でそれぞれ表わされます。

それでは、運命で言う出会いは、曼陀羅構造では、どう表現するのでしょうか。
自我意識の拠り所たるマナスが出会う外界の選択肢は、三昧耶曼陀羅中の八分枝によって
わされます。
実は、三昧耶の原語SAMAYAには[出会い・出会いの場]と[時間]という意味があります。
これを占術的に言えば、四柱推命の大運と流年運、占星術のDIRECTIONとCURRENTな
どの組み合わせ、つまり各人が持っている因としてのアーラヤ識が、縁によって現象界に
発現する時期に当たります。

要するに、複数の選択肢が象徴により表示されている三昧耶曼陀羅は、外界との出会いで
あり、また時の流れでもあります。人が、この複数の選択肢から何を選択するかが、その
後の運命を左右します。

★奇門遁甲による選択と改運
 今言ったように、三昧耶曼陀羅の九分割構造は、人の心が外界と出会う際の選択肢を示
していると見ることが出来ます。占術としては、最適の選択をどの時期にどう取って行く
かという判断が可能な仕組を、この九分割構造で構築すれば良い訳です。実は、それにピ
ッタリなのが、奇門遁甲です。奇門遁甲では、九つの宮に入る要素を何層も重ねる構造を
持ち、外界で起きる複雑な現象を示すのに向いています。
運命を定式化し、人の運気を見る四柱推命や算命との相性が良いことも、奇門遁甲の長所
です。ただし、遁甲盤は、年月日時という時間規模や用途によって色々な種類があり、詳
細はここでは省きます」

「それでは、一つ質問。例えば奇門遁甲が示す選択肢の中で、常に最適の選択を積み重ね
ていけば、人の運命はどこまでも改善されるの」と清香。

「常に最適の選択を積み重ねることが可能であれば、そうなる筈です。しかし、実際には
それを邪魔する業の力が働くために、常に最適の選択を積み重ねることは、先ず不可能で
す。最適の選択を、出来るだけ多く取れるようにするためには、邪魔になる業を取り除く
それなりの修行が必要となります。
それについては、響子さんに訊いて下さい」
肥と筑 第十九回 コーヒーブレイク中の会話:無意識と占術:芳賀信行と響子 2011/11





占星術

 少し、説明を補足しておきます。真面目な話です。
 占星術は、天体の動きが、その時々刻々に誕生或いは発生した人や物が持つ命・運の間
に並行的な対比を持っているという経験則に基づく占術です。命は誕生の瞬間に生地で見
える星の配置で決まる先天的な大枠ですが、運は誕生後に一定の比率で実際よりゆっくり
と変化する仮想的な星の動きと、実時間で変化する星の動きが誕生時の星の配置との間に
織りなす関係で定まる廻り合わせです。元と成るデータは星の実測位置なので一意的に定
まり、流派によってその値が変ることはありません。過去から未来に渡って星の位置の予
測データ表が作られて販売されています。
 これに対し、干支系の占星術は基本的に60変化する干支が年月日時のそれぞれに配当
されて動く構造を持っていて、季節あるいは時刻による寒暖の変化を基盤としています。
干支あるいはこれから導き出される星は仮想的なもので有り、流派によっては差が生じま
す。
あした天気になーれ・第五回を読んで より2011/12/11





青銅と錫

芳賀信行が手を挙げた。
「はい、その問題については少し調べたことがあります。青銅は、銅と錫との合金です。
そのうちの銅は比較的簡単に見つかりますが、錫は銅に比べて稀少な金属であり、青銅器
時代には貴重品でした。
ところで、占星術で星に対する金属の割り当てを調べて見ると、次のようになります。
  黄金:太陽  白銀:月  水銀:水星  銅:金星  鉄:火星  錫:木星
   鉛:土星

 占星術で最大吉星である木星は、現代では別に貴金属ではない錫が割り当てられていま
す。これは何故でしょうか。この割り当ては、占星術の基礎が作られた時代を反映してい
ます。つまり当時知られていた日月火水木金土の七曜に、同じく当時知られていた金属を
割り当てるという基礎作業の中で、その当時は貴重品であった錫を、吉星であった木星に
割り当てたからであると考えられます。このことは、占星術の基礎が青銅器時代に築かれ
たということを示しています。
 ついでに、日本における銅について振り返って見ましょう。
日本の銅器は銅鐸・銅矛から始まりますが、その技術は中国江南の銅鼓から受け継がれて
来たものです。因みに、南方を意味する[南]と言う字で南の方位を示すのは、元もと南
方に住む苗族の釣り鐘型の銅鼓[南]・[南任(なんじん)]からきています。
つまり[南]字で南の方位を示すのは、転注なんです。

 日本最初の銅銭としては、和銅元年(西暦七0八)年に武蔵で取れた銅を元にして作ら
れた和同開珎が知られています。年号にまでなった和銅とは大和の銅という意味ではなく、
熟銅つまり純度が高く精錬を要しない自然銅のことです。
 ところで、日本での銅の生産量は戦国期以降に大きく増えて、銅が日本の主要な輸出品
となりました。中国の銅生産量は逆にこのころから急速に減少したため、銅は日本からの
輸出に頼るように成りました。江戸時代に日本が輸出した良質な寛永通宝は、ヴェトナム
を含む東南アジアで従来の中国製銅銭に取って代わる基軸通貨となっていました。現在の
ヴェトナムの通貨単位[ドン]は、当時流通し始めた銅銭の[銅]から来ているそうです」
 同人α33号 「肥と筑第二十三回」 より2012/11





地球はどのような金属を割り当てられているのか:

 伝統的占星術では、地球への金属割り当てはありません。
それは、どうしてか。占星術が起こった時期の太陽系は天動説を基盤としていたからです。
つまり、地球は飽くまで動かぬ大地であり、いわゆる星の仲間ではなかったのです。
とはいえ、時代と共に天王星・海王星・冥王星が発見されると、それぞれ
  天王星:ウラニウム ラジウム
  海王星:ネプチュニウム
  冥王星:プルトニウム
などと新しい割り当ても出てきました。
これらに倣えば、地球の金属はさしづめ希土類元素とでも成るのでしょう。
肥と筑台二十三回の評へのお答え  より 2012/12/25

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 言葉 言語 翻訳2

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月29日(火)15時37分10秒
編集済
  .


              言葉 言語 翻訳 2011-2012




  言葉、言語、そして翻訳に触れる文章が多く見られます。
  歴史ひもときは文献に当たることが中心になりますから、氏にとって、まず
  言葉を正確に知ることが大前提になって当然です。
  ひもといていった持論(推論)を文字で残す作業もまた、「正確な表記」へと
  繋がります。
  日本語に訳された資料に対して敏感になるのも、当然の結果なのでしょう。





肥と筑 第十六回:評のお答えより   2011/ 3/21
注)★評者

★丸々4年の間、登場家族は年を取らないのに作者は年を取る:
  なるほど、指摘されてみればその通りです。
それでは、時間経過の倍率は実際にどうなっているのか、調べてみました。
勉強会は、毎週日曜日の開催なので、年に52回有る事になります。これを出版回数の年
に4回で割るとな、なんと13倍でした。
作者は、登場家族の13倍の早さで年を取っております。全然気がつかなかったなあ。

★作者は検証しまくり自分の目で真実を見ようとする:
  言われてみれば、検証好きですね。しかも、大方は白川静博士の[字通]に頼ってい
ます。どうしてこうなったのか。
白川博士の本の内、東洋文庫・講談社学術文庫・中公文庫などで出版された物は、α入会
以前から興味が有って所有していましたが[字通]は高価でなかなか手が出ませんでした。
しかしα入会の頃に、長男が何かのお祝いとして贈ってくれました。
同じ頃、赤松さんの文章中に、東京を引き払い鹿島に帰る際に在京の友人から餞別とし
て[字通]を贈られたと言う逸話を読んだことが有り、その不思議な暗合に驚いた記憶が
有ります。

★言葉と文・字を持つ人類はきっとこれ(福島の原発事故)をきっかけに大いに考え始め
るでしょう。:
  同感です。願わくは日本人の鋭気と努力で速やかに現在の危機的事態が沈静化せんこ
とを。

★漢字の音読み・訓読みの意味:
  この両方の読みを持っていることこそが、日本人の漢字学習を容易にしている理由で
す。以前、肥と筑で書きましたが、漢字を音訓両方の読みで覚えることは、英語国民がラ
テン語の単語を常に英語の意味と一緒に覚えるのと同じ作業をしているのです。言葉を二
つの側面から学習することは、一見迂遠なように見えて、実は記憶をより強固で確実にす
る効果があるのです。

★水戸家の蔭紋:
  ひょっとすると、葵紋ではあっても、双葉の葵では有りませんか。
だとすると、それは徳川家康の本当の先祖の紋であって正しく蔭紋ですね。

★「雲」は夏王朝の隠れ姓、「風」は殷王朝の隠れ姓:
  日本の蔭紋からの類推ですね。遠い先祖を示すという意味では確かに蔭紋と共通性が
有りそうです。これをより解りやすく言えば
 「雲」は夏王朝を含んだより広い範囲の民族の通姓
 「風」は因王朝を含んだより広い範囲の民族の通姓
と言うように考えています。
つまり、姒や羋は、雲姓の夏民族中の各部族の姓であると思います。

★神農炎帝が焼き畑の神様:
  焼き畑の「畑」字は、日本で作った所謂国字ですが、その由来は漢語の「火田(焼き
畑)」に有ります。同様に「畠」字も国字であり、その由来は漢語の「白田(水田)」に
有ります。面白いですね。

★「羋」「姒」などの普段みたこともない漢字が漢字第3水準のなかにある理由:
  仰有る通り、中国の古代史に出てくるからだと思います。
同様な例として、唐に先立つ国名の「隋」も、滅多に使わないのに漢字第2水準の中に含
まれて居ます。





肥と筑 第十六回:評のお答えの2 より  2011/ 3/22

★得意分野の技術をもった集団に神が降りてくる:
 そう。技術を共通にする集団には、その集団なりに、アーラヤ識への固有の窓を持って
いるんでしょうね。
降臨する神とは、この窓を通って発現するのだと思います。

★コーヒーブレイクでは26号お題「仮面」がブレイクします:
 私は、この「仮面」から[夏]王朝を連想したのですが、これを調べていくと夏民族の
通性は[云]姓、
つまり[雲]姓であると推定出来たわけです。
また単にこれだけに止まらず
 1)この[雲]と25号の題であり殷王朝の通性と推定した[風]とが、それぞれのト
ーテムたる龍と
   鳳とに結びついている一対の概念であること
 2)[雲]と[風]とは、25号の肥と筑のコーヒーブレイク中で、後藤家の父母であ
る一対の男女が、
   その好む詩の中で無意識に取り上げた一対の言葉であること
の2点に気がつきました。
25号と26号の題は、私の意志とは無関係に選ばれたにも拘わらず、自然とこのよう
な暗合に導かれた
ことが、実に不思議です。

★神ではないけれど祈りを通じてシャーマンになる:
 祈りとは、言葉を介して共通した思いを集中できる所の人間という存在にだけできる行
為だと思います。それだけ、言葉には強い力があるんですね。





双数と言語
「三点セット:評の3」より   2011/4/17

   今なお続く余震による船酔い症状と、家の片付けとに追われ、なかなか時間が取れま
せん。
★3は最初の複数?
 著者は、三点セットという言葉から、トルコで印象深かった三つの飲料に触れています。
これについて思い出すことは、アラビア語文法には双数という概念が有ることです。ほか
にアジアの言語では、ヴェトナム語と関係あると見られる南アジアのモンクメール語、イ
ンドのムンダ語にも双数が残っています。印欧語系にも昔は広く分布していたようですが、
今ではケルト系のスコットランド・ゲール語やウェールズ語、それにスロベニア語やソル
ブ語などの少数派言語に残って居るのみです。
 この双数概念は、本来目や耳などの一対の物を表わす形であり、このような言語では所
謂複数とは3から始まります。つまり、3は多様性の始まりとも言えるわけです。
著者が触れているように、オスマン帝国ではアラビア語やペルシャ語の影響が強いのです
がアラビア語では現在も、ペルシャ語ではその古形に於いて双数が存在するので、この双
数の最初の対立概念としての3が、オスマン帝国で特別の意味を持っていたのかも知れま
せん。





ケルト語と古代ローマ語
三点セット:評の4   2011/ 4/17

★アナトリアとトロイ
 トロイの遺跡は、アナトリア西端に有り、その始まりは西暦前3000年頃とされていま
す。
ホメロスが「オデッセイア」で、ギリシアとの戦いを描いたトロイは下から数えて第7層
の「第Ⅶa市(西暦前1275~1240年)」に当たると言われています。
 あくまで伝説ですが、イタリア半島にローマを建国したのはこの時ギリシアに滅ぼされ
たトロイ人の子孫という話もあります。もしこれが本当だとすればトロイの東北のビザン
チン(現イスタンブール)に都を置く東ローマ帝国が出来たのは、先祖返りかも知れませ
んね。
また、ケルト族の伝説の王アーサーの先祖はトロイから渡ってきたという伝説もあります。
ケルト族のアーサー王の先祖が、トロイからイギリスへ渡ってきた中継地が、もしローマ
であったなら、ケルト語と古代ローマ語との類似性が見事に説明できます。





色認識と言語
馬上少年過ぐ、あるいは黄昏:評 より  2011/ 6/11

   文中一番気になった箇所の「人間の色認識」について私なりの感想を。

これは、著者が職場で設計開発したテレビカメラの色再現に関連して出て来る問題である。
色認識について、著者は言う。
「人間の色認識というのは実に心理現象であり、物理的実体と必ずしも対応していない。
また色認識というものはかなりルーズで、大部分において自分が記憶している色像があり、
それにより判断している。・・・
たとえば、晴天の屋外での色と白熱電灯で照明室内での色は、本当は相当に違うのである
が、人は同じ色と認識している」と。
つまり、著者は「人は色について先入観を持ち、それによって判断している」と言うこと
を物理現象に即して解説している。

これを見て驚いたのは、これが唯識が説く人の認識論と実に見事に対応しているからであ
る。

考えてみると、ブラウン管または液晶の色再現としては、緑青赤の三原色が使われてきた
が実は、世界各地における古語の基本的色名は意外に少なく、しかも必ずしもこの緑青赤
とはピッタリ同じではない。(例えば、日本の古語では赤黒白青の四色が基本色であった)
これは、民族により基本色が受け持つ色範囲が少しずつずれている、つまり基本的色認識
に係わる先入観には差があることが言語面からも解ると言うことであって、人の脳内にお
ける色認識は、一体どういう仕組になっているのだろうと、最終的にはそこまで興味が広
がっていくのである。





肥と筑 第十七回:評のお礼の4 より  2011/ 7/14

★ある家庭の・・・かなり教養指数の高い人々による勉強会というありえない設定:
 これは以前にも、他の読者から指摘を受けたことがあります。
確かにそうでしょうが、この設定は私に取っては必須なのです。
というのも、私のこの一連の作品は本質的には「論」だと思っています。
 その目的は、毎回幾つかの歴史的・民族的・宗教的または言語的謎を系統的に解き明か
しこれに対する反論と再反論つまり想定問答を複数の視点で行なうことなのです。
(この論証でも漏れた部分は、読者からの質問に対する説明として補っています。)
このため、作品中に各分野に強い人物を想定し、このような集まりを設定したわけです。
同じ「論」でも、作者一人が全ての論証を行なう場合に較べ、登場人物一人一人の個性が
浮かび出るため、幾分かでも読みやすくなっていると思います。





人の像をした美しい青い地球:評の3   2011/ 9/14

   家族旅行で、またもや評の3が遅れてしまい、神野さんの合評御礼まで出てしまいま
した。 九月九日も過ぎ、六菖十菊の嫌いは有りますが、ままよと眼をつぶって出すこと
にします。

[「人の像をした美しい青い地球」はまだ世界を知らない]  について
1~5のいずれも、恐いか恐ろしいという言葉を含む文章で始まるのは、今号のテーマた
る震災列島に係わるものでしょう。
文章表現を見る限り、この節の主人公「人の像をした美しい青い地球」は、著者が持つ純
で初心な内面を示しているように読めました。

 と、ここまで書くと、赤松さんの評の意図にまたもや反することになりそうです。
そこでは比喩の持つ効用が、作者の巧みな表現を成り立たせる要素として説かれていて
「神野さんのこの作に対して解析・分析の類を加えるのは的外れである」
という趣旨が述べられています。
確かに、それは尤もな批判だし、私も何時も私の分析偏重に対して反省しています。これ
は一種の職業病で、なかなか直りません。
 しかし、以前にも書いたことが有りますが、分析という作業そのものが比喩という作業
と大きな基盤を共有しているのも事実です。
ここでは、事のついでに再度そのことについて私の考えを述べてみたいと思います。

★言葉と連想
 連想は、言葉の力を基にした意識の共有という人類に特有な作業であり、ほかの動物で
は(多分イルカでも)この作業は不可能でしょう。
★連想の和と積:比喩と分析
 連想は、意識範囲の拡大と縮小とのいずれにおいても、人が自然に用いています。
 範囲の拡大は、複数の言葉のいずれかで象徴される対象の和(集合の和です)を用い
  範囲の縮小は、複数の言葉のすべてで象徴される対象の積(集合の積です)を用いま
  す。
 敢えて単純化すると、前者が比喩・後者が分析と言えるでしょう。





「肥と筑 第十八回 のお答え より  2011/10/15

★周とトルコ族
万理さんの評中に[滅亡時のヒッタイトの移動]と有りますが、アナトリア半島を中心に
存在した古代ヒッタイト王国の民族は、その言語から印欧系の民族です。
一方、私がヒッタイトの製鉄技術を受け継いで東アジアに東遷したと見ているトルコ族は、
アルタイ語族の言語を話すアジア系の民族であり、ヒッタイトの民族とは無関係です。
ただし、トルコ族の四頭立ての重戦車[駟]も、ヒッタイトから受け継いだ物でしょう。
トルコ族の周は、この重戦車の[駟]で、二頭立て戦車からなる殷の軍勢を破ったのです。





言語と文字表記
窓辺にて-そして、それから:評   2012/6/17

★言語と文字表記
水村美苗の著書をきっかけに著者の持論が展開される。
そこで挙げられるのは
  文化・伝統を文字表記にすることの意味
 日本語の漢字仮名交じりの表記の持つ意味
 日本古来の多彩な色彩名称(もちろん鈍色も中間色としてその中に入る)
 後々まで残る書かれた文章に対する校正の重要性
 母国語の習得の重要性
などであり、いずれも評者の年来の意見とも符合していて意を強くした。





[知恵]と[智慧]
心にあるよしなしごと:評の1より   2012/7/1

★忘れぬ内に未校正の誤植を挙げておきます。(→の右が本来有るべき表示です。)
 注意はしたつもりですが、校正が行き届かなくて申し訳ありません。
p69、 5行 限界もなく→眼界もなく
p69、 8行 阿耨多羅のルビ「とくあのくたら」→「あのくたら」
p69、11行 般羅掲帝の般羅のルビ「ぱら」→「はら」
p69、11行 般羅僧掲帝の般羅のルビ「ぱんら」→「はら」

★佛の知恵と今の日本で通用している知恵は異なる
仰有る通りです。ただし、中国では佛の[チヱ:般若]を翻訳する際に伝統的に[般若]
でなければ[智慧]と漢訳しています。日本佛教でも、世間知を示す[知恵]と佛の[智
慧]とは区別して用いてきました。
異文化間の言語翻訳の困難さは、日中で共に意識されていたようですね。





「クルアーンの翻訳について」より 2012/7/6

「心にあるよしなしごと」-評3(完)の文中、「イスラームでも(翻訳による布教とい
う) 同じ努力がなされてきたのでしょう」とありますが、実はイスラームの経典クルア
ーンは、他の言語に翻訳して布教することが禁止されているのです。
(ただし、布教を目的としない翻訳はあり、日本語訳も存在します。)
つまり、イスラームでは、世界中何処に行ってもモスク内で用いられるクルアーンの文章
は共通であり、翻訳による誤解は生じないようになっています。

アラビア語には、非常に広い地域に渡る国・地方・民族それぞれに異なる方言アンミーヤ
が存在しますが、一方ではイスラーム圏共通の文章語フスハー(日本語では文語に当たる)
がこのクルアーンの文章を基礎として生まれました。





[肥と筑」の評へのお答え より   2012/12/25

 貴重なご意見と評とを戴き、ありがとうございました。
★肥前と肥後の間に筑後が割り込んだ形になっている位置関係の不思議::
 何故このような事が起きたのかについては、以前作品中で軽く触れました。
私の意見としては、今の河北省にあった孤竹国とその隣国の肥如国は、血族からも元々密
接な関係に有り、日本へも同時期に渡来した両国が筑と肥の基になったものと思います。
当然、両者の居住地域も入り組んだ構造があり得たし、そのことが筑後川という北九州の
大きな航路沿いの住民分布にも反映されたのではないでしょうか。なお、邪馬台国のヤマ
ということば、孤竹と近しかった山戎のことばトルコ語のヤマに由来しています。
 古事記によるとイザナキ・イザナミの国生みで生まれた九州の通名は、筑紫の島です
が、筑紫の筑は、元々倭人同様に南方系であった孤竹国の竹から来ています。
筑紫の島には筑紫の国・豊の国・肥の国・熊曽の国がありました。この名付け方からみ
ても初期の九州においては筑紫が支配的だったことが解ります。

★【異国人の受け入れ】
 縄文人と弥生系海人族つまり倭人とは、いわゆる異国人だったのでしょうか。彼らは全
く別の言語を話していたのでしょうか。確かに骨格や頭蓋骨の形状からは両者には差異が
あることが指摘されています。
 しかし、これとは別に、稲作技術からみて両者の通話は意外に簡単にできたのではない
かと思っています。
と言うのも、岡山県で六千年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)のプラント・オパールが次々
に発見され、縄文人が稲作を知っていたことが解っているからです。
 稲作は、江南地方から伝来した技術であるとみられていますが、この技術を伝えた民族
は、苗族や倭人に近い越族だったとすると、縄文人も海人族が話す倭人の言葉を解した可
能性があります。
す。

63

 

著者前書き集2/讃集

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月28日(月)15時31分8秒
  .

            著者前書き集2/讃集
                                 2010(23号)-2011(28号)




       新しい掲示板開設とともに、2009年末に氏の協力を得て、作成中であっ
       たブログ「著者のポートレートとコメント集」が同人α23号よりスター
       トした。
       旅先での花、著者、そして相方の姿もまたみずみずしい。(編集部)




『しんき郎とかげ郎』 23号
 2010/6/6

          


高野路明子氏の肖像

 筆名の高野路明子は、共作者二人を表わしますが、その由来は、胡蝶の夢の話を載せる
「荘子」中の藐姑射(はこや)山の話に有るそうです。
本来は二人の写真を載せるべきですが、共作の二人は共に正体を隠したいので、代わりに
彼等にゆかりの杏とトルコギキョウの花の画像を送ると言って来ました。
杏とトルコギキョウの色は、紅と紫です。 一体、どんな二人なのでしょうか。
 この作品は10年以上前、富山県魚津市の観光振興用の懸賞小説に対し応募した作品と
言う事ですが、結果は外れだったそうです。
情景の半分を外国に置いたのでは、懸賞の趣旨を外したと見られたのでしょうね。





『肥と筑 第十三回』 23号
 2010/8/1

          

7月23日の午前に、庭の百合カサ・ブランカ(白い館)と一緒に撮った写真です。
ちょうど暑い盛りで、いささかバテ気味ですね。

えっ、暑い中、これを読まされる方が、余っ程バテてしまうって。ごもっともです。





『三島の一遍上人』 24号
 2010/8/27

          

著者「明石曉典」の紹介

この作品は、10年前の秋に作り、某所へ応募した時のものです。
明石曉典はその際の筆名で、長岡曉生には、7年先行しています。
今にして思うと、筆名も作品の内容も堅すぎますね。
曉典と曉生に共通の[曉]は万葉集105番の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌、

  我が背子を 大和へやると 小夜更けて
    あかとき露に 我立ちぬれし

のあかとき(曉)が、心に染みて付けた字です。

写真は、福島の吾妻小富士山腹にある白濁の秘湯、鷲倉温泉を夫婦二人で日帰りで訪れた
8月14日に撮りました。
何となくやつれて見えるのは、直前に湯あたりしたせいです。




『肥と筑 第十四回』 24号
 2010/9/25

          

長岡曉生 賛

実に物知りな人である。それも古今東西に渡る。全てこつこつと自分で検証し積み上げて
きたもの。だから生半可な批判、反論は、理路整然と反駁される。しかもきちんと丁寧な
理由をつけて。見事である。それだけ本気なのだ。調べ上げた自信があるのだ。感情抜き
の反駁には理科系ならではの爽やかさがある。

そんな彼を気難しく思う人もいるかもしれない。作品もしかり。それは読み込んでいない
からだと思う。調べ上げた基礎を元に推論を進める。そこが歴史小説としての面白さにな
っていることに気付く。
気難しい表の顔の裏はユーモア溢れる遊び人でもある。ともに「彼」である。もう一つ付
け加えなければならない。彼は理系でありながら哲学をする占い師でもある。写真の顔は
どこかしら養老孟司に似ていると感じるのは私だけであろうか。

写真は台風明けの9月25日撮影 理系哲学者遊び人の姿。
古賀由子





『肥と筑 第十五回』 25号
 2010/12/6

          

上の写真は、11月27日から、次女夫婦・嫁家先のご両親・我々夫婦の6人で、日光湯元
温泉に一泊に行った際、JR日光駅で撮ったものです。
駅舎は、大正元年に建てられたという建物で、なかなか風格が有りました。
夫婦で興味を持って周りを撮っていると、駅舎内の観光案内の女性がわざわざ立ってきて
二人の写真を撮ってくれました。観光地の応対はさすがに違うなあと感じ入りました。

下の写真は、12月2日に地元のフラワーパークを訪れた際に、ピンクのサザンカの花が
色・形ともに見事に咲いていたので撮ったものです。
サザンカは、佐賀市の市花でした。その縁で、我が家にも紅白一本ずつ植えています。





『肥と筑 第十六回』 26号
 2011/3/14

          

長岡曉生 讃

この人に聞けば何でも教えて貰える。とりわけ歴史は強いようです。私と真逆の「考える
人」は工夫も好きで、多分このタイプは孤島でも生き抜く力を持ち供えているのではない
かと思います。記憶力、本人は大分落ちたと言うけれどなんのなんの私の方が病的区域に
入り込もうとしているくらいです。若い頃は何でもかんでも海馬に押し込めることができ
ましたが。

この歴史小説は彼の記憶力と理系力と推理力とそしてもう一つ何か力が働いて続けてこれ
てきたのかと思います。歴史に疎い私が歴史をもう一度紐解こうと思わせてくれました。
そして近頃では何を言いたいのかほんの少し判るような気がしています。

写真左端が長岡氏、いかにも記憶と論理と推理ともう一つの何かをおもちのような表情で
す。
2011年2月の撮影です。3月11日の大地震でしばらく消息不明でしたが、持ち前の創意
工夫で真っ暗な中生き抜いたようです。
   万理久利





無限回廊 第三回 26号
 2011/4/14

            

長岡曉生さん 讃   認識No.17 エヴァ マリー ゼノン

紅顔の美青年、**中年なのか。これは同人α17号、拘りの作品「肥と筑」の7回
に提出のもの。な かなかの男前です。ピントの合わないカメラの具合にすぎないの
でしょうか。
17号の時私はいなかったけれど、「α」の歴史探索でお目にかかった。あの難しい
肥と筑を書く人はどなたかとわくわくしたものです。今とどう繋がるか、目と鼻でし
ょう。あの探る目と嗅ぎつけようとする鼻、手元の本は(書類)は検証資料にちがい
ありません。春画、春本の可能性もあります。もちろん研究、検証資料としてです。
知的好奇心のまま、論理にもとずく解き明かし、そしてホロスコープの世界までにど
んどん進んでいきます。今のお姿はそれなりに歴史を重ねなかなかのものになってい
るのでしょう。
今回の作品無限回廊第三回ではまた別な一面、可能性を感じました。やはりあの「目」
は、もっと先を見ていたのかもしれません。

※今回の震災被害地にお住まいのようです。大地震の揺れでつい目の玉をうっかり落
としたとか、以来揺れる度に目が落ちそうになり、写真の手配もつかないということ
で不詳エヴァが書かせていただきました。
※17は縁の深い数字です。たまたま思い起こした写真にたどりつきましたら17号
でした。これでキマリでした。作品キャラはNo.13「頭脳監察官」です。これもまた
なかなかの姿です。冊子にその姿が紹介されています。





『肥と筑 第十七回』 27号
 2011/7/4

 

 二つ画像を並べてみました。
左側の一つは、昭和37年春3月の高校卒業写真からの複写(9kB)
右側の一つは、平成23年夏6月の中学同窓会の写真(956kB)

 較べてみると
高校卒業写真は、坊主頭からそろそろ髪を伸ばし始めようという状態
同窓会の写真は、寄る年波から否応なしに坊主頭に回帰し始めた状態

やはり頭部の骨格は、どことなく似ていますね。
 当たり前じゃ。





『肥と筑  第十八回』 28号
 2011/10/3

          

 写真は、今年の9月11日夫婦で信州の七味温泉に行った際に、途中の草津白根山で撮
ったものです。青白色の美しい水を湛えた火口湖を見ようと思って行ったのに、今は噴火
の危険があると言うことで火口湖を望める登山路は閉鎖されていて、残念な思いでした。
 画像は、手持ちカメラの焦点ボケか、本人のボケか、又はその両方の効果によるのか、
いずれにしても、パットとしない仕上がりです。
 それにしても、今年の後半は、8月初旬に甲州の昇仙峡へ日帰り旅行、9月中旬に信州
の七味温泉に1泊旅行、9月下旬に出雲へ2泊旅行。10月上旬に山形の湯ノ沢温泉に1
泊旅行予定、10月中旬に佐高13期の同期会主宰で8月に行ったばかりの昇仙峡へ1泊
旅行予定、と正に旅行続きで大忙しです。
 幸い、出雲旅行では思わぬ縁により、次回「肥と筑」の執筆に役立つ重要な情報が得ら
れるという好運に恵まれました。
?

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言葉 言語 翻訳

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月27日(日)19時44分0秒
編集済
  .


              言葉 言語 翻訳 2010




  言葉、言語、そして翻訳に触れる文章が多く見られます。
  歴史ひもときは文献に当たることが中心になりますから、氏にとって、まず
  言葉を正確に知ることが大前提になって当然です。
  ひもといていった持論(推論)を文字で残す作業もまた、「正確な表記」へと
  繋がります。
  日本語に訳された資料に対して敏感になるのも、当然の結果なのでしょう。





あかとき  2010/3/21

あかときは、明時という意味の上代語です。
その読みは平安時代以降、あかつき(曉)へと変化しました。

この言葉が出て来る有名な歌には、万葉集105番が有ります。
その作者の伊勢神宮の斎宮の大伯皇女(おおくのひめみこ)が、自分を尋ねてきた弟の大
津皇子が大和へ帰るのを、夜半から朝まで去りがてに見送り、朝露に濡れるまで立ってい
た、という情景を描いた、悲しくも美しい歌です。
 我が背子(せこ)を 大和へ遣ると さ夜ふけて
                 曉(あかとき)露に われ立ち濡れぬ
この場合の背子は、弟である大津皇子を指しています。

我が名の選択も、一つはこの歌が心の底に有った故だ、と思います。





甘露(アムリタ)
「肥と筑のお答え」より 2010/3/31 4/1

★軍荼利明王に関わる修行法は、どんなものだろうか:
 この明王の真言中には、アムリタ(甘露)と言う言葉があり、クンダリニーの力がサハ
スラーラに及んだときに起きる或る現象を暗示しています。

★アムリタ(甘露)と言う言葉:
 アムリタ(甘露)は、インドのヴェーダ聖典ではソーマと呼ばれ、イランのゾロアスタ
ー教ではハオマと呼ばれる精妙な飲み物です。
北欧神話の蜜酒、ギリシア神話のネクタルにも対応しています。
 法華経には[甘露の雨が降り注ぐ]と言う表現が有りますがいずれも、修行を重ねて得
られる大脳内部の特別な変容を指しているものでしょう。





「言葉」「文章」
「肥と筑第十二回 お答えを読んで」より  2010/4/2

私は、人が優しい心を持ち自分と異なる存在にも同情出来るのは、人が言葉を持ったこと
に有ると思います。
言葉は対象を抽象化する力があります。人はこの力を持つ事により他人と、或いは異種の
動物と、同じ思いを共有することが出来ます。
同じようなことが、例えばライオンとシマウマとの間に起こるとは考えられません。





龍とドラゴン
「肥と筑第十二回をよんで-その1へのお答え」より  2010/4/6

★龍についての東洋と西洋の違い
 実は、ヨーロッパのドラゴンとインドのナーガまた中国の龍とは、その成り立ちからし
て全く違います。
後者二つは、宗教的側面を本来的に持つか、あるいは宗教的側面を佛典の影響で付加され
て行った存在です。
ところが、ヨーロッパのドラゴンは、世俗的な存在に過ぎません。
 これは、例えばアーサー王やその父親のユーサー王の称号の由来を調べてみると、直ぐ
に解ることです。ですから、ヨーロッパのドラゴンを割り当てられたヨハネの黙示録の生
き物を竜(黙示録では、龍より古い字形の竜を用いています)と日本語訳したこと自体が、
致命的な間違いなのです。この訳語[竜]は、明治期にバイブルを日本語訳した誰かが割
り当てたのでしょうが、当人はその間違いに気がつかなかったのです。
 何故か。
 宗教の原典を翻訳した典型的な例として漢訳佛典を考えてみます。
中国にもたらされた梵語(一部はパーリ語)の佛典を漢語に訳する際に、その作業にはイ
ンド側でも中国側でも、当時の最高の知性を持つ人たちが当たっています。
それゆえ例えば、佛陀や菩薩・羅漢などのインド固有の概念で有り漢語中には対応概念が
欠けている言葉は無理に漢訳せず、そのまま音訳すると言う間違いのない方法を取ってい
るのです。
これに対して、ヨーロッパのドラゴンを竜と訳したことは、当時の訳者の致命的過誤だっ
たわけです。
ドラゴンは、ドラゴンと言う言葉のままに据え置き、無理に訳する べきでは無かったの
です。
 ある文化圏の文献を別の文化圏の言葉へと翻訳する作業を、読者に誤解を与えることな
く達成するのは、細心の注意を要することだと私は、考えます。
因みに、イスラムのクラーンは、アラビア語で記述されていますがこれを他言語に翻訳し
て教典とすることは、禁止されています。

★ドラゴンはキリスト教(ヨハネの黙示録)では悪魔を指す言葉
 いわゆるキリスト教徒は、ドラゴンに限らず、異教の神や教祖を、全て悪魔的存在であ
ると決めつけている事は、ご存じですか。
 一方、イスラームでは、ユダヤ教徒・キリスト教徒を、旧約のバイブルを共有する啓典
の民として、その領域内で保護していました。
ムスリムが、旧約の預言者やイェシュアを悪魔的存在とすることは全く有りません。
しかし、キリスト教徒はイスラームの預言者ムハンマドについて、どういう表現を加えて
いるのでしょうか。
 これについては、例えばダンテの神曲の地獄篇第28歌を見れば、直ぐに解ります。
なお、ゲド戦記中のドラゴンは、全てが悪魔的な存在とはされて居らず、むしろケルト神
話でのドラゴンに近い存在だと思ったのは、私の僻目でしょうか。





スワ スハ スハウ ツクハ
「肥と筑第十二回の補足」より 2010/4/15

地名[筑]の東遷について、前回書き漏らした分の補足をします。
◆タタラ技術者の東遷:筑の国と周防・諏訪・筑波
周防・諏訪の古音が、筑波と近かったと言う前提の下に書きます。
その詳しい根拠は、肥と筑の第七回を見て下さい。

★諏訪(スハ:長野県)
 長野の南部は、諏訪郡(諏方郡)です。
所が、長野の中部には筑摩(チクマ)郡が有り、東部には佐久郡が有ります。その佐久郡
を流れているのは千曲(チクマ)川です。
その音は、筑後川の古名の筑間(チクマ)川と共通です。
 スハの[ハ:古音PA]・チクマの[マ:MA]・筑波の[BA]は、ともに唇音で、容易
に相互転換しますが、全て、空間・場所という意味を持っています。これら[PA・MA・BA]
は、漢語の[方]と同根の言葉かも知れません。なぜなら、漢語の[方]は、鬼方・龍方
・土方等のように、中央から遠く離れた少数民族の住む場所を指す場合に、使われていた
からです。

★周防(古音はスハウ:山口県東部)
 [防]は、もちろん上記の[方]に通じます。
周防には、冶金に強い出雲族の痕跡を示す地名が残っています。

先ず佐波郡
周防の国府、防府から佐波川を少し遡った徳地町(今は山口市内)
には、周防二宮の出雲神社が、有りました。
次に吉敷郡
防府の西には、阿知須町(今は山口市内)が有りました。アヂスは大国主命の子のアヂス
キ高彦の名前にも存在し、その意味は小型の鴨です。周知のように鴨族は、出雲族の分か
れです。
また鋳銭司村(今は山口市内)には、鋳銭司が有りました。これは古代の貨幣鋳造所です
が、周防の鋳銭司は全国の鋳銭司中最も長く貨幣の鋳造が行われ、平安時代の820年代か
ら950年にかけては、唯一の貨幣鋳造所だったそうです。

★筑波(ツクハ:茨城県)
 筑波山は、香取神宮・鹿島神宮が両側を固める利根川の下流から、霞ヶ浦に入り、さら
に西北に進んだ所にあります。その二つの峰の頂きには、イザナギ・イザナミの夫妻神が
まつられています。
 古事記神話によると、女神イザナミが亡くなったのは火神カグツチを生んだ際に、ホト
を焼かれて死んだからとされています。
ところが、谷有二氏の「日本山岳伝承の謎(未来社)」p218では、ホトとは[火処(ほと)]
つまりタタラ製鉄用の炉を指していると言いますが、このタタラ製鉄の最後では、毎回タ
タラ炉を壊して、鉄を取り出す必要が有ります。
 これから見て、火神カグツチの誕生によるイザナミの死というのは、正にタタラによる
製鉄の際に避けられないタタラ炉の破壊を指していると見ることが出来るのです。





「中国神秘数字」より   2010/4/15

★二と三
 中国では、いわゆる参天両地に通ずる世界観ですね。
言語の世界では、単数と複数の他に、双数を持つ言語が過去に有り現在にも、一部そのよ
うな言語が残っています。このような場合、その言語での複数は、3以上を指すことにな
ります。
 つまり、1・2および3以上の、3つの数のグループが有ります。
現在も双数が有る言語の代表例としては、アラビア語、スロヴェニア語、ケルト語系のス
コットランドのゲール語・ウェールズ語・ブリトン語等が、知られています。
 過去に双数を有した言語には、古代インド語(梵語)・古代ペルシア語・古典ギリシア
語・古代スラブ語などが有ったそうです。
梵語の教科書を最初に見たとき、この双数についての記述が有ったので、習得しようとす
る意欲が直ちに失せたのを憶えています。
記憶力の有る若い時に頑張っておくべきだったなあと、今更ながら後悔しています。

★八と発
 中国では、八は発に通じて大変めでたい数字なので、自動車のナンバーの8888番は、
高値で取引されるとか。
 発財は、たしか金持ちに成ることでしたね。
日本の自動車メーカー[ダイハツ]は、大阪発動機に由来しますが略して[大発]なので、
非常にめでたい名前と言うことでした。





理科系で、言葉に興味を持つ人
「藤原正彦の著書」より   2010/4/20

この人の著書は、我が家の本棚に3册有ります。
(3册、ちゃんと読んだのかい? そ、それは、余り追求しないで。)
買った順から言うと
  1.古風堂々数学者:講談社
  2.祖国とは国語:新潮文庫
  3.国家の品格:新潮新書
です。
改めて、3.の著者紹介を見ると昭和18年と私と同年生まれだから
きっと同学年で、教養学部時代は、どこかで逢っていたんでしょうね。

ちなみに、ロボット工学の糸川英夫博士にも
「えっ!糸川英夫が万葉集にいどむ」:同文書院という著書があり
理科系で、言葉に興味を持つ人は、それほど珍しくも無いみたいです。





『言葉集め星創り五拾番』より参拾壱番 天の川を飲んだ:合評  より 2010/5/28

★言葉集め
著者は、人には推し量れぬ量の読書中から、無作為にこれらの言葉を集めてきたのであろ
うか。それとも、有る意図を持って過去の読書の中から選択したのであろうか。
回が変わる度に、その基準が微妙に変わってきていると思う。

★星創り
「星」とは、文章を創る際の核を意味しているのであろう。
著者は、この核を創るため、アナグラムや誤変換、さらに通常は一緒に成りがたい反対概
念の合体などを試みているように見える。

★思考と脈絡
 人が自分の思考を人に伝えようとする際、その考えを言葉の連なりにより、脈絡を持た
せて表現する。
 佛教では、これを語業(ごごう)あるいは口業(くごう)と言う。
この場合、これらの連なる言葉は、その人固有の記憶の海中、言い換えれば深層意識中か
ら選ばれるが一種の霊感によって言葉がわき出てくる場合は、とうぜん選ばれる範囲が当
人固有の範囲より広くなる。
この言葉の海の中から、当人のふるいを通して選ばれた物だけが表面意識に浮かび出てく
るわけだが、それでは、この選択過程はどのようになされるのか。

この過程を、唯識的に説くと
1.外界の刺激を五感(及び第六感)が受け、これに見合う複数の意識が候補としてわき
出てくる。このように刺激を受けて自分の周りにわき出た心の働きを、依他起性(えたき
しょう)という。

2.この複数の意識に対して、過去の自分の経験や好悪の感情によって心の中に埋め込ま
れた先入観のふるいが適用され、当人がその場で最も適当と思った選択がなされ、表面意
識の言葉に変わる。
このように外界の刺激を自分なりに解釈して自分の言葉によって表面意識で解釈しようと
する心の働きを偏計所執性(へんげしょしゅうしょう)という。
通常この表面意識の解釈は、前後の脈絡がつくような形で行われる。

★著者の作の難解さ
今なぜ、唯識などを持ち出してきたのか。
それは、著者の今までの作品の難解さは
  記憶の海中の言葉の群れ
  刺激に依ってわき起こる依他起性の意識を表わす複数の意識の断片
という二種類が大部分を占めていて、表面意識による脈絡有る解釈が困難なためである。

と、何でも理屈付けて解釈しようとするのは、私の悪い癖かも知れない。
でも、表面意識で統合されていない夢の中は、多数の意識の断片が脈絡無く出てくること
が結構あるし、何だか、この作品の場合と似ていると思いませんか。





「三つの願い 幻の続編その1:合評の2」より   2010/6/29

★自分の文章の記録
 先に読書対象の本と、これに見合う読解力を願った主人公は、読書により絶望の淵から
立ち上がる。
 次に願ったのは、自分の文章を過去の全言語で記録するためのコンピュータとレコーダ
ーであった。
 著者は、口に出した言葉の威力やこれに基づく安心感を重要視している。
そう、人にとっては、言葉が重要なのだ。

★蓄積した文章
 仙人のようなバード・ブレインは、人類の歴史、宗教、生活、習慣、伝統など全部飲み込んだ状態にまでいたる。言葉の力により彼は生き返る。
時々大きな声で、万葉集・シェイクスピアを唄う。
つまり、時が来たら飲み込んだ知識の一部を出力するのだ。

★人類の知識の総まとめ
 究極的に、バード・ブレインは、物理的肉体を持たず、人類のあらゆる知識を飲み込み、これを蓄積し、さらに時に応じて、その一部を出力する機能をもつ精神的存在へと、変身する。
 著者が意図したか否かに関わらず、ここで述べられたこの精神的存在は、唯識で言うアーラヤ識の考えと実に見事に対応しており、驚くばかりである。





意志の伝達方法:合評 より 2010/7/29

★ヘレン・ケラー
 著者は、前書き中に、ヘレン・ケラーとサリヴァンを取り上げている。。
サリヴァンが、視覚と聴覚に障害を負った少女ヘレンの世界を開いた最初の手段は何か。
それは触覚を用いて言葉の入り口へと誘い、少女の心の中に、豊かで広い世界を伝えるこ
とだった。
 言葉は、人の意志を伝達すると共に、人の想像の世界を広げ、維持し、次代へ伝える働
きを持っている。

★石川九楊
 著者に刺激されて、辞典の横で長い間積ん読状態(といっても縦置きだけど)だった「書
字ノススメ」を開いて見た。奥付から見て、この本は七年以上眠っていたことになる。
(買ってきたら、直ぐに読めよ)
 書家である筆者が、筆触という切り口から広げた色々な話題の中に、白川静博士の業績
についてのつぎの面白い意見を見つけた。
 白川博士の学説は、数万片の甲骨文資料の一字ずつを書き写す作業を通じて、互いの僅
かな差を分別する事によって生まれた、というのである。
確かに、サリヴァンによるヘレン・ケラーの人格蘇生の場面においても、触覚がその糸口
と成っていたし生物の感覚は、先ず触覚から始まるという。
 私の場合、写経の筆触は、触覚の洗練に役立って居るであろうか。
と思うのは、矢っ張り不謹慎ですよね。





登場人物の命名
「無限回廊 第一回:合評の1」  より 2010/9/17

合評とは言えないけれど、最初に、登場人物のこれからに関して勝手に思いつくままに書
こう。
★ザイン
第23号[てふの夢]の正篇・続篇に登場したザイン。
彼は、Aladdinのランプの魔法の精の兄弟分見たいで、面白そうだ。
第24号[むげん]の今回は、出番が無くその行方がちょっと気になる。
第25号で、もう一度登場して欲しい。

★バードとエヴァ
エヴァの出身は、ヴェトナムだとか。
それならば、二人の前身として、後漢に抗して戦ったヴェトナムの英雄、詩索(ティ・サ
ック)=バード、徴側(チュン・チャック)=エヴァという夫婦に、ピッタリ嵌りそうだ。
それにしても、詩索とは、さすがに凄い名前である。

★サカエ・ル・カミノ
試みに、この名前の区切り方をちょっと変えて、サカ・エル・カミノとしてみよう。
すると、サカ(日本語)もエル(アラム語)もカミ(東アジア共通)も全て、神を指す
言葉と成る。神様の言葉、言葉の神様なのだ。

★グレイ
それで、これからのグレイはどうなるの。
それについては、まだ何にも具体案が決まっていないのだ。





弥生人の使っていた言葉
「肥と筑 第十四回感想その1へのお答え」 より  2010/9/30

Q2.このころの言葉は何語を話していたのかな?
A2 弥生人の言葉についての質問ですね。
語順は今の日本語と同じで助詞を持ち、トルコ語と同じような8母音とその間の母音調和
現象を持つ大和言葉、端的には万葉集や古事記の言葉に近いヤマト言葉だったと思います。
なお、大陸では地方ごとに異なる特徴を持つ原始漢語がその地方の共通語として通用した
他に、漢族以外の少数民族は、民族特有の言語を話すという最低でもバイリンガル以上の
多言語を話す能力を持っていた筈です。これは、現在でも言えることです。





フェニキア文字
「肥と筑十四回 合評3へのお答え」より   2010/10/2

★フェニキア文字とタロットカード
この二つを結びつけるのは、突飛に見えるかも知れませんが、実はそうではありません。
ヨーロッパの文字も宗教も、その大元はエジプト・メソポタミアに起こったアラム文明に
発していることは、歴史を見れば直ぐに解ることです。
ただ、TAROTカード一枚一枚の意味は、明らかにインド宗教に多くを負っています。
それは、このカードを自在に操ったジプシーが、インドのカシュミール地方の言語を話す
民族である事からも、推定出来ます。





言葉の定義
「趣味と道楽の狭間で (狭間シリーズ1):合評」より  2010/10/14

この作品は狭間シリーズ中の最初に置かれているが、言葉の定義について取り上げたものと見た。

★言葉による定義
 言葉は、人が見る具体的な物に名前を与える事に始まり、後にその対象は抽象的な事に
 まで及んだ。しかし、作者が指摘しているように、大抵の言葉は多義的、すなわち複数
 の意味を含むものである。定義とは、これら多義的な言葉を幾つか結合して、対象をよ
 り狭い範囲に限定することである。

★言葉による連想
 一方連想は、有る事象を元に、これと部分的に意味を共有する別の事象を呼び起こすこ
 とである。大方の連想は、多義的な言葉を核にして、外へ向かって広げて行くものだが
 人の思考範囲を広げるこの作業は、自分ではそれとは気づかないままに、意味の拡張を
 伴っている。

★言語間における定義の差
 この作品中、日本語の趣味と道楽という言葉が、英語という言語中で、如何なる意味の
 広がりを持つのかという具体例が挙げられているが、その広がりを見ると日本語では、
 意味の重なりが大きいように見える[趣味・道楽]という二つの言葉でさえ、その意味
 は英語に置き換える事により[審美眼・不品行]という二つの肯定的・否定的な言葉に
 まで拡大してしまうのである。

★翻訳に潜む危険
 私自身は、翻訳は有ればそれなりに便利な物だとは思う。しかし、誰が翻訳しようとも、
 その結果は当人の連想の篩を通過したものに過ぎない。上記の例でも解るように、原文
 と翻訳文の間には、作者と翻訳者の好みや癖による乖離が必ず存在する。つまり翻訳文
 の意味は、翻訳者次第で原文の意味と大きく乖離していく可能性に注意する必要が有る。
★定義と連想の何れが重要視されるか:分野の差
 法律・自然科学論文等の記述は、その言語内で解釈が広がらないように厳しく定義され
 る。これに対し、詩歌・文学では読む人の性向によって解釈が広がるような連想表現が
 好んで取られる。だからこそ、理系の翻訳は限られた術語を習得すれば比較的容易に出
 来るが詩歌・文学の解釈は、専門家に取っても難しいのである。

★鵜呑みにしないで
 ここまで書いては来たが、所詮はこの評も私の連想による、この作品の解釈に過ぎない。
 作者も読者も、またそれぞれの考えをお持ちであろう。





松籟・松風と天籟・地籟・人籟
「肥と筑 第十五回:合評のお礼」 より2010/12/13

★松籟・松風と天籟・地籟・人籟
私が推測するに、これらの言葉は、皆、禅宗の悟りの境地と関係があると思います。
天籟・地籟・人籟は、道家が用いる[荘子]の内篇中の斉物論に出てくる言葉ですが、
密教やヨーガでも、人体内の音を表わすのに、人籟という言葉とかかわる表現が有ります。D

55

 

イスラーム

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月26日(土)16時13分41秒
  .

                     イスラーム 2010-2013




「肥と筑第十二回をよんで-その1へのお答え」より  2010/4/6
*注) ★評者

★龍についての東洋と西洋の違い:

実は、ヨーロッパのドラゴンとインドのナーガまた中国の龍とは、その成り立ちからして
全く違います。
後者二つは、宗教的側面を本来的に持つか、あるいは宗教的側面を佛典の影響で付加され
て行った存在です。
ところが、ヨーロッパのドラゴンは、世俗的な存在に過ぎません。(中略)
ヨーロッパのドラゴンを竜と訳したことは、当時の訳者の致命的過誤だったわけです。
ドラゴンは、ドラゴンと言う言葉のままに据え置き、無理に訳するべきでは無かったので
す。
ある文化圏の文献を別の文化圏の言葉へと翻訳する作業を、読者に誤解を与えることなく
達成するのは、細心の注意を要することだと私は、考えます。
因みに、イスラムのクラーンは、アラビア語で記述されていますがこれを他言語に翻訳し
て教典とすることは、禁止されています。


★ドラゴンはキリスト教(ヨハネの黙示録)では悪魔を指す言葉:

いわゆるキリスト教徒は、ドラゴンに限らず、異教の神や教祖を、全て悪魔的存在である
と決めつけている事は、ご存じですか。
一方、イスラームでは、ユダヤ教徒・キリスト教徒を、旧約のバイブルを共有する啓典の
民として、その領域内で保護していました。
ムスリムが、旧約の預言者やイェシュアを悪魔的存在とすることは全く有りません。
しかし、キリスト教徒はイスラームの預言者ムハンマドについて、どういう表現を加えて
いるのでしょうか。
これについては、例えばダンテの神曲の地獄篇第28歌を見れば、直ぐに解ります。
なお、ゲド戦記中のドラゴンは、全てが悪魔的な存在とはされて居らず、むしろケルト神
話でのドラゴンに近い存在だと思ったのは、私の僻目でしょうか。





「三点セット:評の2」より   2011/4/16

★オスマン帝国の軍楽メフテル
・トルコ行進曲
 ヨーロッパの軍楽は、オスマン帝国の軍楽メフテルを見習って出来たものです。
 当然、そのブラスバンドの起源もメフテルの楽器編成に有るのです。
 モーツアルトやベートーベンの作曲に代表されるトルコ行進曲は、メフテルに刺激さ
 れて作られた曲だそうです。
 そもそもヨーロッパには、メフテルが用いている太鼓もシンバルも有りませんでした。
 今でもヨーロッパで用いる高級なシンバルは、トルコ製が主だったと思います。

・周王朝とトルコ族
 中国では、周王朝のころから、太鼓は攻撃の合図、銅鑼は退却の合図に用いられまし
 たが周はトルコ族が建てた国なので、その太鼓と銅鑼がメフテルの太鼓とシンバルに
 受け継がれていると考えると、彼らが持つ長い歴史を感じさせますね。

・メフテルの朗々たる歌声
 イスラームの1日5回の礼拝時にモスクの尖塔から礼拝を呼びかける声(アザーン)
 メフテルの声は、きっとこの朗々たるアザーンで鍛えられた声なのでしょうね。

 いかにも男性的で、私は好きですね。





「三点セット:評の3」より   2011/4/17

・ラク
これも初めて聞く名前です。ラクは葡萄酒から作る蒸留酒と言うことなので、製法として
はブランデーと一緒ですね。
イスラームでは、飲酒は禁止の筈ですが、このタブーが解けたのはオスマン帝国時代の事
でしょうか。それともトルコ共和国に成ってからでしょうか。
いや、ハンガリーには牡牛の血(実は葡萄酒)伝説が残っているところを見ると、やっぱ
りオスマン帝国では禁酒だったんでしょうね。





「三点セット:評の5」より   2011/4/18

★TVカメラの受注とターンキー業務
トルコ共和国は、オスマン帝国の崩壊時に、イスラーム絶対主義と決別して政治は世俗の
指導者が取るという道を選んでいます。このとき殆どの制度文物を、西洋から導入しまし
た。この政策は、その後もずっと続いて来たはずです。
それにも拘わらず、トルコ国営放送局のTVカメラとして、著者の会社が製作したシステ
ム が採用され、しかもそれがターンキー業務を伴うものだったということは、この会社
の技術がヨーロッパの技術に較べ卓越していたことを如実に示しています。著者はこれに
ついては多くを語っていませんが、適当な機会を見つけてそのシステムの進歩性、それを
得るために要した数々の苦労話等について触れた作品を書いて貰いたいものです。





「肥と筑 第十九回評へのお答えの2」より   2011/12/6

*注) ★評者
★小説か論文かといった質問をして作者に不快な思いをさせた:

私が肥と筑の第一回を投稿した時に、同じ意見が他の人からも出ましたが、それで不快に
なったということは、全く有りません。そのような反応が出ることは、予想していました
しそのような意見に対する私の考えは、その直ぐ後に説明した記憶があります。


★ユダヤ人は、他国で生存するため学問・芸術的職業・金融業のどれかを身につけた:

確かにそうだったでしょう。しかし、この記述中には少し誤解もあります。
正確には「ユダヤ人」は「ユダヤ教徒」と、「他国」は「キリスト教国」と書くべきです。
「ユダヤ教徒」は、キリスト教徒の偏見により特に中世ヨーロッパでは土地を所有できず、
生業も限られていました。その典型例がベニスの商人で描かれた金貸しシャイロックです。
一方、イスラーム諸国では、ユダヤ教徒(およびキリスト教徒)は、同じ啓典の民として
寛大な扱いを受けました。これは、イスラームとキリスト教との間の際だった差です。
皮肉な見方をすれば、キリスト教徒による差別が「ユダヤ教徒」の才能を開花させたとも
言えます。





「イスタンブール追憶によせて」より   2012/3/13

 作者が、かつて仕事でトルコに幾度となく滞在した際の実地経験に基づくトルコの首都
のイスタンブール街中の詳しくかつ貴重な体験記として書かれており、非常に参考になっ
た。
 この都市は、東西の架け橋、地政的にはオリエントとオクシデントの架け橋であり、文
化的にはイスラム圏とローマ・キリスト教圏との架け橋である。
この都市の特性を反映して、市内の代表的イスラム宮殿とモスクとは、近代トルコ建国の
父、ケマル・アタチュルクの英断により博物館に変えられている。そのため、じっくりと
時間をかけて見て回る事が出来そうだ。私に取って、時間と経済に余裕が有れば、是非と
も行って見たい場所の筆頭である。





クルアーンの翻訳について  2012/7/6

*注) ★評者

「心にあるよしなしごと」-評3(完)の文中、
★「イスラームでも(翻訳による布教という) 同じ努力がなされてきたのでしょう」:

とありますが、実はイスラームの経典クルアーンは、他の言語に翻訳して布教することが
禁止されているのです。(ただし、布教を目的としない翻訳はあり、日本語訳も存在しま
す。)つまり、イスラームでは、世界中何処に行ってもモスク内で用いられるクルアーン
の文章は共通であり、翻訳による誤解は生じないようになっています。

アラビア語には、非常に広い地域に渡る国・地方・民族それぞれに異なる方言アンミーヤ
が存在しますが、一方ではイスラーム圏共通の文章語フスハー(日本語では文語に当たる)
がこのクルアーンの文章を基礎として生まれました。





「肥と筑 第二十七回:評のお礼とお答えの2」より   2013/12/26

*注) ★評者

★西欧の大航海時代を境にアジア・アフリカ圏に白人世界が乗り込んできた:

 その通りだと思います。しかし、当時の西欧の技術はイスラーム圏から来ているのです。
例えば、ヴァスコ・ダ・ガマの印度航路発見について考えて見ましょう。彼は、ポルトガ
ル王の命令により、1498年、アフリカ喜望峰回りのインド航路を発見したと言います
が、本当に彼がこの航路を発見したのでしょうか。
 高校世界史では教わらなかったことですが、喜望峰回りのインド航路にはアラビア人の
水先案内人がいたと言います。
どうして、そう言えるのでしょうか。

  そもそも、西欧の大航海時代の後援者であるスペイン・ポルトガル両王国が占めるイベ
リア半島は、8世紀から15世紀にかけて非常に高度な文明を持つイスラーム系王国が存
在していましたし、その王国の覇権が衰えイベリア半島から撤退した後も、対岸のアフリ
カ北部はイスラーム圏に止まりました。当時のポルトガルやスペインが代表する西欧世界
は、武力では勝っても、文明的にはイスラーム圏の教えを仰ぐ立場に有りました。
それでは、当時の西欧世界はイスラーム圏からどんなことを教わったのでしょうか。
その端的な例が、喜望峰回りのインド航路だったと思います。

 実は、西欧の大航海時代よりも70年ほども前から、アジアでは明の鄭和が指揮する大
航海が実行されていた記録が残っています。この鄭和は、巨大船団による七次に渡る大航
海で、東南アジア・インド・アラビア湾のホルムズ海峡・アラビア半島・東アフリカにま
でも到達していますが、鄭和自身はアラビア人の子孫であり、イスラーム教徒でした。
この鄭和船団が到達したマラッカやジャワの北部には、イスラーム教が浸透し始めていた
のですが、それはアラビアの商人がもたらしたものでした。外来の宗教が土地に浸透する
には、長い時間を要しますから、アラビア商人のマラッカやジャワの北部への進出は、鄭
和の航海よりも早くに起きていた筈です。
 つまり、アラビア人は鄭和に先立ってインド洋を航海していたのです。これから見て、
鄭和船団の造船術と航海術は、同族・同宗教のアラビア人から伝えられたものでしょう。
当時のアラビアにおけるイスラーム文明は、それほど高い文明だったのです。

53

 

大地震

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月24日(木)08時59分15秒
  .

               大地震  2011




  同人の中で、東北大震災のとき一番揺れた土地に住んでいる著者です。
  1月に阪神・淡路大震災について触れたもの、そして東日本大震災後の3月14日
  復帰報告の二件がありました。一月の投稿を読むと、何か予感でもしたのかとつい
  思ってしまいます。関西のおばさんの経験談は二ヶ月後役に立ったのでしょうか。
  二件目の投稿は、体験者それも科学少年らしい、身近で生活に根ざした貴重なアド
  バイスです。そしてまた、ここでも徐福が顔を出しました。恐るべし。




17日 2011/1/18

この日、私はテレビで震災の一部始終を見ました。
あの時は、政府の初動救援活動があまりに遅すぎましたね。

 昨日のテレビでは、非常時に身の回りに残った乏しい品物を活用して身を守る方法が
震災を経験した主婦の経験として紹介されましたが、なかなか役立ちそうな話が続き感心
して見ていました。





関東東北大地震からの復帰 2011/3/14

 昨13日の17時過ぎに茨城の我家の電力が復旧し、その後は食い入るようにテレビを
見ていました。日本では恐らく四百年来最大の震災であろうという話ですが、津波が押し
寄せて家並みがあっという間に黒い波に呑み込まれ瓦礫に変わる恐ろしさが、画像を見て
いて良く解りました。
 被災地の皆さんのこれからの辛労を思うと本当に心が痛みます。
特に家族、なかでも母親を失っていた小学生の女の子が、「お母さん。お母さん」と何時
までも泣いていた場面をみて、この子はこれからどんな生き方をして行くのだろう。周り
の大人がしっかりと支えていってあげるだろうかと、とても心配になりました。
現地では、このような悲痛な家族の別れが一杯起こっているのでしょうね。

 取り敢えず私たちが現地に援助出来ることは、何だろうと考えました。
現地の交通はまだ不便だし、援助物資も集中すると現地では返ってリスクになるそうです。
特に、市役所・役場自体が消失するとか機能を失った例も有り、現段階では放送局等が実
施する義援金に拠出することが一番有効だと思います。
二三日中には年金が入るので、私に払える程度の拠金を出すつもりです。

これを書いている間にまた余震が来ました。震度4程度だったでしょうか。まだまだ油断
は出来ません。

田辺さんの松濤学舎の評は、一日遅れましたが、このあと出します。
実は、地震の発生時には二階の書斎で投稿文の準備中でしたが、グラグラと来たので慌て
て液晶モニタを倒れないように支えていたのですが、そのうち猛烈に揺れ出したので、慌
てて階下に降り外に出ました。
揺れが収まってから部屋に戻ると本棚の幾つかは倒れ、そうでない場合も上段の本はぶっ
飛んでいました。
幸い心配した液晶モニタは仰向けに倒れ画面に損傷なし、そばのCRTは下に落ちていま
したが、これも傷は有りませんでした。電力の復旧後しらべたら、幸いPC関係に故障は
ありませんでした。


★この地震で得た知見:
 ゴムの滑り止めシートは、上に載せる物の落下防止に非常に役立つ百円ショップで売っ
ているシートの中で、玄関マットや台所マットの滑り止め用として売っている大型ネット
型シートです。これを買ってきて、上に載せる物の寸法に応じて切り、これを座布団にし
ておくと載せた物が非常に落ちにくくなります。
実際、この滑り止めなしのモニタやCRTは、あっけなく台から落ちましたが、ずっと重
心が高く不安定なカラーボックスは、詰め込んだ本の重さにも拘わらず下の台からのズレ
が全く無しにそのままの位置を保っていました。
装置類に元々着いているゴム足も効果は有りますが、面全体でズレを防ぐ滑り止めシート
には及びません。
地震の時、物が台上から落ちる一因は、地震の振動応力によって上下間の位置ズレが蓄積
することによりその限界をはみ出すからですが、このシートはこれを良く防いでくれるの
です。

 もう一つ、面白いことに気がつきました。
台上の物の落下を防ぐ方法としては、実はこれとは対極に有る方法があります。
それは、地震の応力を受けたときの上下のズレに対して予め一定の遊びを与えておく方法
です。
この例は、唐招提寺建築の縦柱の受けの構造に見られますが、同寺改築中の様子を先ごろ
NHKで詳しく放送していました。一見すると寸法精度を良い加減に作ったように見える
この受けの構造は、実は地震国日本に建つ古代からの諸寺を長期間倒壊させずに残してく
れた超技術だった訳です。
 恐らくこの技術は、徐福船団中か、それと同時期に渡来したであろう墨家技術集団が、
地震の多い日本の環境に合わせ開発したものだったと思います。
社寺建築の歴史を辿って行くと、また新しい発見があると思っています。



*余震
「肥と筑 題十六回 その他いろいろ」より 2011/3/23

地震の後始末で、結構時間が取られ、直ぐに応答できません。お許しあれ。
(中略)
★精神的平衡を計る
震災被災地の避難所で子供の笑顔が見られた場所は、大人が一緒に遊んであげている所
でした。 こういう苦しい状況では、笑える環境を作ること、ほんの一寸の気持ちの余裕が、
すごく大事に見えます。



「人の像をした美しい青い地球:評」より 2011/4/30

★[声]と[チェロを弾くと](*作品中の言葉)
 彼の声とは、衝突するプレートが発する地震の予兆音を、
 チェロを弾くとは、実際に起こる地震の様相を指す。。

45

 

密教/曼荼羅

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月24日(木)02時48分30秒
  .

              密教/曼荼羅




肥と筑の合評のお答え  2010/3/15

★3*3の魔方陣
 通常の表示とは逆に、北を上にし方位および十二支と一緒に示すと
次の図のように成ります。

      北
     亥 子 丑
   戌 六 一 八 寅
 西 酉 七 五 三 卯 東
   申 二 九 四 辰
     未 午 巳
      南

中央の九個の数字について、五を中心に、縦横斜めの直線上に有る数字を足すと、何れも
15に成ります。つまり、これは3*3の魔方陣です。

★アーラヤ識
 唯識の考え方は、ヨーガの修行の実践から生まれてきたものですが、アーラヤ識と言う
概念は、西暦4世紀頃のインドで確立しています。ユングの深層意識は、マンダラの紹介
と共に、佛教に源があります。
 万理さんの作品と、肥と筑のアーラヤ識は、当然関係しています。
密教の瞑想法では、意識の拡大や集中などについての、システム化された方法が有り、そ
の対象は大きくは宇宙ですが、小さい所では芥子粒のように小さいものです。




肥と筑のお答えの5 2010/3/31

★龍蛇と鳥が一対として扱われるのはもともと身体的構造による:
はい、そうです。神話において、ときとして鳥が蛇と敵対的存在として描かれるのは、頭
部にあるサハスラーラチャクラが、下部から昇ってくる蛇のエネルギーを奪って開花する
事を象徴的に記述したものです。

★サハスラーラチャクラを支配するのは、宇宙意識そのもの:
最終的には、そうなると思います。としか私には言えません。

★軍荼利明王に関わる修行法は、どんなものだろうか:
この明王の真言中には、アムリタ(甘露)と言う言葉があり、クンダリニーの力がサハス
ラーラに及んだときに起きる或る現象を暗示しています。

★響子は何時こんな勉強をしたのだろうか:
響子と伯母の智美の生家を、密教を伝承する天台宗天遊山高徳寺とした目的は、この伏線
とするためでした。二人は折りに触れ住職の山南順照に、手ほどきを受けて来たわけです。

★占星術と九星における龍蛇と鳥の共存:
これは、一見すると偶然の関係に見えますが、やっぱり根っこでは密教に繋がっている関
係だと思います。

★私は蠍だ。何か関係あるのだろうか:
Horoscopeで、天蠍宮に太陽か上昇点がある人は、精力が強く集中力もあるので、目標を
一点に絞ると成功しやすい特性が有ります。

★他読者の為に図を掲載:*
 胎蔵部曼荼羅の図を掲載して戴いて有り難うございます。
この図は、座禅中の人を正面から見たものが基本になっています。
 中央に窺える縦線は背骨の位置、中央部中台八葉院は心臓部に有るアナハタチャクラ、
上部文殊院は頭部に有るサハスラーラチャクラ、下部の蘇悉地院は尾てい骨部分のムラダ
ーラチャクラに当ります。

                  *評者添付画像


★意識の拡大や集中などについての、システム化された方法:
 ことは密教に属するので詳しくは述べられませんが、広観と斂観という代表的技法が有
ります。このような技法の基礎は、恐らく原始佛教の頃に開発されたものと考えることが
出来ます。と言うのも、原始佛教の技法を受け継ぎ、シュリランカ、ビルマ、タイ、カン
ボジア、ラオスに伝わっているいわゆる上座佛教にも、明らかにこの技法と関わる瞑想法
が伝わっているからです。




「空を飛びたかったペンギン」:合評の補足 より 2010/5/13

結局、視点としては理を基にするか、情を基にするかと言う事でしょうね。情は文と言
い換えるべきかも知れませんが。

 私は、長く関わってきた仕事の性質上、理に傾きやすい傾向を持っていることは、十分
に自覚していますが、かといって、情主体の観点を否定しているわけではありません。
密教の曼荼羅だって、胎蔵部と金剛界の両部が有るのですから。
私もその気に成れば、情に両足を置いた文章も書けますよ。
( ↑ 負け惜しみかも)




天使ごっこ・悪魔ごっこ(5)十一月:積み残し分 より 2011/ 4/9

著者のコメントや質問に対する私の答えが積み残しだったので、追加します。

★未来の記憶:想像力と言ったほうが良いでしょうか(◆全体の感想中のコメント)に対し:
・未来の記憶とは未来の予知であると見なし、それはまた想像力であると捕らえている。
これも時空に関する面白い見方です。実は、唯識に沿った思考でも同じ結論が出ますし更
に、密教の三昧耶(さんまや)曼陀羅も、この時空構造に密接に関係しています。
この辺については、機会を改めて論じて見たいと思っています。




無限回廊 第三回 評のお礼 より  2011/ 4/21

★ホワイトホールとブラックホールの狭間、グレイホールを語らせるに(*本郷淳吾は)最適の人物:
 そりゃ、そうですよ。
何せ、狭間シリーズの著者で、本郷に自ら会社を所有し、冷凍機の専門家??であるとい
う本郷社長以外には、狭間的存在のグレイホールの理論的説明が出来る人は有り得ません。
ところで万理さんも、グレイと鈍色との因果関係に、気がついていたんでしょうね。

★異界との間の通過点となるグレイホール対:
 日本でもチベットでも密教画像で諸尊が出現する場合は、必ずその周辺に渦が発生して
いるように描かれています。
 このような渦を伴なう画像から、ホワイトホールとブラックホールを連想し、そこから
更にグレイホール対という考えに辿り着きました。




無限回廊 第三回 評のお礼の2 より 2011/ 4/22

★五大を媒介にして瞬時に移動する:
 まじめな話ですが、これに関連する修行法は根本佛教時代から知られていました。
忍法の地遁・水遁・火遁等はその発展形であり、密教の手印と呪が用いられています。
本当です。(私に実演しろと言っても無理ですよ。)
★第六の要素識大の力でなんと時間移動:
名前は秘密ですが、密教には時間を遡る修法が有り、ヨーガでも似た方法が有ります。
これは、密教の基礎を作った唯識派がヨーガを実習していたことと関係があります。
★並行世界の矛盾調整役がなんと役行者:
 この役行者は、間違いなく出雲族の出身なので、この場合の嵌り役なんです。




人の像をした美しい青い地球:評の3 2011/ 9/14

「神野さんのこの作に対して解析・分析の類を加えるのは的外れである」
という趣旨が述べられています。
 確かに、それは尤もな批判だし、私も何時も私の分析偏重に対して反省しています。こ
れは一種の職業病で、なかなか直りません。
 しかし、以前にも書いたことが有りますが、分析という作業そのものが比喩という作業
と大きな基盤を共有しているのも事実です。
ここでは、事のついでに再度そのことについて私の考えを述べてみたいと思います。

★言葉と連想
連想は、言葉の力を基にした意識の共有という人類に特有な作業であり、ほかの動物では
(多分イルカでも)この作業は不可能でしょう。

★連想の和と積:比喩と分析
連想は、意識範囲の拡大と縮小とのいずれにおいても、人が自然に用いています。
範囲の拡大は、複数の言葉のいずれかで象徴される対象の和(集合の和です)を用い
範囲の縮小は、複数の言葉のすべてで象徴される対象の積(集合の積です)を用います。
敢えて単純化すると、前者が比喩・後者が分析と言えるでしょう。

★意識の拡大と集中
 比喩と分析とは、言葉の記述の問題ですが、意識の問題としては拡大と集中があります。
佛教では、この意識の拡大と集中とが、大切な修行法として知られていました。
これらは、上座佛教時代から存在し、後に大乗仏教の唯識から密教へと受け継がれました。
 先ず意識の集中の場合、原理的には意識集中のキーワードとして、あらゆる言葉を持ち
出し、これらの全てを特徴として具有する対象に意識を集中すれば良い筈です。しかし、
実際には、そんなことをすれば意識の雑音に悩まされて集中は出来ないでしょう。
そこで、上座佛教では意識集中の対象として、地大・水大・火大・風大・空大という非常
に単純な要素を対象にして瞑想を行なったことが知られています。
 これとは逆の意識の拡大の場合、意識集中のキーワードとなるあらゆる言葉を、全て包
含する根源的言葉を用いれば、より大きな範囲に意識を広げることが出来る筈です。
この作業を実地に行なう修行法が、密教の阿字観という瞑想法として確立されています。
そこでは、あらゆるイメージの根源として、サンスクリットの[阿]字を本尊に用います。
 [阿]字は、サンスクリットのaadi(初・本)anutpaada(不生)という単語の頭文字な
ので「阿字本不生(あじほんぷしょう)」として説明される[万法の根源]の象徴とされ
ます。天台宗や真言宗の密教における[阿]字は、真空妙有であり、また大日如来でもあ
ります。
 この真空妙有という言葉自体が、現代物理学の真空の解釈と驚くほど良く似ていますね。
阿字観の本尊として用いられる[阿]字については、例えば次をご覧下さい。
    http://www.tokuzouin.com/tokuzouin/ajikan2.html

 なお、サンスクリットの文字は、アラム文字から来ています。つまり[阿]字は、元々
アラム文字のAlephであり、ギリシア文字のαの同類なのです。

 神野さん・赤松さんの比喩の話から発展して、同人グループ名の[α]に辿り着きま
した。ここに、またもや不思議な[えにし]が出現しています。
とはいえ、評の主題からとっ外れた、とりとめない話になってしまいました。
この辺で終わりにしましょう。




肥と筑 第十九回評へのお答えの1 より 2011/12/5

★兆しに無意識と意識の世界をからめたのはおもしろかった。(「兆」前書きを読んで):
そうなのです。実生活上で同時期に出会う複数現象の不思議な暗合は、確かに存在します。
気をつけて見ていると、そういう場合には、それに先立つ前兆が色形あるいは抽象的な象
徴として現われて来るのが解ります。
それらの現象が、何故そのように起こるのかと言うことを説明できるのは唯識説ですし、
それらを総合的に説明できるシステムが密教です。
また異なった切り口で、前兆から先を予測するのが、種々の占術なのです。
 この占術において特別な意味を持つのが、赤松さんが無限回廊シリーズで注意を喚起し
た素数です。素数は、数という抽象的な象徴中での特殊な存在であり、各占術で主要な役
割を担っています。

★亀と占術(写真とコメントを見て)
今回、兆の象徴として万理さんに描いて貰った亀卜用の亀、これは四神の中で北方に割り
当てられた玄武の中にその姿を残しています。玄武の玄は幽玄の玄であり、亀の甲が占術
の手段として用いられたことと、無関係ではないでしょう。


★コーヒーブレイク中の会話:無意識と占術(評の2):
・兆と数の単位:
兆が何故、大きな数を表わすようになったのかは、よく解りません。
ただ、古代の万・億・兆は一桁ずつ大きくなっていて、1兆=100万だったそうです。
現在の億つまり10の8乗は、昔は巨万と言っていたようです。巨万の富というときに使
う言葉ですね。

・夢という別な場所に引きづりこまれ:
夢は現実ではないし、さりとて現実世界と全く無縁ではありません。無意識と意識の狭間
にある世界とも言えます。寝入りばな或いは目覚める間際の状態と似ているところがあっ
て、意識的に制御することは困難ですね。もし夢を制御できたら、随分面白いでしょうね。

・表象は具象(相)と抽象(数)に分けられる:
HOROSCOPEの星や十二宮、周易の八卦、気学九星、推命の干支などは皆、抽象的表象
です。占術においては、これら抽象的表象を用いる方が、むしろ主流と言えるでしょう。
そういえば、抽象的表象を持たない人間以外の動物が占いをするなど想像出来ませんよね。

★占術の応用(評の3)
・他の小説でも、この集団に占い師がいました:
他の小説というのは[琅琊の鬼]ですか。徐福は、後の世の錬金術師に当たる人物ですか
ら自分自身や仲間に占術家が居ても不思議ではありません。
なお徐福の時代において、周易は良く知られた占術でした。

・中宮は「マナス」、三昧耶曼陀羅は運命的出合い:
この部分は後半での核心なので、一番力を入れたところですが、矢張り解りにくいですか。




造次顚沛:評の3 2012/ 9/15

★時間と梵語samaya
梵語では、時間のことをkaalaまたはsamayaで表わす。
ここでは、今の問題に関わるsamayaに注目し、唯識的に解釈してみよう。
samayaの意味には
  時間一般
  指定された又は適当な時
  結合
  共に来ること
  会合の場所
などの意味を含んでいる。
つまり全体として[指定された適当な時に会合の場所に集まって来る]という意味を持つ。
それでは、会合の場所とはどこで、一体何が集まって来るのか。会合の場所とは、因とな
るアーラヤ識から生じた自己意識マナスの周辺であり、集まって来るのは、自己意識マナ
スに関わる縁、つまり種々の環境条件である。これらが実って初めて、人が眼前に見る諸
現象が起こってくる。

★倶生(梵語sahaja)・五秘密・煩悩即菩提
このsamayaから想い出されるのが、上座部でいう倶生(sahaja)の概念である。
sahajaとは、瞬間ごとに、相伴って同時に生まれたという意味である。
これを唯識的に見れば、瞬間ごとにアーラヤ識から生じる現行、即ち自己意識マナスおよ
び第六意識と前五識から成る想念を指している。通常、これらの想念は善悪の計らいがあ
り、価値判断を伴うため、マナスを染汚し、これが煩悩の元となる。
密教では、このマナスに伴って生じ煩悩の元となる倶生を、欲・接触・愛着・慢心で代表
させ、中央に座す金剛手菩薩とこれを取り巻く欲・触(そく)・愛・慢の四菩薩として示
す。これが、五秘密曼荼羅であり、煩悩即菩提の深秘を表しているという。
ここで、金剛手菩薩は、金剛薩埵(さった)とも呼ばれ一切衆生の菩提心の本体を表わす
がこの金剛手菩薩を唯識的にみれば、染汚されない自己意識マナスの象徴である。
最後に、この五秘密の五体の菩薩を、作者の説くα位相とβ位相に対応させて考えれば
  金剛手菩薩は、α位相の象徴
  欲・触(そく)・愛・慢の四菩薩は、浄化されたβ位相の象徴
と見ることが出来よう。
つまり、β位相が浄化されたとき、五体の菩薩が総体として煩悩即菩提を表わすのである。

以上、作品の意図とは遠く離れた結果になりましたが、私なりの見方を述べました。




万理さんの評2へのお答え 2012/ 9/20

★曼荼羅、カルマ、冥想、煩悩、、菩薩という言葉が、胡散臭い:
確かに、一般的にはそう受け取られているのでしょうね。
しかし佛教は、時間・空間において他とは比較にならない広がりを持つ修行体系です。
知識として見れば、唯識や密教はヨーガという基礎の上に立つ心理学の宝庫ですし
修行法としてみれば、禅宗や浄土系の宗派は、また別の方法として受け継がれています。
唯識・密教・禅宗で得られた知見は、現代科学で得られた知識とも矛盾しないものです。

佛教が現代人に受け入れられるためには、各宗派とも自らの修行法の長所をもっと生かし
現代人に通ずる布教を行うべきなのです。

★『煩悩即菩提』という言葉にはどうも違和感がある:
[煩悩を無くしたものが菩提ではないか、煩悩=菩提はおかしい]という鋭い指摘です。
万理さんが、このことを実感し難いのであれば、例えば神野さんの次の典型的文章を、想
い出してみてください。
α第29号「冥界から覗く人の像をした美しい青い地球」より
・第一話 あたりまえ
 私は知った。あたりまえが凄いことを。よく生きるというより、生きていること自体が
 不思議な現象なのだ。
・第三話 缶しるこ
 缶しるこが飲めなかったら飲めなかったでいいではないか。がっかりしたかもしれない
がそのがっかりを生きよう。がっかりでも勿体なくも生なんだよ。

神野さんのこれらの文章が、煩悩即菩提そのものを示しているとまでは言いません。
しかし、少なくともその入り口に立っているということは、何となく感じませんか。

この状態を、先に私が書いた[造次顚沛:評の1]中に書いた言葉を用いて説明すると
存在者たる自證分が、存在たる相分を、対象として見ている状態といえるでしょう。
この状態を一歩突き抜けて、自證分が自己内部のこととして見られるようになれば!!!
という問題だと思ってください。
言葉での説明は、これまで。

万理さんの場合、あとは禅宗の正師について只管打坐あるのみ。




[肥と筑」の評へのお答えの2 より 2012/12/28

★「黄色」について
黄色の補色は青ですが、この二色が日本語の中で対照的に捕らえられているか否かは、知
りません。ただ、佛教の祭儀や中国の五行思想による五色としては、日本でも青黄赤白黒
が用いられています。
また、密教曼荼羅についてみれば、日本や中国で緑と赤の補色が、チベットで青と黄色の
補色が、意識的に用いられています。
因みに、緑と赤、青と黄の二組の補色対は、共に性中枢を刺激する組合わせとして知られ
ています。

古代日本語での黄色は、赤・白・青・黒のような基本的形容詞ではなく、形容動詞の連体
形である[黄なる]として、名詞を修飾しています。これは、古代日本語での黄色は基本
色ではなかったということを示しています。
個人的には、古代の黄色はその明度の高さから白の一部とも見られていたであろうと推定
しており、その詳細については、古代のサ行の推定発音の問題と共に、次の機会に触れて
みるつもりです。




無限回廊第十二回 評のお礼の2 より 2013/8/1

★瞬間移動と徧処観
ここでは、徧処観という意識の操作によって瞬間移動が出来ると見なしました。
実は、各種徧処観の基礎となるのは、マンダラと呼ばれる円形の瞑想対象です。また瞑想
中には、そのマンダラに特有な対象への呼びかけを行ないます。
つまり、上座佛教時代から既に知られていたこの徧処観には、密教の修法に必須な二要素
を含んでいたのです。




心情風景 その先:評の2 2014/3/19

★人間の場合の見え方の差:心情風景の差
異なる人が異なった時に、撮像器である眼の網膜上に得る画像自体は、対象が同じで環境
も同等であれば、その結果もほぼ同じになる筈である。
しかし、大脳の記憶空間に残る画像すなわち心情風景は、その時々の感情を伴い異なった
画像として記憶されるが、これは何故なのか。作者は、その理由を[人が見たいように見
るものであって、またこうであれと思っていた]ことが記憶されるからだと説明している。

一方、佛教での説明はこうである。
上座部では、自己意識の基盤となるのは直前に過去へ去った意識であるという。
唯識では、これをマナスと呼ぶ。(マナスを、マナ識と呼ぶのは正しくない。)
この考えは、正に印度的で意表を突くものであるが、瞑想で得られた正当な結果である。
ここで注目すべきは、直前に過去へ去った意識が自己意識の基盤となっているということ
がそこに判断・判別の基準として、時間微分の処理が暗に意識されていたことを暗示して
おり、そこに作者の考えとの接点が見て取れるのが、非常に興味深い。

ところで、マナスは本来は清浄な存在なのに通常は周りに汚され煩悩にまみれたところの
所謂[染汚のマナス]に変わっている。
それでは、この本来清浄なマナスを取り巻き、これを汚染するのは何か。それは、周りの
ものに触れたときに同時に生ずる好悪の感情である。実はこの好悪の感情を決定づけるの
がそれまでに各人が蓄積してきた記憶、つまりアーラヤ識に基づいて行われる選別作業で
ある。
因みに、唯識では外界に触れたときにおこる意識の様相を依他起性(えたきしょう)
これによって選別しようとする意識の様相を遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)と呼
ぶ。人に好悪の感情が生ずるのは、この遍計所執性の意識による。
密教において、この構造を端的に象徴するのが五秘密曼荼羅である。その中央には清浄な
マナスを金剛薩埵(こんごうさった)として置き、又これを取り巻き染汚する好悪の感情
を金剛薩埵を囲む欲・触・愛・慢(よく・そく・あい・まん)の四金剛に変えて置いてい
るが人が空を悟った時には、煩悩を抱く状態そのものが全体として菩提の世界に変わると
いう。

45

 

数の神秘

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月23日(水)12時41分30秒
編集済
  .

            数の神秘




   数字、かず(数)に並々ならぬ興味をもつ人のようだ。
   占いにも通じているようだし、科学にも通じている。
   ピタゴラスではないが「数秘術の父」ならぬ「数秘術の小父さん」の
   ようにも思える。しかも西洋だけでなく東洋の数にも目を向けるのだ。




2007年

第13号「楽」前書き より  2007/11

13は、佛教では智慧を授ける虚空蔵菩薩にご縁の、おめでたい数です。
「しか言う御主も十分おめでたい。」とは、本人も十分解っております。
と言うのも、今回の同人αと担当の長岡曉生は13に深い縁が有るのです。

今回の αの累積号数は、13号
現在の αのメンバーは、13名
私事ですが、長岡曉生の
佐賀高校の卒業年次は、 13期
1年生の時のクラスは、 13組
2年生の時のクラスは、 13組
3年生の時のクラスは、 13組
絵担当の三男の生日は、 13日(8月)です。
最後の符合は、三男が教えて呉れました。

さて、α13号の題名を決める必要があります。
今年、平成19年のαの題名の流れは、次の通りです。
10号:[美]→11号:[選択]→12号:[出会い]→13号:[未定]
13号は、この題名の流れを男女の出会いと見立てて「楽」と致します。





2010年


「肥と筑の合評のお答え」より 2010/3/15

★3*3の魔方陣
通常の表示とは逆に、北を上にし方位および十二支と一緒に示すと
次の図のように成ります。

      北
     亥 子 丑
   戌 六 一 八 寅
  西 酉 七 五 三 卯 東
   申 二 九 四 辰
     未 午 巳
      南

中央の九個の数字について、五を中心に、縦横斜めの直線上に有る数字を足すと、何れも
15に成ります。つまり、これは3*3の魔方陣です。




中国神秘数字 2010/4/15

★二と三
 中国では、いわゆる参天両地に通ずる世界観ですね。
言語の世界では、単数と複数の他に、双数を持つ言語が過去に有り現在にも、一部そのよ
うな言語が残っています。このような場合、その言語での複数は、3以上を指すことにな
ります。つまり、1・2および3以上の、3つの数のグループが有ります。
現在も双数が有る言語の代表例としては、アラビア語、スロヴェニア語、ケルト語系のス
コットランドのゲール語・ウェールズ語・ブリトン語等が、知られています。
 過去に双数を有した言語には、古代インド語(梵語)・古代ペルシア語・古典ギリシア
語・古代スラブ語などが有ったそうです。
梵語の教科書を最初に見たとき、この双数についての記述が有ったので、習得しようと
する意欲が直ちに失せたのを憶えています。
記憶力の有る若い時に頑張っておくべきだったなあと、今更ながら後悔しています。
★奇数と偶数
日本では奇数を尊ぶため、祝い金は奇数で出しますが、万理さん、中国ではどうでしたか。
食器の組については、日本では伝統的に5つ組が普通だけどこれを欧米に持って行くと、
半ダース(6箇)の半端物と見なされるから、土産物には向かないと言う話を聞いたこと
が有ります。
★八と発
中国では、八は発に通じて大変めでたい数字なので、自動車のナンバーの8888番は、
高値で取引されるとか。 発財は、たしか金持ちに成ることでしたね。
日本の自動車メーカー[ダイハツ]は、大阪発動機に由来しますが略して[大発]なので、
非常にめでたい名前と言うことでした。




べき表現 2010/8/27

X³+Y³=Z³ (³ は半角)
とすると、その結果は
X?+Y?=Z?
となります。

それでは、二桁以上のべき数について、べき数部分をその桁数だけ続けて見ましょう。
X¹²³+Y&sup4;&sup5;&sup6;
=Z&sup7;&sup8;&sup9;&sup0; (&sup?; は半角)
とすると、その結果は
X???+Y&sup4;&sup5;&sup6;=Z&sup7;&sup8;&sup9;&sup0;
となりました。

つまり、べき数が整数の場合でも、この方法が使えるのは
べき数の数字が、1,2,3 の場合に限られ
4~9と0については、適用できない事が解りました。




「宇宙からの風が悪戯をする時:合評の1」より 2010/12/2

α25号の編集後記によると、この詩は前号の神野さんの作品に触発されて書いたという。
その前提を頭に置いて見てみよう。
◆最初の4つの詩
先ず形式を見て見よう。
神野さんの前号の作品は、1行が20字から成っている。これは今号も同じ。
なるほど、四〇〇字詰め原稿用紙の文字数が取られて居る。
で、万理さんの場合はと見ると、23字。やっぱり素数なんだ。
しかも23は、姓名学では4つある頭領運の一つで、強烈な個性を表わす。
ハハハ、なるほど。当たってますねえ。
23の素数中の順番は9で、TAROTで言えば隠者である。
その意味は、おいおいと作者から明かされる。(オイオイ、それで良いのか?)




2011年

7番について 2011/1/19

こちらも、徒然なるままに書いています。
・7番目のフェニキア文字:ザインについては、以下をどうぞ。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3
 ギリシア文字のζ(ツェータ)もこのザインの変形です。

・タロットの大アルカナの7番戦車は、精神まで含めた人の体と解釈できます。
人生は、戦いと葛藤の連続でもあります。

・α第7号の作者神野さん
驚きました。
実は、次回無限回廊では、カミノさんとザインの二人は旧知の仲だったと設定して執筆中
です。しかし、神野さんとザインとが、7数で結びつくという暗合には、今まで気がつき
ませんでした。それに、α25号の作者紹介で、赤松さんが神野さんのシンボルと設定し
たイメージ像Dream (435)。薬師十二神将を思わせる装束に包まれていますが、神将と戦
車も[戦い]でつながっています。その上、α25号の神野さんの作品番号が、これまた
第7番だったとは、凄い暗合です。

・周易の第七卦:地水師
師は、兵衆・軍隊。ここにも戦いが出てきます。
陸軍の師団編成はこれと関係が有ります。国により異なりますが旧陸軍師団編成は平時で
一万二千人とされていました。ちなみに、師のツクリを巾に換えると元帥の帥に成ります。

・7人のこびと
7はアラム文化における究極の数、こびとは特殊能力のシンボルです。

・7つのチャクラ(追加です)
ヨーガで説く人体内部の目に見えない組織で、これが開くとそれぞれに特有な特殊能力が
開花します。チャクラは、尾てい骨から頭頂まで有りますが、第7番のチャクラは、確か
に究極のチャクラですね。

万理さん、この凄い暗合を教えてくれて、どうも有り難う。イメージが大きく膨らんでき
ました。でも、大元は赤松さんの基本構想有っての事です。意識的操作をしないのに、縁
によってこれらの暗合が浮かび上がってきています。
私も、頑張って無限回廊の続きをしっかり書かなければ。




「夢(ゆめ)と現(うつつ)の狭間で:評の3」 より 2011/3/29

★おまけのおまけ
東京23区の地図を見ていて気がついた。著者と私、いや同人の殆どが何らかの引っかか
りを持っている渋谷区の表記順番は13番であり、これは公式に決められた順番である。
ついでに、佐賀県の都道府県番号はと言うと、これは41番である。
私が何を言いたいのか、お分かりですね。
[13]はもちろん素数、そして13番目の素数は何と[41]なのだ。矢っ張り!!!




「無限回廊 第三回 評のお礼の2」より 2011/4/22

◆赤松さん
★認識番号7・11・13の人物の名前ほか
赤松さんの鈍色世界(更にこの対極にあるべき虹色世界)および素数世界。
これらこそ、無限回廊を生み出した赤松ワールドの基本だと思っています。
この飛び板無かりせば、私に宇宙遊泳は出来なかったはずです。




第29号「兆」前書きより  2011/11

29号の題名は「兆(きざし)」、これに副題[無意識と意識の狭間で]を付けることにした。
この頃、つくづく思うことが有る。
身の回りに起こる大事な事は、気をつけていると必ず何らかの前兆がある。
その前兆は無意識が表面意識の世界へ変化・顕在化するのに先立って起こってくる。
例えば、昔から夢を正夢と言い、噂をすれば影がさすと言い、辻で聞いた噂話でこれから
を占えると言い童歌で社会の将来のことが解るという。
それらの前兆は、物事が現実化する前に、眼に見える色・形、耳に聞こえる音、文字にな
った言葉という象徴として現われる。

それは、何故か。
と言う仕組は、今回書く羽目になった二つの作品中で詳しく語ることにして、
ここでは一つだけ。

それは、他でもない。29号の題名と副題の決定である。
無意識と意識の関係については、α入会前からの関心事であり、αに入会後は、機会ある
毎に触れることが多かったが、いまだ纏めて書くまでには至らなかった。
今回、私に29号の題名「兆」と副題[無意識と意識の狭間で]を選ばせたのは号数が29と
言う素数であり、かつこれが私の姓名の総画に等しいこと29号の無限回廊の担当が私の
順番になっていたことである。
となれば、素数の重要性に初めて触れ、また無限回廊シリーズの提唱者である赤松さんの
「狭間」世界に私が引きずりこまれる「兆」であるのは自明であろう。
恐るべし、グレイホール。

もちろん、これは担当者に訪れた兆にすぎません。
皆さんは、題名「兆」に捕らわれず自由に書いて下さい。
でもきっと、それぞれの作品が、各人に次に訪れる何かを告げることになるんだろうなあ。




2012年

第34号「息吹」 2013/2

☆α34号について
同人誌αも号を重ねて34号に成った。34号と言えば佐賀人それも我が世代に取って
は旧長崎街道、中でも市内を東西に貫通し、ツ―ツラツ―で通れる貫通道路の番号だった。
それでは、34という数とαとの間には、何らかの関係があるのだろうか。実は、大き
な関係がある。
34は素数17の二倍だが、αの主宰者赤松さんの本名の姓の画数合計(天格)・名の
画数合計(地格)は、共に17画である。とうぜん姓・名の画数合計(総格)は34であ
る。
それだけではない。素数17は、現在赤松さんと共にαの無限回廊シリ―ズを分担して
いる他の2名、長岡と万理さんの姓名要素である地格・人格にも含まれている。
というわけで、この34号の前書きは担当者の長岡が分担し、表紙絵は絵が上手な万里さ
んが分担して呉れることになった。




[肥と筑]評のお礼の2 2012/3/28

◆赤松さん
色々と、ユニークで面白い解釈を、有り難うございます。
少し、私なりに今回書き足りなかったことを補足してみたいと思います。

★三種の神器について
剣・玉・鏡を祭に用いるのは、江南の少数民族に良く見られた宗教的習慣だったそうです。
これは、天孫族が南方系だったという非常に強力な証拠です。
三種の神器の中でも、八咫鏡と八尺瓊勾玉には、八という数字が象徴的に使われています。
この八は、八坂神社・八王子・斉州八神を介して、スサノヲに繋がっています。
この八を尊重することは、呉王の末裔、扶余族の子孫である満州族にも結びつくのですが、
機会があったら、是にも触れてみたいと思って居ます。





長岡さんへ乞:計算のヘルプ 投稿者:神野佐嘉江 2012/5/19

自分の親はどれぐらいいるだろうと、ふと思い立ちました。次のように考えを進めました。
自分の親を1代目とすると、親は2人いる。2の1乘=2人いる。
自分の祖父母は2代目で、2の2乘=4人いる。
自分の曾祖父は3代目で、2の3乘=8人いる。
このようにn代目の親は、2のn乘人いると言える。
ところで、1000年前、紫式部がいた頃に自分の親はどうしていたろう、どれくらいいた
ろう、と考えを進めます。
1代を30年と考えると、1000÷30=33 あまり10
となり、やく33代となります。
そこで、2の33乘を計算しますと、8,589,934,592 人となり、約86億人となります。
990年前に自分に血を注ぐものがそんなに居たのかと驚く一方、まてよ西暦1000年の日
本にいたのはせいぜい3000万人だ。これはおかしい。
長岡さん、どこがまだ考えが至っていないのでしょうか。教えてください。





倍々計算の適用条件 2012/5/20

私用で我が家に戻ってきている長男の相手をしていて、ご返事が遅れました。

神野さんの疑問は[自分のn代前の先祖の数を2^n(2のn乗)で計算すると、いかに
も過大と成るのは何故か]という疑問ですね。
実は、n代前の先祖の数を2のn乗で計算する時には、或る条件を仮定しています。

その仮定とは何か。それは、この2のn乗で得られる数の先祖の個々人が、全て別人であ
るという条件です。
この仮定は、例えば10代前の先祖の数1024人程度までは、大都市に於いては満たされる
かもしれません。(10世代で約1000倍というのは二進法でよく使う近似計算です。)

しかし、20代前の先祖の数は100万人を超え、30代前の先祖の数は10億人を超えます。
つまり、30世代900年を遡った先祖の数は、10億人を超える訳です。もちろん当時の日
本にそれだけの人口が居るわけがありません。要するに遡る世代が増える程、先の仮定は
明らかに破れてしまい、十億人の中の数多くの人が、本当は1人であるのに何人分にも重
複して数えられて居るわけです。

このような場合、一人当りの重複数の平均値は、どのように与えられるのでしょうか。
簡単のために、外国人との結婚は無視し日本の人口数が定数Cを保っていたと仮定します。
n世代遡った先祖の数が、この定数Cを超えた場合の、一人当りの重複数の平均値Xは、
X≒2^n/C となります。

幕末から900年~1000年遡った日本の人口が、幕末と同じ3000万人(=)だったとする
と(実際はもっと小さかったはずですが)
重複数の平均値X≒10億/3000万≒33    900年遡った重複数の平均値=33
  X≒86億/3000万≒287 1000年遡った重複数の平均値=287
となります。

実際の重複数の頻度分布は、横軸を重複数で取ったガウス分布になり、そのピーク位置
は、上記の重複数の平均値となるでしょうが、ここでは、詳しい説明は省きます。




長岡さん、謝謝。 投稿者:神野佐嘉江 2012/5/22

長岡さんありがとう。しかし、親の重複とは考えにくい事柄ですね。自分の中には濃い血
が斑のようにになってあの斑この斑と数限りなく注がれているというイメージですね。具
体的にはどういうことが考えられるのでしょうか。近親婚とか、親が子の代とも婚姻関係
を持つ、祖父が孫の代とも婚姻する。などなど? そしてそんなにも重複があったのかと
呆然とします。もっともそうでも考えない限り、時代を遡れば遡るほど、親の数は増える
一方です。僕のたどった考えによると、紫式部からさらに千年前の親を考えると二千年前
の自分の親はざっと10億人×10億ですからね!






「窓辺にて-そして、それから:評」より 2012/6/17

◆蛇足
「窓辺にて」、これは著者個人のブログの名称としても用いられているが、このほかに想
い出されるのは、α第11号における著書の作品「「シリーズ・歪んだ風景-岐路(きろ)」
である。 同作品は、イタリアのある都市の四季の情景を高層住宅の「窓辺」から恋人を
見送る女性の心理をもとに描いた物である。
この作品は、春夏秋冬に当てた花のカラー画像を持つという新しい試みを持つだけでなく、
電子化するに当たって最初にBGMが付けられたという、著者にとっては非常に大事なも
のであった。
実は、この第[11]号が製本された当時のこの作品の番号は[11]番であるが、さら
に著者の高校での同期順は[11]期。この[11]は、無限回廊で著者が自らの象徴と
して選んだゆかりの素数なのである。

興味ある方は、是非「同人α作品」からα第11号に入り、上記作品の文章・花の色・曲
の演奏を味わって見て下さい。


2014年


「無限回廊 第十四回:評」より 2014/2/28

い登場人物の名前の付け方
今回作者は、十三の家族として、妻の七五三、長男の宙、長女の陽十三を登場させた。
そのうち数字を組み合わせて得られた妻と長女の名前の画数(この場合は人格)が、なん
と素数に成っている。
 即ち、七五三の人格は越智の智の十二画と七五三の七の七画を合わせて十九画、
    陽十三の人格は越智の智の十二画と陽十三の陽の十七画を合わせて二十九画と
いずれも一般とは大いに異なる独特の性格を示す素数であると同時に、既に他の登場人物
が持っている素数と同一の数なのだ。
恐らくは画数など気にすることなく付けたであろう名前に、このように同一素数が重複し
て現れるというのは、単なる偶然であろうか。
いやいや、矢張り無限回廊の行く末を定める運命の神のなせる業であろう。
?????

39

 

トルコへの繋がり

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月10日(木)18時24分3秒
編集済
  .

             トルコへの繋がり  



     長岡氏が長年取り組んでいるのが作品『肥と筑』である。
     日本のルーツを探る作品でもある。作品中何度も渡来人にぶつかる。
     徐福船団に象徴される渡来人、文化や技術をもたらした徐福のルー
     ツはトルコにありそうだ。トルコに触れた投稿記事は当然増える。
     トルコを扱った作品『三点作品』への氏の評では「私もトルコが大
     好きなので、本来の評を離れてつい筆が滑って」とあるように、氏
     のトルコに関する見識が繰り広げられ、[大好きぶり]が伺える。
          (各タイトルは編集部による)




鍛冶職と海人族の関係
2009/ 7/13

・鍛冶職と海人族の関係
海人族は、操船と製鉄の術を兼ね備えていました。
操船術は、母系の越民族から伝わり、綿津見・住吉・大山津見の神を奉じ鍛冶・製鉄術は、
父系のトルコ族から伝わり、大山津見の神を奉じています。
ですから、海人族が鍛冶職となるのは、本来の技術を生かしているのです。
(りらの空 合評より)



製鉄技術
2010/8/17

誰しも自分の先祖がどこから来て、どういう人達であったかについては興味を
持っていると思います。
当然、私もそうでした。
そこで、渡来人のことを調べている内に、今まで先人たちが取られた方法だけでなく地名
・人名のつながりを元にした人文的探索方法も、有り得る事に気がつきました。
この方法は、考古学のような専門的知識・フィールドワークを要せず、しっかりしたいく
つかの文献を探し当て、そこに載った関連記事を注意深く読めば、一定の結果を得ること
が出来る、強力な手段だと思っています。

最初の手がかりの一つは、製鉄技術でした。
実は、縄文時代にも日本に製鉄技術は有ったらしいのですが、大量の鉄を作るように な
ったのは矢張り弥生時代のタタラ技術で、これを西アジアから東アジアにまで将来したの
が騎馬民族のトルコ族です。

先ず、東アジアで最初のトルコ系王朝を建てたのが周王朝の姫氏です。
彼等は、黄河上流で今の西安の西の驪山(れいざん)を本拠地としていたトルコ族で姫氏
の姓氏を持つ驪戎から別れて農耕生活に転換し、西暦前1100年頃に殷王朝に取って換
わって鎬京(こうけい:西安の西)を都として周王朝を建てました。

この周王の祖である古公の長子の太伯・次子の虞仲は、事情があって、長江下流域に流れ
てきて、先住の越族の地に住みつき呉を建てました。虞仲は越族女性と結婚して呉王朝の
始祖となりました。ですから、呉王の正式姓氏は、周王と同じ姫氏であり、呉族の血筋は、
父系がトルコ族、母系が越族だったと言う事です。
彼等は、父系からタタラ技術、母系から操船技術を受け継ぎ言語的には、父系からアルタ
イ語族の特徴、母系から漢字を受け継いでいます。

私の推論は、渡来人の主流は、この呉越系であるという事を骨格にしています。
また、佐賀は渡来人が到着して生活した重要な出発点だったと言う事も解りました。
(肥と筑 第十三回 感想への答えより)



「徐姓」と「隗姓」
2010/8/19

「琅邪の鬼」の本、非常に面白そうです。

徐福が方士であり、その知識が多岐にわたっていたと言う事が前提にありその徐福の弟子
達が活躍している話のようですね。
彼等は、いわゆる鬼道の術を使っていたのかも知れません。

なぜなら
徐福の徐姓は、トルコ族の隗姓の分かれである事が解っていますが「隗姓」とは、元々「鬼」
と呼ばれる土地に住んでいる人を示しています。
ところが、トルコ族は殷王朝のころに、実際に鬼方とも呼ばれているのです。

徐福東渡の400年ほど後のことですが、邪馬台国のヒミコについては魏志倭人伝に、
「鬼道につかえ、能く衆を惑わす」と有ります。
このヒミコの鬼道と、道教との関係を指摘する人も居ます。
(「いつでも今から」より)



操り人形、傀儡(くぐつ)
2010/9/1

梁塵秘抄を唄った白拍子です。先頃話題になった祇王・仏御前もこの白拍子ですが、国々
を巡り歩く白拍子は、同行の男性が傀儡(くぐつ)という人形を操る所から傀儡女(くぐつ
め)とも呼ばれました。
所が、この操り人形、傀儡(くぐつ)こそがトルコ族固有の文化なのです。
私は、この傀儡(くぐつ)の伝来の歴史を探究することで、呉人を初めとするトルコ系民族
が日本に渡って きた足跡の一部を辿る事が出来ると考えて居ます。
({合評お答え 坂村真民・佐江衆}より)



弥生時代の言葉
2010/9/30

語順は今の日本語と同じで助詞を持ち、トルコ語と同じような8母音とその間の母音調和
現象を持つ大和言葉、端的には万葉集や古事記の言葉に近いヤマト言葉だったと思います。
なお、大陸では地方ごとに異なる特徴を持つ原始漢語がその地方の共通語として通用した
他に、漢族以外の少数民族は、民族特有の言語を話すという最低でもバイリンガル以上の
多言語を話す能力を持っていた筈です。これは、現在でも言えることです。
(肥と筑 第十四回お答えより)



トルコ音楽

私もトルコが大好きなので、本来の評を離れてつい筆が滑っても、どうか御勘弁を。

<三拍子>    2011/4/10
 著者は、日本社会の三点セットの連想から、トルコの三点セットについて論じています。
これについて興味深いことを思い出したので、忘れない内に書いておきます。
それは、トルコ共和国の民謡が中央アジアのトルコ系民族・モンゴル族・日本人の民謡と
似た特徴をもつと言われていることです。
良くいわれるのが、日本の追分や馬子唄に似た小節のある歌の存在ですが、この他にも
九州 民謡「五木の子守歌」や「津軽じょんがら節」と共通な、三拍系の拍子があります。
つまり トルコ音楽には、8分の9拍子や、2拍子と交互に現われる三拍子などの、三拍
系の拍子が存在しています。このような三拍子は、一説によると馬と人間とのリズムバラ
ンスから来ており、騎馬民族によく見られるとされています。
 この三拍子に関連するかどうかは解りませんが、佐賀弁にも独特の三拍子があります。
それは「ドンドンドン(太鼓)・ピューピューピュー(風)・ジャージャージャー(雨)
等、擬音を3回繰り返す習慣です。

上に見られる如き、日本の三拍子とトルコ民謡の三拍子とに、果たして関係有りや無しや。
著者のご意見を乞う。

<オスマン帝国の軍楽メフテル>  2011/4/16
万理さんの「三点セット」評の4 追加 音楽 において紹介されたメフテルの例、
「ジェッディン・デデン(祖父も父も)」を再掲します。
http://www.youtube.com/watch?v=kpOl4kxgD1c 実に勇壮な曲ですね。
 万理さんが二曲目に挙げた龍馬伝のテーマ曲も、タイミングの取り方は上記にそっくり
で二曲を合奏すれば、見事に和音になっているのではないかと想像しています。

・トルコ行進曲
ヨーロッパの軍楽は、オスマン帝国の軍楽メフテルを見習って出来たものです。
当然、そのブラスバンドの起源もメフテルの楽器編成に有るのです。
モーツアルトやベートーベンの作曲に代表されるトルコ行進曲は、メフテルに刺激されて
作られた曲だそうです。そもそもヨーロッパには、メフテルが用いている太鼓もシンバル
も有りませんでした。今でもヨーロッパで用いる高級なシンバルは、トルコ製が主だった
と思います。

・周王朝とトルコ族
中国では、周王朝のころから、太鼓は攻撃の合図、銅鑼は退却の合図に用いられましたが
周はトルコ族が建てた国なので、その太鼓と銅鑼がメフテルの太鼓とシンバルに受け継が
れていると考えると、彼らが持つ長い歴史を感じさせますね。

・メフテルの朗々たる歌声
イスラームの1日5回の礼拝時にモスクの尖塔から礼拝を呼びかける声(アザーン)
メフテルの声は、きっとこの朗々たるアザーンで鍛えられた声なのでしょうね。
いかにも男性的で、私は好きですね。
(「三点セット」 評より)



トルコの親日

<軍艦エルトゥールル号>   2011/4/10
日土両国の友好は、実は日露戦争より前の或る出来事から始まっています。
それは、1890年に日本を訪問したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、明治天皇
を表敬訪問し大歓迎を受けたあと帰国途中に台風に出会い、和歌山県串本沖で遭難したと
きの救助活動です。後に日本は、生存者を海軍の金剛・比叡の2艦でトルコに送り届けま
した。
このあと遭難者遺族に対する義援金を集めた山田寅次郎は、これを持ってトルコに出向き、
大歓迎された挙句、トルコの陸軍と海軍の士官学校で日本語を教えるよう依頼されまし
た。 文中に出て来るトルコの英雄ケマル・アタチェルクは、この寅次郎の教え子であり、
トルコ共和国成立後、寅次郎を招待して大歓迎したそうです。

<トルコ航空>      2011/4/16
 1985年イランイラク戦争の際イランに取り残された日本人215名を、トルコ航空
が自国民は陸路で帰れるから、と言う理由で自国民を後回しにして先に日本人をイランか
らトルコへ連れ出してくれたと言う逸話は、テレビで度々放映されています。
これは私が先に触れたエルトゥールル号の救難に発する両国信頼関係に基づくものです。
 この後も湾岸戦争直前の1990年の12月に、イラクに最後まで取り残された日本人
をチャーター便で連れ出してくれたのもトルコ航空でした。
(「三点セット」 評より)



「3」は最初の複数?
2011/4/17

 著者は、三点セットという言葉から、トルコで印象深かった三つの飲料に触れています。
これについて思い出すことは、アラビア語文法には双数という概念が有ることです。ほか
にアジアの言語では、ヴェトナム語と関係あると見られる南アジアのモンクメール語、イ
ンドのムンダ語にも双数が残っています。印欧語系にも昔は広く分布していたようですが、
今ではケルト系のスコットランド・ゲール語やウェールズ語、それにスロベニア語やソル
ブ語などの少数派言語に残って居るのみです。
 この双数概念は、本来目や耳などの一対の物を表わす形であり、このような言語では所
謂複数とは3から始まります。つまり、3は多様性の始まりとも言えるわけです。
著者が触れているように、オスマン帝国ではアラビア語やペルシャ語の影響が強いのです
がアラビア語では現在も、ペルシャ語ではその古形に於いて双数が存在するので、この双
数の最初の対立概念としての3が、オスマン帝国で特別の意味を持っていたのかも知れま
せん。  (「三点セット」 評より)



チャイ・アイラン・ラク
2011/4/17

さて、本来の三点セットに戻りましょう。

・チャイ
茶は、遊牧民族のビタミンC源と言われているので、トルコでも好まれるのですね。
チャイのコップが小振りなのは、水の少ない遊牧時代の名残であり、それでも今はチャイ
を日常的に喫するのは、水の豊富なアナトリア半島に住むが故でしょうか。
このチャイ用のガラスコップセットの写真が、2011年4月7日(木)14時07分34秒のお
知らせ(投稿者:同人α総務)で紹介されています。
チャイの同類でアラビア起源のコーヒーは、陶器コップセットを用います(次女がトルコ
土産に呉れました)が、上記のチャイ用のコップセットと、その姿・形が良く似ています。
ただし、コーヒー用カップは取っ手用の耳が付いています。

・アイラン
日常的に飲むヨーグルト、これは、初めて聞きました。そういえばトルコの北隣ブルガリ
アはヨーグルトで有名ですね。

・ラク
これも初めて聞く名前です。ラクは葡萄酒から作る蒸留酒と言うことなので、製法として
はブランデーと一緒ですね。
イスラームでは、飲酒は禁止の筈ですが、このタブーが解けたのはオスマン帝国時代の事
でしょうか。それともトルコ共和国に成ってからでしょうか。
いや、ハンガリーには牡牛の血(実は葡萄酒)伝説が残っているところを見ると、やっぱ
りオスマン帝国では禁酒だったんでしょうね。(「三点セット」 評より)



トルコ共和国とアナトリア(小アジア半島)
2011/4/17

★アナトリアと製鉄技術
トルコ共和国は、オスマン帝国の首都だったイスタンブール側を除いて、大部分の国土が
アナトリア側にあります。アナトリアは、トルコ族のお家芸である製鉄技術が、ヒッタイ
ト帝国その他により初めて生み出された土地です。1980年に首都アンカラ東方150k
m程にあるヒッタイトの故都ハットゥシャの近郊アラジャホユックにある遺跡が、当時最
古と見なされた製鉄遺跡であると同定したのは、実は日本の研究者、大村幸弘氏でした。
その後、アナトリアからは更に古い紀元前21世紀前後、ヒッタイトが栄える前の前期青
銅器時代のものらしい鉄器遺跡がアンカラの東南カマン・カレホユックで見つかっています。

★アナトリアとトロイ
トロイの遺跡は、アナトリア西端に有り、その始まりは西暦前3000年頃とされています。
ホメロスが「オデッセイア」で、ギリシアとの戦いを描いたトロイは下から数えて第7層
の「第Ⅶa市(西暦前1275~1240年)」に当たると言われています。
あくまで伝説ですが、イタリア半島にローマを建国したのはこの時ギリシアに滅ぼされた
トロイ人の子孫という話もあります。もしこれが本当だとすればトロイの東北のビザンチ
ン(現イスタンブール)に都を置く東ローマ帝国が出来たのは、先祖返りかも知れませんね。
また、ケルト族の伝説の王アーサーの先祖はトロイから渡ってきたという伝説もあります。
ケルト族のアーサー王の先祖が、トロイからイギリスへ渡ってきた中継地が、もしローマ
であったなら、ケルト語と古代ローマ語との類似性が見事に説明できます。

★アレキサンダーとトロイ
パリスの審判で知られるトロイの王子パリスは、トロイ戦争の原因を作った張本人ですが
その別名アレキサンドロスは、マケドニアのアレキサンダー大王の名にも残って居ます。
70万冊もの蔵書を持つ古代図書館で知られていたエジプトの大都市アレキサンドリアは
アレキサンダーの支配を記念して建てられた都市です。
そういう意味では、ここもトロイ文化の影響下にある土地なのです。

★アナトリア発祥の製鉄技術とトルコ族・周王朝
一時期は世界最古と見られた印欧呉族ヒッタイトの製鉄技術を、東方へ伝えたのはトルコ
族でした。(現在は、同じアナトリアに先行する製鉄技術があったと見られています。)
中国では、製鉄技術を伝来したトルコ族の驪戎の姫氏が、西暦前1100年頃に殷王朝を倒
して建てたのが周王朝です。周の建国時期は製鉄民族ヒッタイトが滅んだとされる西暦前
1190年と90年ほどの差が有りますが、これをトルコ族の東遷期間と考えると、面白い
推理が出来そうです。
ちなみに、青銅兵器を持つ強大な殷王朝を周王朝が破ることが出来た理由は、鉄製兵器の
使用に有りますが、周に関してもう一つ見逃せないことは、馬が引く戦車の形状です。
エジプトの壁画に描かれたヒッタイトの戦車の形は、車軸一本の三人立ち乗りの馬車です
が三人の中央が主人、右が御者、左が楯で主人を守る役です。御者と守護の位置が、左右
逆であることを除くとこの構成は春秋左氏伝等に描かれた周代の戦車にそっくりなのです
さらに言語から見ると、漢字[鉄]の音はトルコ語demirの音訳の可能性があります。
鉄の異体字には[銕]が有りますが、この字は夷(東夷)の金属と読めます。
ところが、周代で東夷の代表格とも言える江南の呉越両国は他の諸国とは異なり製鉄技術
に優れた国として知られていました。
それもその筈、呉国の祖の呉太伯は、周王の一族ですし、越民族はこの呉国の母系の先祖
に当たります。
トルコ族が中国にもたらした製鉄技術は、秦帝国のころまで寡占された高度技術であって、
普及はしていなかったのです。
評とは言いながら、なんだか今回も肝心の評が出来てませんね。ごめんなさい。
(「三点セット」 評より)



TVカメラの受注とターンキー業務
2011/4/18

トルコ共和国は、オスマン帝国の崩壊時に、イスラーム絶対主義と決別して政治は世俗の
指 導者が取るという道を選んでいます。このとき殆どの制度文物を、西洋から導入しま
した。
この政策は、その後もずっと続いて来たはずです。
それにも拘わらず、トルコ国営放送局のTVカメラとして、著者の会社が製作したシステ
ム が採用され、しかもそれがターンキー業務を伴うものだったということは、この会社
の技術がヨーロッパの技術に較べ卓越していたことを如実に示しています。著者はこれに
ついては多くを語っていませんが、適当な機会を見つけてそのシステムの進歩性、それを
得るために要した数々の苦労話等について触れた作品を書いて貰いたいものです。
(「三点セット」 評より



アンカラ
2011/4/18

著者によると、ここはローマ時代からの城壁や浴場跡が有り、さらにヒッタイト時代以降
の出土品を飾っている考古学博物館もあるといいます。ローマの浴場跡が有ると言うこと
は、上水道も通っていたのでしょうね。付近は肥沃な小麦畑があると言うことなので、豊
かな水もあったことでしょう。アンカラは全くの新開地と思っていただけに意外でした。
トルコ観光局のアンカラ周辺のガイド資料を見ていたら、面白いことに気がつきました。
それは、ローマ帝国、ビザンチン帝国に先だつ西暦前3世紀に、ケルト人が最初の首都を
こ のアンカラに作り上げたということ、さらに当時ここは海を愛するケルト人が碇を指
す単語アンキュラ(英語のanchorの同系語でしょうね)と呼ばれたということです。
ところが、アンカラ東方の製鉄遺跡アラジャホユックで製鉄を行なっていたヒッタイトを
西暦前12世紀頃滅ぼした民族は、何と海洋民族だったという説が有るのです。
トロイ滅亡は、西暦前13世紀と見られていてヒッタイト滅亡より少し前ですから、トロ
イ人とケルト人とは互いに知り合った仲だったと推定出来ます。なぜならトロイの都市自
体が海に面しており、彼らも海の民族だったと思えるからです。と言うより、トロイの民
族自体ケルト人の一派だったのかも知れません。
ケルト人がこの後のいずれかの時期に海に脱出して西に向かったとすれば、彼らがトロイ
の残党が建てたローマを経由しブリテン(これはケルト人の一派ブリトン人に由来する名)
島に辿り着き、その中からアーサー王が出たと言う仮説も十分成立し得る話です。
(「三点セット」 評より)



現代のトルコ民族とヒッタイトの製鉄技術とは何ら関係ないという意見について
2011/4/22

先ず新書版の護雅夫著「古代遊牧帝国」について言えば、私は当然この本を読んでいます。
このほかにも、トルコ族を含む騎馬民族については、同じ森雅夫著「遊牧騎馬民族国家」、
江上波夫著「騎馬民族国家」という新書がありますが、もちろんこれらも読んでいます。
しかしこれらは、騎馬民族についての解説本であり、トルコ族について詳しく述べた本で
はありません。詳しい情報を得るには、一次資料に当たってみることが絶対に必要です。

著者は、トルコ族が最初に歴史に登場するのは、柔然と同時期の高車だとお考えのようで
すが、歴史で最初に登場したトルコ族がこの高車だと思うのは、誤解なのです。
ご指摘のモンゴル族の柔然とトルコ族の高車の登場時期を一次資料の中国史書の記事から
探すと、北魏の史書「魏書」の列伝第九十一に載っています。これは西暦5世紀のことで
す。しかし、実はこれより1500年以上前に、トルコ系の王朝が存在していました。
すなわち西暦前1100年頃に、トルコ系の驪戎姫氏から出た周王朝が、先行する殷王朝
を倒して統一国家を作りました。

この驪戎姫氏が赤狄トルコ族だったという明白な証拠が有ります。
それは、春秋左氏伝中の晋国(周王朝の分家)の献公が赤狄の驪戎を討ち、驪戎の女性驪
姫を容れ、これが後になって同姓不婚の礼に反するとして非難されたという記事です。
なお、和訳付きで手軽に読める春秋左氏伝として、岩波文庫青帯の上中下三巻本がありま
す。 献公が驪姫を娶った話は、上巻の荘公二十八年(前666年)をご参照下さい。
もちろん、トルコ族のアジア大陸における分布地域は非常に広いので、この驪戎が現在の
トルコ共和国のトルコ族の直系の先祖であるというつもりはありません。
まして、驪戎がアナトリアで製鉄に携わっていた印欧系のヒッタイトの子孫だと言うつも
りもありません。これらの点については、確かに私の説明不足でした。

しかし、ヒッタイトが滅んだのは、その秘密にしていた製鉄技術が外に漏れたのが原因だ
とも言われています。
そこで、私が考えたのは、ヒッタイトの滅亡時に近くにいたトルコ族が何らかの手段でそ
の技術を入手し、そのあと東遷したという仮説なのです。因みに、騎馬民族の大陸横断の
速度は、例えばチンギスハーンの率いるモンゴル軍の移動の例を見れば納得出来ます。
なお、トルコ族がペルシャ文化の影響を受けていたのはオスマン帝国成立以前からです。
例えば、トルコ語で山をtagまたはdagと呼ぶのは、ペルシャ語からの借用語です。
同じ言葉が、恐らくトルコ語を介して日本語にも「たけ、だけ」として入っています。
槍ヶ岳、谷川岳などがその例です。 (「三点セット」 評より)



春秋戦国時代の臨淄に住んでいたトルコ人集団
2011/10/15

疑問の1:遺伝子による検証について
これについては、専門家が幾つか検証しています。
例えば、次の[日本人-Wikipedia]をご覧下さい。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#.E3.80.8C.E5.80.AD.E6.97.8F.E3.80.8D.E8.AB.96
遺伝子による検証については、学者によって色々な説が唱えられていますが、いまだ定説
と言えるほどの決定版は出ていないようです。
私にとって、この[日本人-Wikipedia]の文中で非常に興味深かったのは次の箇所です。

[中国の山東省の臨淄(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析では、
春秋戦国時代の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代の集団は
中央アジア集団のクラスターに入るものであった。]

これと直接の関係はありませんが、第二次大戦の末期にソ連軍が中立条約を破って攻撃を
仕掛けた挙句、シベリアに抑留した帝国軍人の血液を検査したことがあったといいます。
その当時はDNA鑑定などは無かったので、血液型の分布を調べたのでしょう。その結果
が発表されていないのは、ソ連政府に取っては好ましくない結果が得られたのでしょうね。

 さて、山東省の臨淄(りんし)にいたトルコ人集団が何を意味するか考えてみましょう。
山東省の臨淄とは、徐福船団の出港地と目される琅琊と同じ斉州の都市ですが、琅琊と臨
淄の間の距離は、100km余りという近さです。
この琅琊は、西暦前5世紀の春秋時代に越王勾践が呉王夫差を破った勢いを駆って北上し
ついにはそこに遷都した場所で、徐方の中心地の徐州とも200km以下の距離です。
 トルコ族出身の周王と同族である呉王の[余]姓と[徐]姓が通じることは今まで詳し
く論証して来ました。さらに、徐福の姓である[徐]は、国語の鄭語注によると、赤狄の
隗姓つまりトルコ族に属するとされます。徐方の[徐]姓は、元もと琅琊・臨淄の近くに
住んで いたのですが、越に敗れた呉王の残党の[余]姓も、越の琅琊遷都に伴ない北方
の斉州へと移住してきた筈です。
 つまり、春秋戦国時代の臨淄に住んでいたトルコ人集団は、徐方の[徐]姓か呉王の残
党の[余]姓であった可能性が高いのです。
このことは[徐福船団の渡来により、トルコ族のタタラ製鉄技術が我が国にもたらされた]
という私の主張を補強してくれる有力な材料となっているのです。



周とトルコ族
2011/10/15

評中に[滅亡時のヒッタイトの移動]と有りますが、アナトリア半島を中心に存在した古
代ヒッタイト王国の民族は、その言語から印欧系の民族です。
一方、私がヒッタイトの製鉄技術を受け継いで東アジアに東遷したと見ているトルコ族は、
アルタイ語族の言語を話すアジア系の民族であり、ヒッタイトの民族とは無関係です。
ただし、トルコ族の四頭立ての重戦車[駟]も、ヒッタイトから受け継いだ物でしょう。
トルコ族の周は、この重戦車の[駟]で、二頭立て戦車からなる殷の軍勢を破ったのです。
(肥と筑 第十八回 評のお答えより)



タタラから見た出雲と肥前
2011/12/5

・クマは、神を表わすことの証拠
明白な証拠を一つ、作品中に書き忘れていました。
それは、神代・神稲と書いていずれも[クマしろ]と読むことです。神代は、高校2年で
音楽を習った先生の苗字でしたし、神稲は長野県に残っている地名です。

・藤津郡太良町とタタラの関係
 これについては、α25号の肥と筑の第十五回で説明しました。太良町内の多良岳山上
にある多良嶽神社上宮の祭神は、タタラと操船に巧みな海人族の神、大山祇(おおやまつ
み)の神ですが、この神はタタラ製鉄の女神である木花咲耶(このはなさくや)姫の父親
です。
 この木花咲耶姫の本名は神(かむ)アタツ姫ですが、アタは火神を祀る愛宕(アタゴ)
山のアタと同根の言葉であり、実はトルコ語で火を意味するアタ、アテシと通じます。
 なお多良岳・多良嶽のダケは、トルコ語を介して入ってきたペルシャ語の山[dag]で
す。さらに太良町の隣の鹿島市には、伊福というタタラ関連地名が残っています。伊福は、
息吹くと言う意味で、タタラで利用する強い自然風が吹く地名として日本各地に残ってい
ます。 (肥と筑 第十九回評へのお答えより)



イスタンブール
2012/6/13

 作者が、かつて仕事でトルコに幾度となく滞在した際の実地経験に基づくトルコの首都
のイスタンブール街中の詳しくかつ貴重な体験記として書かれており、非常に参考になっ
た。
この都市は、東西の架け橋、地政的にはオリエントとオクシデントの架け橋であり、文化
的にはイスラム圏とローマ・キリスト教圏との架け橋である。
 この都市の特性を反映して、市内の代表的イスラム宮殿とモスクとは、近代トルコ建国
の父、ケマル・アタチュルクの英断により博物館に変えられている。そのため、じっくり
と時間を かけて見て回る事が出来そうだ。私に取って、時間と経済に余裕が有れば、是
非とも行って見たい場所の筆頭である。
 そこで希望を一つ。願わくは、数度にわたる滞在の際に撮り貯められた写真集を、碇文
庫と同様に、ニューロン・カフェから閲覧出来る竹内画像集として作成して貰えないだろ
うか。 (イスタンブール追憶によせて より)



渡来は山戎や孤竹にまで遡る
2013/10/7

 私が騎馬民族のトルコ族であろうと推定している山戎は、河北省唐山市にあった孤竹国
と隣接し互いに友好関係にありましたが西暦前七世紀に斉の桓公に攻められ一旦滅びまし
た。
 後にこの孤竹国の隣には、河北省中南部にあった鮮虞中山国の与国の肥国一族が移って
きて肥如国を建てました。この肥如国と孤竹国は、南方系(海人族系)習俗を持っていま
した。
 孤竹国の[竹]は筑前・筑後の[筑]と同音、肥如国の[肥]は肥前・肥後の[肥]と
同字ですが、孤竹国と肥如国は隣国、筑の国(筑前・筑後)と肥の国(肥前・肥後)も隣
国です。 因みに筑後には山門(やまと)郡が有りますが、山戎のトルコ語でも山はヤマ
です。
 以上の事実から、九州の肥と筑の両国は、孤竹国と肥如国および山戎が纏まって渡来し
て きた地方ではないかという[肥と筑]最初の仮説が生まれたわけです。
なお、日本への渡来人の祖ともされている呉太伯が作った呉国は、周王家のトルコ族を男
系南方系(海人族系)の越族を女系の先祖として出来た国なので、呉王家は周王の姫姓を
受け継いでいますが、いま述べた鮮虞中山国は、ある時期に周王の姫姓、恐らくは呉王の
姫姓の人物を支配者として受け入れています。
従って、この鮮虞中山国の国王にも、トルコ族と越族の血が入っているのです。
(肥と筑の評へのお礼より)



騎馬民族と水人族の結婚
2013/12/25

山幸彦はタタラの神である木花咲耶姫の子、豊玉姫は海神/綿津見神の娘。山彦が海の姫
といっしょになるのも面白い:
 これは、山に依っていた遊牧騎馬民族と水上交通に頼っていた江南の水人族の間の対婚
制度が徐福船団によって伝えられた結果と見ることが出来ます。すなわち、海幸彦は海人
族の、山幸彦はタタラ製鉄民族の、代々の族長に付けられた象徴的名称だったのでしょう。
というのも、船団長の徐福の徐姓は呉王の余姓と通じ、トルコ族の姓でもあったからです。
 実際、江南の呉を建国し、日本人の始祖とも見られている呉太伯とその弟の虞仲(ぐち
ゅう)とは赤狄のトルコ族が建てた周王室の一族であって、この二人は長江下流域の水人
族である越族の領域に移住してきて呉を建てたのですが、虞仲(ぐちゅう)の結婚相手は、
後に呉人と呼ばれるようになる越人の同族でした。(呉太伯は、祭祀長として独身を通し
ました。)
 徐福船団は、このような[山]のトルコ族と[海]の越族(呉族)との対婚の習慣を日
本に持ち込みました。その名残が瀬戸内海の大三島に残る海人族の神社[大山祇(おおや
まつみ)]神社に見て取れます。ここは海中の神社なのに、祭神名の[おおやまつみ]は
山の神であること、つまりトルコ系であることを示しています。それだけでなく、[おお
やまつみ]の娘である木花咲耶(このはなさくや)姫は、明らかにトルコ族の特技である
タタラ製鉄の女神なのです。
(肥と筑 第二十七回:評のお礼とお答えより)

27

 

著者前書き集3/讃集

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月 9日(水)12時26分30秒
編集済
  .

            著者前書き集3/讃集
                                 2011(29号)-2013(35号)




       神社をよく訪ねるようだ。氏にとっては歴史パズルを繙く大事なヒントが
       たくさん潜んでいるのだ。そして時々フラワーパクで花を楽しむ。
       あまり残ってはいないという赤ん坊時代の一枚が、がなんとも現在の風格
       を暗示させる一枚である。 (編集部)




『肥と筑  第十九回』 29号
2011/11/27

          

この画像は、住まいの近く、いつものフラワーパークで11月22日に撮ったいつもの写真
です。
背景と成っているのは、いずれもバラの花です。

さて、29号の題名を[兆]と選んだあとに、色々と不思議な暗合が続きました。
今回の[肥と筑」の前半では、出雲と佐賀とに共通する[スサノヲ]・[タタラ]・[クマ]
を追求していく内に、以前に別件で取り上げた神崎の櫛田宮を見直す展開となり、長い間
の疑問が解け始めましたが、それと同時期に出雲と佐賀においてそれぞれ重要なヒントを与
えて下さった人たちとの縁が生じました。

後半では、[兆]に因んで万理さんに依頼した亀卜の表紙絵がきっかけになって、無意識
と占術の関係について従来から考えてきたことを纏めて見ました。矢張りそれと同時期に
占術に力を持つ人との新しい縁が生じて来ました。これらは全て見逃し易い暗合なのです
が、通常では先ず起こりえない実に不思議な巡り合わせなのです。





『無限回廊 第六回』 29号
2011/12/25

          

これは多分、二十そこそこの大学時代、佐賀に帰省した時に、長年住んでいた大財町の家
の縁側で撮った写真でしょう。服装と風鈴から見て季節は夏です。この頃の腰回りは70
cm、若かったなあ。
一見真面目そうに見えますが、いつも何か面白そうなことを探していたような気もします。
もう一度あのころの風景に戻って周りの人と会い、ともに語り合って見たいものです。

実は、今回の作品には名前が出ていない共作者が一人、特別に存在しています。
文章中に垣間見える現代的表現は、その人のものです。誰だか解りますよね。
 長岡曉生


長岡さん讃
今と変わらぬ姿、と言うには多少無理がありますが、体重と若さを除けば今と直結します。
当時としては大分おしゃれな服ですね。ひょっとしてポーズをとっているのでしょうか。
三島由紀夫がこんな服と表情で写真に写っていたなあ。

まだまだ知らない顔を持っておられるようです。同人の掲示板と作品からだけではなかな
か人物像は描けません。何と言ってもたった二年です。
それにしても気取りや僕ちゃんだったんですね。憂いのようなものまで漂わせています。
あまり書くとぴしゃりと叱られます。そこがまたいいところでもあります。
 万理久利





『肥と筑 第二十回』 30号
2012/3/19

          

 これは、昭和52年の十一月、霞ヶ関の通産省工業技術院に出向していた頃の写真です。
場所は、当時居住の南柏の公務員宿舎の近くにあり、良くお参りした北柏の布施弁天です。
ここの弁天様の由来には、天女が村人の夢に現れて「我は、但馬の国朝来郡筒江の郷(今
の兵庫県朝来郡和田山町)から参った、我を探し祭りなさい」と告げたと有ります。
 知らず知らずの内に、この写真にも厳島神社に祀られる市杵島姫の化身でもある弁天様
と佐賀県と縁の深い兵庫県という、海人族と佐賀県にまつわる縁が見えて来るのが不思議
です。
 写真で、私と一緒に写っているのは長女の鑑子。当時4歳の鑑子の顔は、私の小さい時
の顔にそっくりです。この鑑子が成長した??年のちに、二人で共作した作品が、α23
号の[しんき郎とかげ郎]で、その著者名の[高野路 明子]は、二人の名前に因んだも
のです。





『肥と筑 第二十一回』 31号
2012/6/17

          

被写体事始め
これは、私にとっては最初の写真です。
割と不満そうな顔をしています。きっと写真を撮られるのが気に入らなかったんですね。
そこで、私がダダをこねないように、私の背後にになだめ役の人がいました。左耳の後ろ
にその髪の毛が僅かに見えています。このなだめ役を買ってくれたのは、碇さん姉弟の実
家、東与賀村大野の碇家に嫁いだ母方の伯母、富子です。
偶々二人の誕生日が同じだったせいか、この伯母には随分可愛がって貰いました。
小学生の頃は、良く一人で市営バスに乗り、この伯母の家まで遊びに行ったものです。





『肥と筑 第二十二回』 32号
2012/9/12

          

山百合
今年の7月25日に、近くの県立フラワーパークの岡の上に咲いている山百合を見に行っ
たとき撮った写真です。 今年の夏の傾向として、この日もなかなか暑い日でした。

この山百合は群生していて、満開の時期には写真同好会グループが画像を撮りに連れだっ
て訪れて来ています。

別の日に我が家の庭で撮った白百合のカサブランカの写真と比べて見ると、この二つは良
く似ています。
それもそのはずで、調べてみるとオランダで生まれたカサブランカは、日本の山百合・タ
モトユリ・鹿の子百合などを交配して生まれた花だそうです。





『無限回廊 第九回』 32号
2012/10/24

             鎧でかためた恥ずかしがり屋
          

グレイ・ブレイン 讃
今放映されているNHK朝のドラマに愛(いとし)という、人の目を見ることができない
青年がでてくる。目を見るとその人の本性がわかってしまうからだ。グレイも似たところ
がある。人をみているとその人の本音のようなものがびりびりと伝わってくる。歴史を俯
瞰してもグレイは同じようにその時代時代の人々、世の中のひずみ、本質が見えてくるよ
うだ。

それがもとで人の嘘を指摘し痛い目に会い続けたグレイはとうとう鎧を被ることにした。
汚い人間の心を見ないために、頭の上のかぶり物を降ろせば視界はゼロとなり、投げられ
る石も頑強な鎧が守ってくれる。嘘を見抜く力は同時に嘘をつく能力をグレイから奪って
いた。だから世渡りがへたくそで金儲けもできない。金がないから鎧も作り直すことがで
きず、ハンダゴテ、ニッパー、ボルトカッター等の工具を使い自力で何度も修理を重ねて
きた。今も[ヴィンテージもの]と自慢し、大切に使っている。

グレイは何と温泉好きらしい。鎧を外して素っ裸になり入浴客とおしゃべりをする。頭の
上にタオルを載せ湯船の中で鼻歌を歌うとも聞く。裸の人間たちは嘘をつきにくくなって
いるからグレイも平気なのだろう。
 エヴァ




『肥と筑 第二十三回』 33号
2012/12/18

          

平成24年の4月8日、花祭りの日にフラワーパークに花見に行った際、観光客用のベン
チに座って夫婦二人で撮った写真です。
当日は、真っ青な空が見渡せる全くの快晴日で、筑波山もきれいに見えました。

日本も、そろそろこの日の青空のように晴れ渡って欲しいものと願っています。





『肥と筑 第二十四回』 34号
2013/3/4
                            霧島神宮
          


引き寄せられて
昭和四十八年南九州への新婚旅行の際、3月21日に鹿児島の霧島神宮で摂った写真です。
著者画像を探していて、久し振りに出会いました。当時は、タタラに対する興味はなかっ
たのですが、その祭神の殆どは、次のように今回も取り上げたタタラや火に関係する神々
です。

主祭神
・邇邇藝命(ににぎのみこと):
  天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫で天孫降臨の主役

相殿神
・木花咲耶姫尊(このはなさくやひめのみこと):
  邇邇藝命の后神で彦火火出見尊の母、火の女神
・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと):鵜?草葺不合尊の父、山幸彦
・豊玉姫尊(とよたまひめのみこと):彦火火出見尊の后神で鵜?草葺不合尊の母
・鵜?草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと):神武天皇の父
・玉依姫尊(たまよりひめのみこと):鵜?草葺不合尊の后神で神武天皇の母

 さらに御念が入ったことに、霧島神宮のトップページには

   天孫降臨の地・霧島
     神々の息吹が聞こえる郷


 と息吹まで有りました。
 やっぱり、不思議な縁を感じます。





『肥と筑 第二十五回』 35号
2013/6/24
                              氷川神社拝殿
          

武蔵一宮氷川神社
 6月22日に、さいたま市の氷川神社にお参りと次回肥と筑の取材を兼ねて行きました。
この神社の祭神は、いずれも出雲系の須佐之男命(すさのをのみこと)・稲田姫命(いなだ
ひめのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)である神社です。
そのうち須佐之男命(すさのをのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)は、神崎の櫛田
宮に祀られており、大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社の主祭神の大国主命と同体
です。
 社格は、聖武天皇の時代に武蔵国一の宮とされ、醍醐天皇の時代には名濛膽メ(みょうじ
んたいしゃ)とされたというほど高く、宮中の新年四方拝で天皇が遙拝される神社の一つ
です。

 この神社にお参りして感銘したことは、神社で出会ったお参りの人が、老いも若きも全
て物静かで、つつましやかであることでした。この人たちは鳥居をくぐって境内に出入り
するときは、本殿に向かって必ず礼をしますし、本殿前の拝礼もきちんと順番を守って行
なっており、中にいるだけで自然と身が引き締まる気持ちになります。
 神社から大宮駅近くまで伸びている参道を歩いていても、同様の印象を得ましたし、参
道の両側にある土産物店・食堂でも非常に良い印象を受けました。





『無限回廊 第十二回』 35号
2013/7/22
                    幻の記念撮影(徐福;鶴良夫著『徐福海を渡る』表紙絵より)
          

徐福と並ぶ長岡さん 讃
35号製本の日、隣の席を空けてもらい、徐福さんに変わっていただきました。
著者の別作品「肥と筑」では徐福の足跡が緻密な考証とともにたくさん登場します。そし
て徐福率いる船団員たちが日本に上陸してから、知恵や技術を伝え日本民族もよく学び取
り、自分達のものにしていったことも。 そんな御縁で夢パチリ。

この徐福は遠い過去からの特別出演ですが、「無限回廊」では、地球崩壊前に他の星に移
り住んだ遙か未来からきた人間たちが登場します。タイムマシーン宇宙船団です。未来の
知恵と技術を積み込んだ宇宙船が地球に乗り込む風景は、まるで徐福船団のようです。
となると、このおどろおどろしい衣装を着たお方は未来からきた徐福ということもありえ
ます。何やら宇宙服、いや未来の人類の普段着なのかもしれません。

無限回廊の第四回で、登場人物[本郷淳吾]がサイボーグであることが判ります。話の展
開に思わず目をしばたかせましたがどうにか次ぎの回(章)を書きました。その後、長岡
氏の担当になったときにはもっと驚かされました。なんと登場人物はみな未来からきた人
間であると、また大きく話を前進させたのです。「サイボーグだけじゃおもしろくない」
とでも思ったのか、いや多分第一回から始まるこの奇想天外なストーリーに少しでも論理
的な筋立てをしたいと考えたのだと思います。

神話や歴史を大きなスケールで捉え、かつ緻密に調べあげ繋ぎ合わせていく、その作業は
未来を語る力にも繋がるのでしょう。占術にも長けていたという徐福、こうして二人を眺
めるとどこか似ているように思えてきます。外面のことではありません。
  2013.7.21 エヴァ(無限回廊共同著者)



25

 

長岡 vs.古賀

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 4月 4日(金)06時47分51秒
  .
                           長岡 vs.古賀




編集、印刷全般に渡り出版の要であった古賀氏のもとに、理科系男子が同人として参加し
てきました。古賀氏に質問をしながら状況を確認し、校正に始まり発行まで、労力だけで
なく、アイデアを提供していく様子がうかがえます。
二人のやりとりの中からさらにアイデアが登場しました。細かな作業の積み重ねと大胆な
アイデアが、現在の冊子および電子判に繋がっていったと言えます。  (編集者)




2007年


「同人α」小宮・山内さんへ宅配より 2007/5/23

同人誌は年齢や地域に拘り無く広がっていって居ます。こんど一人の仲間が増えました。
13期生・長岡曉生(ペンネーム)さんで高校の時の物理の小柳先生のご子息だそうです。




「新同人歓迎会」 2007/6/16

◆ 「同人α」新しい同人歓迎会
  出席者:小柳・田村・武藤・北島・熊井・東内夫婦・古賀
  小柳(ペンネーム長岡暁生)氏は太陽熱関係の研究では第一人者とのこと。しかし理学
  者という理論の世界に棲みながら、易に興味を持っているとのこと。そのギヤップは
  なぜなのか、追々分かるであろう。




間違いの指摘  2007/6/18

小柳理生さんから「同人α」第11号の間違いを指摘して貰った。
原本を早速直すことにしよう。

古賀様、
いつも編集と印刷に時間をかけて頂いているようで、ありがとうございます。
先日の歓迎会の席で、伝えるのを忘れましたが、私が気がついた範囲では、所有している
分のα11号について、以下の不具合(?)が有ります。
もし大増刷されるようなことが有れば、参考にして下さい。
すでに訂正されているならば、読み捨てて下さい。

【目次中のページのずれ】
武藤さんの分以降、1ページずつずれています。

【誤変換・衍字】
恐らく作者の修正見落としと思われる部分です。

p13 4行目
 誤変換・衍字では無く、このような場合の処理がどう決められているかは知りませんが、
碇さん本人から、6月11日朝の掲示板に以下のような書き換えの要望が、出ました。
      4行全体 → 3.   三椏の花妻のテストは選ぶべし

p26 1行目(本人に確認する必要は有ります)
 玉の腰 → 玉の輿

p29 最下行(本人に確認する必要は有りますが、鷲の紋が正解です)
 鷹の紋 → 鷲の紋

p30 3行(本人に確認する必要は有ります)
 戴して → 対して

p45 19行(明らかに衍字でしょう)
 時間のを → 時間を
p45 下から3行目
 右の街角の右が、この「冬」の場合だけ色つきなのは、意図された結果でしょうか。

以上、余計なお節介ですが。


◆ 小柳さんのご指摘有り難うございました。今回は時間もなくあわてて発行しましたの
  で色々問題があることを予想していました。なんとか経費節減のために B5版を作る
  のにB4版で印刷したほうが半分で済むという考えの基に始めたのですが、編集にお
  いて労力と文の配置の難しさで、会得するまでにはもう少し時間が掛かるようです。
  その分校正に時間と人手をかけられればよろしいのですが。なにせ編集に携わる連中
  は名うてのオーマンな性格の持ち主ですので、この辺でひとつポアロのような灰色の
  頭脳をお持ちの小柳さんの協力を仰ぎたいと思っています。
◆ 早速ご指摘の誤字、衍字は原本を訂正いたします。それからP45の「右」は色及び
    フォントも春、夏、秋とは意識的に変えています。色、匂い、形それに時間を加えた
    詩的イメージを作りたく、またいつも「左」の角を曲がって帰る男の姿が最後の冬の
  場面では「右」に曲がって消えていくところに、今までの関係が変化したことを表現
  したかったのです。
◆ それからバックナンバーが欲しいとのことだったので、今小柳さんの手元にある「同
  人α」をお知らせください。それ以前のものが少々ございますのでお送りしたいと思
  います。
                                   長岡




同人α第12号校正会 2007/8/14

◆ 「同人α」第12号の校正会を河口湖の山荘で開催。
  安芸・樋口・小柳・武藤・田村・細君・私の7人。





「同人αの出版」 2007/11/17

◆ 同人α第13号「楽」を当事務所にて発行。
樋口氏、小柳氏、田村さん姉妹と私の5人で70冊製作。以前のようにB5をB4に力づ
くで貼り付けていたが、「一太郎の最新版」を小柳氏より貰って冊子印刷が格段に楽に、
またミスも少なくなった。製本の作業も随分慣れたせいか丁寧で早く仕上がり、欠陥品も
少なくなり、製品の歩留まりも善くなった。後は校正の時間がもう少し欲しいところだ。




2008年

「小柳さんより」 2008/3/22

 窓辺にて-赤松次郎の日記の分量が164ページになり、綴じるのにホッチキスが使えな
いから、日記用のバインダファイルを探されたとのことですがある程度の部数を刷るのな
ら、市販の製本機を考慮されてはいかがでしょうか。ホットメルト製本テープ使用の糊付
け製本機で、200頁程度までは装丁できるものが各社から色々と出されており、綴じる
厚さにもよりますが数千円から1万円程度で手にはいるようです。消耗品としては、製本
テープと専用の裏表表紙を購入する必要がありますが一冊当たり200~300円で上が
るようです。また、1冊当たりの製本時間は、どれも1分以内で済むようです。
上の情報は、[ホットメルト製本機]をキーワードにしてネット検索すれば得られます。





「小柳 さんへの手紙」 2008/9/7

熊野古道から無事帰って来ましたので、いく前に頂いていたご質問にたいして、あくまで
も私個人の見解としてお答えします。

1.佐高11期ホームページの名称募集に関してはご指摘の通り9月3日まではブログに書
 き込まれてはいませんでした。この齟齬は、実質的にパスワードをもって操作する田村
 さんと私の職務の分担をはっきり決めていないために生じたもので、当分は譲り合った
 り強請したりの逃走・闘争を繰り返すことになりそうです。なにせ二人しか管理者メニ
 ューの中に入って操作出来る人、操作したいと思う人がいないのですから・・・。我々
 は出しゃばりといいますか、野次馬といいますか、困った性格です。

2.ホームページ名称募集の決定方法が不明確とのご指摘については、多数決にするか数
 に拘わらず運営委員の協議で決定するかはまだ決まっていません。その方法をどうする
 かはこれからの話し合いで決めると思われます。例えば、紙面の場で多数決によるよら
 ず、委員会の協議の上で決定されたとしても、皆さんがその名称を変えようという提案
 がなされれば、またそれはそれで名称を変えても良いという考えもあります。

3.運営委員のメンバー表や規約についてのご質問にたいしては、私も最初はきちんとし
 た管理規約の試案をつくり、決定されればブログに常時掲載して、佐高 11期のホーム
 ページの主旨や決まり事をいつでも誰でもが確認できるようにすべきだと提案しました
 が、営利上の問題や権利関係の取引でもなく、単なる友好のための会だからそこまでは
 するまいという事になりました。問題が生じたときはきっと私の作った管理規約を蔵の
 中から探し出す日が来ると確信しています。その日がこないことが望ましいのですが。
 運営委員のリストもまた会そのものが希望次第で参加・脱退が自由ですので融通無碍が
 すきな人達を尊重して載せないことにしています。

 運営委員の決定においては民主主義は実に効率の悪いしろもので、私個人としてはもど
 かしいことも多々ありますが、いまのとろ一番いいシステムと認めています。
 以上個人の見解を述べましたがご理解いただけたでしょうか。




「文字色変更の件」 2008/12/17

◆小柳さんより作品集の校正が早速送って来た。概略の仕事は早いがどうも精密さがなく
 て困る。その点小柳さんはきっちりと齟齬を指摘してくれるし、また対応が早いので助
 かる。




2009年

「小柳さんからのメール」 2009/5/13

 古賀さんも、目が疲れて居られるのでしょうね。
製本が月末になるのは、未提出の皆さんには好都合かも知れませんね。
 ところで私の方は、自分の原稿が終わった今、わりと暇な状態です。それで、行やペー
ジの整形に手間取っておられるようだったらご遠慮なくお申し付け下さい。字数や、行数
を決定してもらえれば、粗粗の整形は分担できますので。
 何せ、古賀さんが倒れられたら、アルファの作品集は、印刷でもブログでも立ち往生し
てしまいますから。なにとぞ、御身大事を専一にして下さい。
 お気遣い有り難うございます。小さい活字が老眼鏡をかけても全く見えません。度の強
いルーペを左手から離せなくなり、困ったものです。この前の診察で、次の眼底検査の結
果を見て、手術するかどうかを判断しましょうと 言ってくれました。
 編集にあたっての貴君の申し出ありがとうございます。なるべく作業を分担する方法を
見つけ出したいと思いますが、ワープロや写真処理やホームページ作成等のソフトがまち
まちで、なかなか美味く行かないのが現状です。
 今回は、田村さんも私もいろいろの催しが重なっているため、20日前後の出版が出来
ないと判断しました。思い切って月末まで延ばしましたので、なんとかできそうです。20
号からは、目を新品に取り替えるという訳にはいきませんが、せめて9号の大きさの文字
が読める位まで再生出来ではいいなとも期待しています。結論として今回の19号はなん
とか努力してみたいと思います。




「α第19号の編集・校正」  2009/5/26

先日小柳氏よりゲラ刷りの校正表を受けとった。今日北島氏より校正ゲラ刷りを受け取っ
た。O-chanのゲラ刷りは明日シネマ・デ・ジョイで受け取る予定。
それから総合的に全文の訂正をし、せめて29日(金曜)までは70部刷り上がってなければ
ならない。
 今回は目の悪い人のために(かく言う本人が一番悪い。倍率の高いルーペがないと何も
見えない、それと以前から三浦さんの希望もあったし)、字を大きくした。
 ◆ 字の大きさ:9号から11号へ
 ◆ 一行の文字数:40字から30字へ
 ◆ 行数は変わらず40行
 ◆ 普通の濃さの明朝をbold type(強調文字)にした。
1.そのため色々の問題が生じた。まずはエラさんの英文で、一行の端部 の英単語が別れ
 てしまうこと。
2.小柳さんのサブタイトルの強調文字が他の文と同じになり、めだたな いこと。サブタ
 イトルの文字を大きくするか、またはゴシック体に 変更するか、あらためて小柳さん
 と協議する必要がある。




「小柳さんからの業務連絡」 2009/8/15

 16日は、田村さんが京都行きと言うことを言の輪で読み、これを書いています。
今までの予定では、19日までにゲラ刷りを作っておくべきでしょうが
確かその日は、古賀さんの手術の日に当たり、たとえ前日に原稿を送付しても古賀事務所
で印刷するのは無理だと思われます。
 そこで提案ですが、ゲラ刷りはとりあえずA4版とするのはいかがでしょうか。これな
ら、我が家のレーザプリンタで文章を両面印刷で打ち出し、校正現場に私が持参すること
が出来ます。(残念ながらB5版の両面印刷はできません。)両面印刷の速度は、業務用
には及びませんが、1分間に22枚とかなり早いので88ページ程度までなら4分で印刷
できます。
 また、ゲラ刷りは、とりあえず手持ちのWクリップで綴じることが出来ます
もし、そうすることになった場合、ゲラは何部用意しておけば良いでしょうか。必要部数
を、お知らせ下さい。
ところで、今までに用意できていないものは、次の4項目です。
αの表紙絵(清水さん担当)
 これは、ゲラ校正時には、必要有りませんが 表紙絵だけは、先に印刷をお願い出来ま
すか。古賀さん、田村さん、私の原稿  私自身書くのが遅れて、申し訳ないです。
以上の件について、できれば15日中にご返事頂ければ幸いです。
なお小柳の休暇は、24日の月曜日までの一気通貫で取っています。




「小柳さんより」 2009/8/25

 遅くなりましたが、標記ファイルを送ります。筒井さん以降は、北島さんの校正された
分が行方不明になってしまったので後で見つけて、もう一度やり直します。田之頭さんの
本文も入れるのを忘れ、抜けています。取り敢えず、ここ々までを印刷して田村さんに見
てもらえますか。長岡分は、1行30字に整形するため、かなり手直ししました。




「長岡さんより」 2009/12/13

万理さん
このメール、今気がつきました。
作者紹介の写真と文の保存作業、有り難うございます。
★アルファのデータの保存
 アルファの掲示板への投稿文は、ごく短い一時期を除けば、残り全部が古賀さんのHD
 に収まっているはずです。もちろん作品集については、全データが保存されています。
 これらは貴重なデータなので、複数のバックアップを取っておくことも必要であろうと
 考えています。
★作者紹介
 ブログ上の作者紹介については、私の入会時においては、未だ様式も不定で、紹介文も
 他者が作る場合もありましたがデータは全て、古賀さんが保存されているんでしょうね。
★作品集との相互リンク
 今回、万理さんにお願いしているブログ上の作者紹介集は将来的には、作品集とリンク
 させて行ければ、面白いなと思っています。ただし、画像が増え過ぎるとブログの容量
 制限に弾かれる恐れは有ります。
★作品ごとの合評とそのリンク
 ついでに、掲示板上の合評のやりとりも各回の作品ごとに纏めて後で読めるようにして
 おくと便利ですね。これは、私の作品と他のいくつかの作品については、すでに試行的
 に作っていますが、投稿文中に合評と無関係な文とが混じる場合があってその切り分け
 に意外と時間がかかります。この合評集についても、将来的には作品集とリンクを張り
 たいですね。
★CD-ROM化
 あと、適当な時期たとえば10回ごとに、作品・作者紹介・合評応答を全て含んだ
 CD-ROMを作って見たいと言うことも、古賀さんと話し合ったことが有りますが
 時間を要することなので、なかなか実現に至りません。
★各作品を一元管理する識別標記
 私の場合、各作品は各回の作品集の番号(二桁の数)+作品の番号(二桁の数)+作者
 名と書き分けています。例えば、今回の場合は
     2101北島
     2102古賀由子
     2103赤坂
     2104臼井
 などと標記します。
 リンクを張るときは、この4桁の数字をキーにすれば、作品を一元管理できて作品の紛
 れを防ぐことが出来ると考えています。以上、思いつくままに   長岡曉生




「小柳さんより」 2009/12/25

 古賀さん
大変な作業をして戴き、有り難うございます。取り敢えず、新作品集について気づいたこ
とを、細かい点は除いて記します。 万理さんも、一緒に見て下さい。
●従来の作品集
・第11号の「事故」(田村さん)のリンク先が
 亮子さんの俳句へと、ずれた場所に繋がっています。
・古賀さんの2作品(岐路と沈み行く家第四回)で、作品にはいる
 とBGMが聞こえる仕掛けを見つけました。
 万理さんは、すでに気づいて居ましたか。
●著者別作品集
・3列表示される著者名の2・3列の間が、少し狭くなっています。
・著者名一覧と、個別著者名の2箇所に存在する「東内一明」は、正しくは「イマジン」
 とすべきです。
・大西さんの個別著者名は、他と同様に少し左に寄せないと
 直ぐに2行表示に成ってしまいます。
・良久子さんと亮子さんの姓は、冊子の表記に合わせてカタカナと した方が良いと思い
 ます。
・武藤さんと亮子さんの個人集で
 第21号の後だけ空白が大きくなっています。
・古賀さんの個別集で試みられている「前の画面に戻る」ボタンは 元の場所を記憶して
 いません。寧ろ、「作品集に戻る」と「作者一覧に戻る」との二つに分けて表示した方
 が解りやす いかも知れません。
・将来の課題として個人作品を一括して読み込み、その中を自由に検索できると合評の時
 に都合が良いと思います。
 (一太郎では、その気になれば出来ますが。)

●共通の問題
・緑色ゴチックの名称部分と
 その下の「このページでは過去に作成した・・・」の部分が 表示枠が縮まると、縦方
 向に極端に細長くなりますが その下の、表題欄または著者名欄と同じ幅の固定枠にし
 た方が 読者にとっては、見やすいと思います。以上です。   

20

 

犬を飼う

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月26日(水)21時35分45秒
編集済
  .


                 犬を飼う   




     長岡氏は個人的なことを殆どと言っていいほど掲示板で語りません。
     同人α作品の評と自作品への評に対する礼と質問への答えに集中し
     ているようです。氏の家に人以外の生き物がいることに気がついた
     のは数年前のことです。電話先からいつもキャンキャンとけたたま
     しい泣き声が聞こえてきました。
     その犬の鳴き声も今はもう聞こえなくなりました。
     火葬され手厚く葬られたそうです。投稿記事の中に僅かですが飼い
     犬の足跡が残っていました。
          (リリス 命日 2013.2.11)




犬を飼う
2009/ 9/22

ねこのはなさん、猫用の靴を求める方法ですか。
それより、新風児さんのミロ嬢のように白いソックスをはいた猫を見つけて、外から帰宅
するたびに履き替えさせると言う手が有るかもね。(誰が履き替えさせるんじゃ? それ
こそ血イ見るドー)

 我が家では、ここ茨城に越して来てから、猫では有りませんが、犬を飼うように成りま
した。東京の仮住まいでは、犬を飼う環境はとても求めようが無かったのです。
最初がジュピタ-(雌)、次がアポロ(雄)、現在がリリス(雌)で、みんな捨てられた
子犬を拾って育てました。
名前は、皆ギリシア神話(厳密にはローマ神話)に因んでいます。
 って、オイオイ。何か可笑しくないか?
ジュピターだったら男性だろうに。
そうなんです。実は、性別判定は私がやりました。外形から見ると絶対男性と思ったんで
すがね。つまり、黒猫のミーシャ君とは逆の性別詐称(?)で、我が家に入ってきたんです。
(誰の責任じゃ?)
 この子は、我が家が朝食を取っている時に、空いている玄関から入って廊下によじ登り
(生まれて直ぐの子犬の小ささでは、そう表現する以外は有りません)とことこと廊下を
歩いてきて、ちょこんと座って、食事中の私達を見てたんですね。そのかわいさと言った
ら有りませんでした。即、飼うことに決まりました。
所がこの子は、知らぬ内に妊娠してしまい、夫婦してどうしようと悩んで居る最中に外国
出張の仕事が来てしまい、何もするなと言い置いた筈なのに留守中に連れ合いが中絶手術
をしてしまいました。
町内のお寺で、子犬たちの供養をして貰いましたが、あの子供達はちゃんと良い所へ行け
たのかなあ、と未だに気になっています。

 お隣の確か Tigers さんだったと思いますが、老犬を苦労しながらも最後まで看取って
あげたという話が有りました。
我が家は、三頭とも屋外で飼っていた(いる)ので、亡くなった二頭とも老衰による自然
死でした。特に苦しんだりはしなかったと思いますが、二頭目からは蚊が媒介するフィラ
リアの予防注射だけはやっています。(野犬の寿命が短いのは、これも原因らしいですね)
 ペットを飼っていて一番悩むのは、亡くなったときになきがらをどうするかの問題でし
ょう。
新風児さんの4800平米の旧宅やねこのはなさんの御実家の様な広大なお屋敷では好き
な場所にお墓を作れるでしょうが、田舎とは言え、茨城の団地(一応1戸建て)では、そ
んな余裕は有りません。
関東圏にお住まいの皆さん、或いは名古屋の新風児さんは、この問題をどう乗り越えられ
ているのでしょうか。
保健所の対応も、土地によって色々と違って居るようですね。

(「猫を飼う?」より)





オッドアイ
2011/7/6

★オッドアイ(金目銀目)
 猫ではなく犬の例ならば、私も見たことがある。
17~18年まえの朝まだき、その頃は未だ団地内では一軒家に近かった我が家の玄関先
に段ボールに入れて捨てられた生まれたばかりの雌の子犬が二匹、チョコンと座っていた。
そのうちの一匹がオッドアイで、団地内の知り合いの家に貰われて行きもう一匹は我が家
で飼うことになり、未だもって存命中である。
 オッドアイの方は、10年ほど前にご主人が亡くなって奥さんが都会に住む息子さんの
家に同居することが決まった時に、保健所に引き取られて行った記憶が有る。

(「あした天気になーれ・第三回:評」より)





吠える
2012/3/5

  このところ我家は、寒さ対策に玄関に避難させた老犬リリスが、介護を要求して一晩中
吠えまくるという悪環境下にあり、おかげで私は慢性の睡眠不足、日中は炬燵でうつらう
つらの生活です。
というわけで、思いついた事を書くだけで、まとまった評は書けません。勘弁して下さい。

(「あした天気になーれ・第六回:評」より)

8

 

肥と筑十回合評御礼2009(4)

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月25日(火)10時58分10秒
  .

             肥と筑十回合評御礼 2009(4)




       同人α20号は創刊5周年を迎える特集号になりました。編集/印刷を
       中心となってやって来た人が目の調子を壊したこともあり、皆が発行に
       力入れた号でもあります。とりわけ長岡氏は発行に向けて時間を割いた
       ようです。そのためでしょうか、評入れだけでなく、貰った評への回答
       にも自然と力が入ったことがよく伝わってきます。





長岡さんへ  投稿者:モンニョ  投稿日:2009年 9月24日(木)20時40分

合評ではありませんで・・・長岡さんに、一言、お礼??をと思い、投稿さ
せていただきました。

お忙しい中、毎回、アルファーを送って下さって、本当にありがとうござい
ます。

さて・・・また、難解な「肥と筑」・・・
鉛筆、メモ、地図を用意し、覚悟を決めて、読み始めました。
と、と、ところが、今回、拍子抜け・・・
すらすらっと、一気に読んでしまいました。
長岡さんって、こんな文章もお書きになるのかなー?と、少し驚き、見直し
ました。

長岡さんのご家庭は、女性の方が多いからかもしれませんが・・・
女性の使う言葉もよく知っておいでだし、団欒の風景など、とてもリアル。
箇所、箇所に、お母さん、奥さん、お嬢さん・・それに、女の同級生の匂い
もちらちら・・・  以前にも書きましたが、
長岡さんは、同窓会があると女性の間で一番人気です。
よく話を聞いてくれますし、親身になって相談にものってくれます。
しかし・・・ひょっとすると・・・すべては、自分のネタ??肥やし??

まぁ、今回はとても読みやすかったので、ありがたいことでした。
次回も、あまり、眠たくならない「肥と筑」を、期待しています。





モンニョさん
2009/ 9/24

自分のネタ探しということは、ありません。
ネタのストックは、あと十年分程度は十分に持ってますから。
私はどういう訳か美人が好きなので同窓会でも、ついつい引き寄せられてしまうのですよ。

[道]について
私の元の職場にも、美人(本当です)の[道子]さんがいました。
ですから、[道]の字の成り立ちについては、私はよく知っていましたがここで、その意
味を答えることには、ためらいがありました。

いずれにしても、両親が心を込めて名付けられた筈ですから[道]の持つ良き意味がこめ
られている名前だと思います。

世の全ての[道子]に幸い有れ。





Nさん
2009/ 9/24

投稿文を作成中にNさんの文章が出ていました。

肥と筑の登場人物には、最初に役割を割り振って、これに対応する名前もそれらしく考え
ました。

響子の母親の文子(あやこ)と清香(さやか)の名前がローマ字で書くと解るように音が
よく似ているのは、それなりに伏線を張ったのです。
ぼけーとして、天真爛漫に生きているのは、正にこの清香なんです。

長身が多いのは、武道に長けている家族だからです。
特に、文子と響子と文子の分身の清香・高嗣は、巴御前の兄の子孫という設定(α第12
号p25)ですから。

でも、あまり手の内を明かすと、また赤松さんにお叱りを受けそうだからこれぐらいにし
ておきます。





      肥と筑 第十回 を読んで  投稿者:安芸  投稿日:2009年 9月27日(日)08時02分

      合評に参加したくて早朝読んでみました。毎度のことながら難しい、よくこ
      れだけ調べたものだ、が感想で合評には至りません。長岡さんは理工系が専
      門と伺っていますが文学部を出ていればよかったのに、といつも思います。

      肥と筑を読んだ人手を挙げて、と先生に言われ元気よくあげてみたものの質
      問には答えられなかった、とそんな状況であります。





合評御礼1
2009/ 9/28

●Gさん
  ・登場人物は実在の人物を投影しているか:
α同人及び友人知人をモデルに擬す事については、一度反発を食らった経験があるので、
ここでは触れないでおきましょう。
ただ人物像としては、故人を含めた俳優・女優を胸に描きながら文章を書くと、割と楽に
筆が進むのです。
というより、俳優・女優が自ら語ってくれるのです。
今回のコーヒーブレイク中の会話がそうでした。
勝手にキャスティングした俳優を、一部だけ挙げると
  後藤英夫:加藤剛(温厚な紳士のイメージ)
  後藤智美・和昭・高嗣:未定
  芳賀信行:堺雅人(ちょっとニヒルな知識人、宮崎県人)
       因みに、山南家の苗字は、NHKの大河「新撰組」で
       堺雅人が演じた山南敬助から取ったものです
  山南順照:丹波哲郎(周りを一向気にしない豪快な人物、故人)
       因みに、丹波氏はれっきとした秦氏の別れですが
       丹波哲郎自身、霊界に興味を持っていました
  山南文子:夏目雅子(天真爛漫な美人、故人)
  山南響子:稲森いずみ(薩摩おごじょで、示現流の初段)
  後藤清香:深田恭子(天真爛漫な美人)
       ちょっと小柄ですが、夏目雅子に似てますね

  ・日本人の特性となるとやはり民族的な特性なのか:
そうです。日本人の特性は、好奇心が強く、一人一人が何らかの面で工夫を重ねているこ
とだと思います。
この特性は、日本人が漢字仮名交じり文を用いることで、常に左脳と右脳とが協調して働
くようになっている事にもよると思います。
例えば日本人は、秋の虫の音・鳥の鳴き声を文字に当てはめて一種の言葉として聞いてい
るのですが、AlphaNumeric文字しか用いない
欧米人にとっては、これらの音は単なる雑音に聞こえるそうです。
日本人が持つ種々の複合性も、赤狄と白狄の融合以外の要因としてこの左脳と右脳の協調
性が大きく貢献していると思って居ます。

●安芸さん
文化系の学問でも、人文科学・社会科学などの言葉が有りますね。
科学という言葉を用いるのは、これらの分野において帰納と演繹という手法を取っている
からでしょう。
理科系の場合も帰納と演繹に依るわけですが、一定の条件下の実験データからは一定の結
論が出て来ます。これらのデータに対して、どのような理論・数式を用いて結論を導き出
すかは、いわば最適の解法を見つける謎解きの問題と見る事も出来ます。
つまり、理科系においても一種の謎解きを行なっている訳です。

人文科学中の史学は、同じ条件下で納得のいくまで実験を繰り返すわけには行かず、残さ
れた資料から昔のことを推定するわけですがそれなりに、問題が解けた(と当人は思って
いる)時の達成感は、理科系の、例えば数学の問題が解けた時の達成感とよく似ています。
結局、難しい問題が解ける過程とは、与えられた資料を対象にして長いこと考え続ける事
で深層意識に正解が形成されて行き、それが有る条件下に表面意識に飛び出して来る過程
であろうと思います。
何故そう思うかというと、長いあいだ解けなかった問題の答えが、朝ふとん中でのうつら
うつら状態において、つまり深層意識と表面意識の切り替え段階において、パッと浮かん
でくる事が、しばしば有るからです。





合評御礼の2
2009/ 9/29

●碇さん
  ・一番大事なことはなにか:
日本人は好奇心が強く、一人一人が工夫を怠らないということです。
これは、第四回にも触れたように、白狄の墨子にも共通する特性でしょうね。そのため、
日本では言葉で飾るのではなく実際に課題を実行してみせる実力が、尊ばれているのです。
もう一つは、何度も触れていますが、日本人の複合特性です。
これには、左脳・右脳の協調が、大きく関わっていると見ています。
この協調をもたらしたのは、やはり日本語の漢字仮名交じり文だと思います。(第六回を
ご覧下さい。)

●Nさん
  ・追加の配役?について:
母親智美:竹下景子(知的だけど、きっと冗談も好きな女性)
兄の和昭:????(温厚な青年像だが、まだ未定)
弟の高嗣:山本耕史(新撰組の土方歳三、かっこいいですよね)
     堺雅人と並んで、私の好きな男優です。
でも、こんな布陣の実現には、きっと無茶苦茶費用がかかりますね。
所で、丹波道場に入門されていたら今頃はミーシャさん主演の演劇の入場券は、庶民の手
が届かない高値になってたんでしょうね。

  ・コーヒーブレイクで大変楽しみましたありがとうございます。:
この部分の分量は、6頁強で今までの例を大きく超えています。
実は、これは苦肉の策なんです。
なぜって、今回は校正と割り付けについて、赤松さんの肩代わりを臨時に仰せつかったの
で、自分の執筆時間が取れなくなり、新たに論の部分を書き起こす余裕がなかったのです。
でも、その方が読みやすいという想定外の感想も貰いましたが。
なお、次回からは元の配分に戻すつもりです。
(えっ、最終回じゃないの? と同人のため息が聞こえてきそう)

  ・ペットの葬儀と猫の目:
貴重な情報有り難うございました。今まで知らなかったことが、良く解りました。
人間の目も網膜の裏に反射板が欲しいなあ。

●Oさん
  ・サスペンスを録画に回してひょっとして、十津川警部のサスペンス?:
私は、最初から最後まで見ました。なんて、いじめっ子しちゃいけませんよね。

  ・会話を誰がやっているかが問題:
一応、相手への呼びかけ方を変えて、区別は付けたつもりですがそれでも判然としないと
きには、名前を出しています。
何故、このような面倒くさい形を取ったのかというと一つは、吟遊視人さんが先に指摘さ
れたように、会話で面白みを加えたため一つは、異論が出たときに備えて、想定問答形式
をとっているため(推定の文章化に当たっては、事前の検証が不可欠です。)ということ
なのです。

  ・シナリオとして書いた方が面白かったのではないか:
シナリオは、動画を大前提にしています。シナリオに添った動画を見ることが出来れば、
筋や人物像は一目瞭然ですが動画無しにト書きを耳で聞くだけ、あるいは文章を読むだけ
では、解り難くまた煩瑣に感じるのでは無いでしょうか。
心理描写については、一応会話中に含ませた心算ですが、これだけでは、確かに不十分で
すね。

  ・兄の特徴が不明確である:
長男和昭は、会話に出る機会が少ない父親の代理・代弁者です。これは、一般家庭の長男
の役目ですね。それでも、同年配の人物との掛け合いは彼が軽妙にやっていますし毎回の
締めについても、結構受け持っています。

  ・母親智美のモデルは誰なのか:
あくまで、想像上の人物です。カミさんではないことは確かです。

  ・話の内容がくだけ過ぎ:
その通り、親子間では多分有り得ないような会話ですね。でも、コーヒーブレイク中の会
話は、思いっ切りギャグ漫画を想定していますから、こうなってしまいます。
議論部分との落差が、大き過ぎますか? まあ、大目に見て下さい。

  ・視点はどこにあるのか:
論については、あくまで俯瞰的な、言い換えれば中立的視点を想定しています。(私が所
属する理科系では、これが標準形です。)
コーヒーブレイク中は、ハメを外した漫画的視点で書いて居ます。
(そんないい加減な視点、有ったっけ。)





     肥と筑 シナリオ化  投稿者:ふきこ  投稿日:2009年 9月29日(火)08時13分

     作品評も 思いつかないので、人の評に便乗して 感想を少し書いてみます。
     読みやすいといわれている今回の「肥と筑」を 目を凝らして読んでいたとき
     に、小さな研究発表の資料「絶滅する動物を追って」のシナリオ化、劇化のこ
     とをチラと思い出しました。二幕もののショート・シナリオの単純なものでし
     たが、結構好評でした。
     劇化したので、受けがよく内容についても理解が得られたようです。

     α の舞台で 劇化するのは αの本髄からはずれた 邪道になるかもしれな
     いですが、長編ものがいささか苦痛になった私如き老眼、遠眼、かすみ族には
     読解が早まるかも知れません。掲示板で動画も見れるそうですので、しんどい
     立ち回りを避けて椅子に座ってできる人形劇をα劇団で上演していただくと目
     をほそめながら、肥と筑の全容をたちまち脳裏にやきつけることができるかも
     しれません。古賀事務所作製の小型照明器(回転式の4色ぐらい)で舞台効果
     を上げてもらって。
     身体の動きの悪い者ほど、自分ではできそうにないことを思い描いてみるよう
     です。 ひやかし、かきまわしのつもりはありませんが、ちょっと幻想に浸っ
     てみました。
     長岡さんの「肥と筑」は こちらでも 読んでいる人が多いです。





合評御礼の3
2009/10/2

期間を過ぎましたが、勤務明けで時間が出来たので書いています。

●赤松さん
  ☆語り部達がいつも一緒に同じ舞台に立っていてその舞台から離れた時間・空間での
   個人としての生活、生き様が描かれていない:

確かに、彼らの個別の生活がどうなっているかと言う点は、描き切れていませんね。
実は、肥と筑を書き始めるとき考えたことは、どういう風に内容を語れば、読者に受け入
れて貰えるかと言うことでした。
一人の作者が論を展開すれば一番すっきりしますが、それでは話が堅過ぎて、誰も読んで
呉れないでしょう。やはり、人に読んで貰うには謎解き形式が一番ですが、その場合にモ
デルとなるのは、推理小説中のBed Detectiveでしょう。
これを実際に歴史物に応用した例としては、高木彬光描くところの名探偵神津恭介が謎を
解く [成吉思汗の秘密]、[邪馬台国の秘密]が有り、何れもワトソン役の松下研三を伴
っています。
しかし、この形をそのまま模倣するのは気が進まず、作中で論じる分野も広いので、数人
の家族と友人に得意技を受け持たせたのです。
この結果、各個人の生の生活を描くまでには至りませんでした。そこまで描くと、私の筆
力では論点が散漫に成ってしまうと思ったからです。
論と生の生活の併存は、吟遊視人さんが上手くこなされているので見習うべきだとは思っ
て居ます。

  ☆読者の中にはその俳優を知らない人も居ることだろう:
確かにそうですね。私も皆さんの挙げる外国人俳優については、まるきり知らない事が多
いですね。でも私の場合は、興味が湧けばその都度対象を調べて知見を広めるように努力
しています。

  ☆歴史上の真にたいして人間の不可解さを虚と対比させたら[人間の不可解さ]の人
間と仰るのは、歴史上の人物を指すのでしょうか、あるいは現代人を指すのでしょうか。
後者でしたら、現在も専心学習中であり、これらを書き下すまでの筆力は、まだまだ私に
は有りません。

  ☆「ぎゃすぎゃすどんく」の振りをして:
済みません。「ぎゃすぎゃすどんく」というのは佐賀弁ですか?
私は、生まれてから18年間佐賀市内で生活を続けてきましたがその意味が全くわかりま
せん。(本当です。)宜しく御教示下さい。

●Rさん
コーヒーブレイク中の会話は、時間が足りなかっためにエイヤっと書き下ろしたもので、
時間としては従来の論の部分の1頁程度しかかかっていません。
同人の皆さんには堅い人間と誤解されているかも知れないけれど、オレって、もともと冗
談大好き人間なんですよ。

●Oさん
  ☆「肥と筑」と「肥如と孤竹」の関係はどこに有るのか:
これは隣り合う位置関係(α14号p23の地図参照)および隣り合う民族関係(白狄の肥
と赤狄の混じるチク)の二点からみた関係を言っています。
なお、筑と竹は、古代でも同音です。

  ☆伯夷叔斉が位を弟に譲ったというエピソードが、呉太白と弟のじというヒントは何
   を意味するのか:
これは、古代の東アジアでは、長男は独身の司祭者であって、子は持たなかったこと、世
俗的相続者は次男以下だったことを指します。
日本でも、初期の天皇家の長子は司祭役でした。

  ☆日本民族の複合性をその出生に見るとするのはとても面白い:
はい。これが作品の眼目です。

  ☆盛り沢山の事を詰め込むと消化不良を生む
ごもっともです。消化不良になりやすい方はビオフェルミンや大正漢方胃腸薬を飲むか
コーヒーヌレイク中の会話をお楽しみ下さい。(でもケ-キを摂りすぎて、糖尿に成らぬ
ようにご用心)

●ふき子さん
  ☆古賀事務所作製の小型照明器(回転式4色ぐらい)で舞台効果を上げて人形劇をα
   劇団で上演して:
赤松さん、小型照明器の製作を宜しくお願いいたします。そのついでに、小型文楽ロボッ
トの製作もお願いいたします。シナリオは、Oさんに頼もうっと。
(↑全部、人任せかい?)

  ☆「肥と筑」は、こちらでも読んでいる人が多い:
有り難うございます。心強いお言葉です。
佐賀にも読者が居ると聞くと、書き甲斐が有ります。





赤松さん
2009/10/2

  ☆「意識の流れ」などにはまりこんでいる純文学系:
成る程、赤松さんは、意識も含んだ人の動態に興味があるんですね。
私も一応興味は有るのですが、何せ経験が浅いので、取り敢えずは人の意識構造、つまり
静態の描写中心で行く他は有りません。

  ☆作者自身の観察による登場人物の詳しい記述を望んでいる:
ご趣旨は、了解しました。でも今から急に容姿・性格の記述などを始めたら、読者一人一
人の懐く像を壊してしまいそうだなあ。

  ☆静と動、裏と表、真と虚:
裏と表、真と虚などについては、世界中の政治家達の像を嫌になるほど見ています。これ
以上身の回りから探し出して書くのは、もう澤山だと言うのが本音です。せめて自分が描
く世界ぐらいは、世間の夾雑物抜きで静と動を記述して見たいと思って居ます。

  ☆「ぎゃすぎゃすどんく」の意味:
ご教示、有り難うございます。これは、佐賀市内の言葉では無いと思って居りました。

  ☆物書きを趣味や生業としている人は、髪がふさふさなのはなぜ:
きっと、頭の中に色んな考えが一杯詰まってはち切れそうになっているので、文章や講演
として出し切れなかった分が髪の毛になって噴出して来るんですよ。
その真偽のほどは、慎重に確かめる必要が有りますが。 有り

8

 

同人α作品合評他2009(3)

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月25日(火)09時30分38秒
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             同人α作品合評他 2009(3) 




        長編「肥と筑」にみられる、探求心と緻密性が合評投稿にもよく
        出ているように思える。同時に見え隠れする遊び心と優しさも。

         (評論集には掲載されていないものを掲示板記録の中から拾ってみました。)





同人α20号作品合評他

『猫と青春の歌謡曲』
2009/ 9/8
先ず、表紙絵の印象

 表紙絵を見たとき、透明感のある絵だなあと言うのが第一印象でした。
右足の左側に当たった青みがかった光がこの印象を強めています。
一方で左足の外側は、寧ろ影になっているという不思議な構成です。
この不思議な光は、瞑目する女性の心中から前面の猫に向かって出された観照の光なんで
しょうね。
女性の額と喉元の白さ、閉じた瞼もこの見方を裏付けているように見えます。
 そう思って全体をよく見ていると、あら不思議、3匹・4匹・5匹の猫たちが出現しま
した。
右足下の1匹は、もちろんハッキリ見えています。
所が背後の鏡の中に、巨大な1匹左足下のデキャンタとカップの外形中にも、尻尾を持ち
上げ女性を見上げる猫窓(棚?)の下には、尻尾を持ち上げ食事中の黒猫椅子の後ろには、
ミーシャを産んだ白猫のタマ(でしょうね。)
最初の1匹以外は、既に世を去って作者の心中に住んでいる猫たちなので第三者からは、
形が朧になっている。彼らを目に見える形に成しているのは、目を閉じた女性が心中の記
憶に対して当てている意識の光(唯識の妙観察智)と見たのは、考えすぎでしょうか。

次に、前書きについて
 前書き中には、これまた画家らしく青と黄(金色)の補色の対が二度も出て来ている。
総体に前書きの文章を見て受けた印象は、この人は日頃から物書きに慣れている人だなあ、
と言うことでした。

最後に、作品とそのテーマについて
今回の猫というテーマは、大当たりでしたね。
日本では、これだけ猫が親しまれているとは知りませんでした。
私自身は、猫は飼ったことがないので青春と恋にかかる部分だけ書いてみましたが、偶然
その中で取り上げた生まれ変わりの件が清水さんと共通になり、面白いなと思って居ます。
しかし、人のそっくりさんは良く聞く話だけれど、御猫様にも居たとは驚きです。
一つだけ質問が有ります。
黒猫のミーシャは、初代のチコが亡くなった後にやってきたんでしょうか。
当初はミーシャと呼ばれ、成人(成猫)後にチコを受け継いだんでしょうか。
細かい事ながら、なんだか気になるので、聞いてみました。





『オランダ語を話した猫、ミロ』:合評
2009/ 9/20

 私は小さい時から今まで、犬を飼うことはあっても猫を飼った事はない。(だって猫は
外で遊んだあと家に入る時に靴も脱がず足を濯ぐ事もしないものね。そんな状態で畳の上
を歩かせたくはない。)だから話に聞くだけで想像する他はないが、犬は飼い主に非常に
依存し感情を共有する生き物なのに、猫は割と人と距離を置く生き物だと思っていた。
 そう思うのは、飼い犬は狂犬病にかかる危険性と割と大きな牙を持つために、常に綱で
繋がれている為に自分で餌を取ってくる能力を失っているのに対し、飼い猫は牙や爪が小
さくて人に危害を加える危険が少ない一方、外で狩りをする能力と自由を幾分か保って居
ると思うからである。

 しかし今回の特集号で集まった作品を読むと、猫だって幼時から飼われた場合、人同様
の感情を持つようになる事がよく解りました。
(飼い犬の場合は、ハッキリと喜怒哀楽が有ります。)金髪女性への面当てにダブルベッ
ドの真ん中におしっこするなんて並の御猫様じゃあ無いな。完全にシャッポを脱ぎました。
 更に、当作品ではオランダ語やフランス語の会話?まで環境次第でこなせそうだと言う
事まで解ったことが大収穫でした。(でも、ホントですか?桜井さん)

 所で、猫の目は夜の闇の中では光って見えるけど、犬の目はあれほど光っては見えない
のは何故だろう。同じイヌ科でも狐や狸の目は光って見えますね。その差は野生という点
に有るんでしょうか。
誰か知っていたら教えて下さい。





『蛍・その静かな乱舞(北限にて)』:合評
2009/ 9/20

Onさんの詩(私は、この作品をそう見ます)の場合、現在形と過去形とが混在し情景へ
の感情移入とそれを振り返った自分としての二つの視点が併存していると言う独特の作風
があり、読む人へ不思議な想いを伝えていると思います。
(第12号の恵庭岳の詩がそうでしたね)
特にこの詩の場合、蛍の点滅する光がなおのことその効果を強めているような気がします。

本当に不思議な作風です。



On様
2009/ 9/27

私が書きたかったのは、喜多野さんの斬新な手法によってこの詩に不思議な雰囲気が生ま
れていると言う賞賛と肯定の気持だったのですが、上手く真意が伝わらなかったようです
ね。

もう一度、合評を読み返してみると、私の感想は沼南ボーイ氏の時の流れ云々の感想と、
一脈通じる所があったのかなと思います。





『わが街』:合評
2009/10/4

・読んでいて、つい引き込まれる流れるようなリズムこれが今回の作品の大きな特徴です
ね。これも、よほど文章を書き慣れた作者にして出来る技なんでしょう。
ブログの写真も、作品にピッタリの若き日の楽しみながら元気に駆け廻っているお姿。そ
の説明文中に「♪そんな時代もあったね」とあるように、何だか中島みゆきの[時代]を
思い起こさせる写真で、人生を謳歌している状況ですね。(作者は人生謳歌の[天喜星]
を二つお持ちです。)

作品のできばえについては既に皆さんの好評が出尽くしています。
そこで、少し違った観点から分析してみましょう。

・大阪弁と京都弁
作者自身もチラっと触れているけれど、文中に京都弁との違いを感じます。長い文中に句
読点が少なく、大阪人の立て続けの話し方を良く反映しているような。
でも実際にご本人と会って話してみると、何だか物静かな雰囲気でどちらかというと、京
都人に近いような印象だったんだけどなあ。

・大阪弁と共通語の使い分け
説明や断定する部分は、3箇所の文末が「である。」となっている。
文中の大阪弁の口調を押し通すとすれば「なんや。」でも良さそう。
これはやはり、普通の語りでは大阪弁、堅い部分では共通語という使い分けが、無意識中
に成されているんですね。

・大阪弁の音便変化が面白い
音便は、九州弁とほぼ同じなので特殊な単語以外は我々が聞いてもほぼ理解できるけど、
テレビなどで会話を聞いていて時々おやっと思う事があります。
例えば、作品中の「もの悲しいて,なんか切のうて」と言う言い方これが九州なら「もの
悲しゅうて,・・・」と言います。
つまり、文法的には連用形を用いるべき箇所に、大阪弁では連体形(或いは終止形)を用
いる場合が意外に多いと思います。
これは、最近の言語習慣なんでしょうか。それとも昔から有ったんでしょうか。(また、
質問してる。)



「もの悲しゅうて・・・」
2009/10/4

Tさん。
・物静かな雰囲気
思い出しました。京都人と書かずに、船場のいとはんと書くべきでしたね。
失礼をば致しました。

・連用形
九州弁も、「もの悲しゅうて・・・」となります。
先の投稿は、タイプミスなので修正しておきました。

[大阪弁では連用形を用いるべき箇所に、連体形(或いは終止形)を用いる場合が意外に
多い]と書いた例として、「このライターが置いてあった」と普通は言う所を、
「このライターが置いたあった」と何度も終止形を記して有るのを見たからです。
名探偵コナンの浪速の相棒の服部平次の台詞です。
(おいおい。マニアック過ぎる例だろうが)






『猫の風景』:合評の1
2009/10/16

・新しい表現形式:長歌と反歌(短歌)の復活?
一読して、何となく山上憶良の貧窮問答歌を思い出しました。
そこまで言うのは、飛躍しすぎだって?
 いいえ、その形式を見ると或る長さの記述(この場合は散文)の後に、これを短歌で補
う配置が取られています。
これは万葉集の長歌と反歌(短歌)からなる形式の復活なのか?
作者は、しばらく小倉百人一首の紹介も手がけられてましたしね。
そういう見方をすれば、短歌の数は2首程度にした方が表現したいことに焦点が定まって
良かったのかも知れませんね。(あくまでも個人的意見にすぎませんが。)

・途中の5行の説明文の位置
これについては、私もちょっと違和感を憶えました。
この部分は、合評直前に掲示板で説明するか作品に一体のものとして含めるならば、註と
する方が良かったのではないでしょうか?

・Hさんのこと
この方の正体は、私には一発で解りました。
Hさんは、露悪趣味というよりも、この方本来の優しさを前面に出すことを恥ずかしがる
偽悪者というべきでしょうね。
なお、当時の赤坂の職場環境について何がしか興味をお持ちの方はα第12号中のHさん
の不朽の名作「佐賀のガバい姉ちゃん」をご覧あれ。
(←と書いたら何のことはない。既に作者自身が紹介済みでした。)



  猫の風景:合評の2([夜の蝶と野良猫]の描写)
2009/10/17

今日は、お昼から11期生の同窓会が竹橋で開かれている筈です。
(古賀さん。増刷・製本は、間に合いましたか?)
というわけで、鬼さん達の留守中に、好きな事を書き込みましょう。

★[夜の蝶と野良猫]の描写
他の方々から、もっと詳しい描写を求めている意見がありますが私の意見としては、ここ
は今のままの記述が良いと思います。
と言っても、私が樋口さんのことを幾らか知っていたからではなく作者の思い入れが深い
分だけ、なおさら簡潔に表現したい場合が、絶対に有ると思うからです。
 心を打つ詩は大抵がそうだし、読者で変わる種々の受け止め方はそれ自体で文学の奥深
さの基盤と成っています。
また作品中の選ばれた表現・言葉は、読む人の感性を育てる役目も負っているような気が
します。
 一方、理系の技術文書は、読者の受け取り方のブレを極力抑えるよう書かねばならぬと
言う点で、この対極にありますが。

表現を単純化すると
 文学作品は、ある言葉の持つ連想の幅により意識世界を拡大し 技術文書は、定義を重
ねて連想の幅を狭め意識を集中させると言うように模式化できます。
(更にこれを純化した両極致が、密教観法中に有ります。)

★樋口さんが抱いたのは、愛情と言うより共鳴なのではこれは、言葉の使い方の好みに過
ぎないと言われそうですが樋口さんが[夜の蝶と野良猫]と言う対象を見て持ったのは、
愛情というより、共鳴だったのではないでしょうか。
つまり夜の蝶は、野良猫を見てそのつらい境遇に共鳴し、野良猫は逃げること無く、一種
の共鳴から、その愛撫を受け入れている。
樋口さんは、この組み合わせに悲哀を感じつつも彼らが持って居る共鳴状態に共感、つま
り優しく感情移入している。

  この入れ子構造の共鳴状態を一瞬の内に見て取って、これに共感し最も外側の
  マトリョーシカ共鳴を作った作者が、この樋口さんの優しさに対して、そこは
  かとない愛情を持った。

と言うのが、真相なのでは、ありませんか。
だからこそ、作者は饒舌な描写を避けたのでしょう。

ちょっと考えすぎと言われるかも知れませんが
多分、これが正しいでしょうね。(オイオイ、ホントか?)



猫の風景:合評の3(和歌について)
2009/10/19

★大恋愛をしたら恋の歌を万葉人の様に詠みたい:
   いや、それは楽しみですね。
   私もαにもう暫く在籍して、作者の成果の秀歌を見届けましょう。

★作品中の和歌:
   R子さんの意見は、和歌の数を減らして最初に置いた方が良いとしています。そう
   いう趣向も斬新だし、最初の和歌を眼にした人が、この歌は一体何を示しているん
   だろう、と文章への興味を増幅させる効果が期待できますね。

   和歌自体の善し悪しは、私には判断する力量が不足しているので他の方々にお任せ
   します。ただ言える事は、この場合のように詠む対象とその置かれた状況が極度に
   絞られた場合、これを多数の独立した短歌の形で表わす事は専門の歌人でも、かな
   り難しいのでは無いでしょうか。
   寧ろ、万葉の長歌のような長篇中ならば、作品中の七首の内容でも容易に盛り込め
   るしょうが。

★以下は、ちょっと長すぎる補足です。
・和歌の上の句、下の句と旋頭歌(せどうか)
 和歌の元は、記紀歌謡の旋頭歌にあるという説があります。
その旋頭歌は、五七七の片歌を二人で唱和または問答したことから発生したもので、上句
五七七、下句五七七の38音から成りますが両句頭の5音または両句末の7音は、しばし
ば共通の語句でした。
この旋頭歌の例として有名なのは、古事記が載せる次の問答歌で神武天皇の伊須氣余理比
賣(いすけよりひめ)への求婚時の歌です。
[伊須氣余理比賣]          神武天皇妃となった
  あめつつ ちどりましとと などさけるとめ
[大久米命(おほくめのみこと)]      神武天皇の従者
  おとめに ただにあはむと わがさけるとめ

このような旋頭歌の上句末の七音を省き、一人だけで歌ったものが短歌の形式を生んだと
されています。
つまり、38音の旋頭歌の上下句
 五(A)七(B)七(C)  五(D)七(E)七(C)
の構造から、共通する七(C)部分を上の句から省いて重複を避け
 上の句:五(A)七(B)      12音
 下の句:五(D)七(E)七(C)   19音
合わせて31音の和歌形式が生まれたと言うわけです。
従って発生時の和歌は、上の句・下の句の区切りは最初の12音の直後に有ったわけです。
実際に、小倉百人一首中の短歌を、最初の12音の直後で区切ると結構すわりが良く意味
も通る和歌が見受けられます。
(この場合、上の句の12音に本来は共通部分であった7音のCを付け加えて元の旋頭歌
形式に戻しても、意味が良く通じます。)

・区切りを移動しても解り易かった作品中の和歌
遊び心から、区切りを最初の12音の直後に移動して見た場合にも解り易かった作品中の
和歌は、次に示す最初の句でした。
ただし、()中は旋頭歌形式に復元するための共通部分の補足です。
  野良猫の  身繕いする様 (夢すら持たず)
  我に似て  誰を相手の   夢すら持たず

「だから、どうなんだ」って、ツッコミはご容赦。
あくまで、遊び心です。



[あめつつちどりましとと]の旋頭歌
2009/10/20

Oさん
この歌は、以前に[肥と筑 第五回」の[ヤマと製鉄技術]の段で紹介した歌なんです。
イスケヨリ姫の問いと、これに対して答えた大久米の命の掛け合いからなっています。

神武天皇は、木花咲耶姫の子の山幸彦の子のウガヤフキアエズの命の子つまり木花咲耶姫
の曾孫です。この神武天皇が、東征のあとに大和において正妃とすべき美人を求めた際、
従者の大久米の命から大物主の神の子であるイスケヨリ姫が美人であるという評判を聞き
大久米の命をつれて会いに行った時、七人の美女の先頭にいた当のイスケヨリ姫に出会い
ます。
そこで、私の意向を伝えてこいと天皇が大久米の命を遣わした時にイスケヨリ姫は、大久
米の命の目尻の刺青を見てびっくりしてなぜそんなに目尻が大きいのかと問いかけます。
大久米の命は、それに対して当意即妙に答えるのです。

意訳だけで示すと、次のようになります。
・イスケヨリ姫の問い
アマドリ・千鳥に増して何故そんなに目尻が大きく裂けて居るの。
・大久米の命の答え
乙女(あなた)に直接会ってよく見ようとしたので、私の目がこんなに裂けたのですよ。

イスケヨリ姫は、明らかに刺青の習慣を知らなかったわけですが、大久米の命は、海人族
なので刺青が当たり前だったのです。

それから、Oさんの句は、そのままでよろしいのでは。
(しかし短歌の評者は、素人たる私以外に求められるべきです。)





『猫様々』:合評
2009/10/16

・猫の名付け方
私が小学1年生の時、我が家で飼った黒犬に付けた名も黒でした。
この作品中の黒猫の名、SOOTYとは似たり寄ったりです。
小学生の子供としては、単純な名付けを考えるのが普通でしょう。

・TOPAZの視力
野鳥が透明なガラスをそれと知らずにぶつかって死んでしまったと言う話は良く聞きまし
たが、猫がガラスにぶつかったという話は、初耳ですね。木から落ちていた事、薪ストー
ブの上に飛び乗った事等を考え合わせると、問題のTOPAZは、拾われた際の痩せて蚤
だらけだった事情から見て、幼時の栄養失調が原因で視力が落ちていたのでは無いかしら。
飼い主の自動車のエンジン音を聞き分けるほど耳が良かったのは弱視を優れた聴力で補っ
ていたのかも知れません。
試しに現在飼われている家のそばで、窓が開いて入る時を狙ってエンジンをふかす実験を
してみたら。
なんて考えるのは、やっぱり理科系の性です。
全然合評には、成ってませんね。ハイ。

・拾ってきた野良猫を納屋に住まわせる[外猫」について
この場合、拾われた野良猫は多分子猫でしょう(そうでなければ、小学生に捕まる筈がな
い)が、子猫時代の乳や食事は、納屋の外猫たちが面倒を見るのか、やはり一定の大きさ
に成長するまでは人が与えるのでしょうか。
外猫にも一応の名前が与えられるのか。
またその名を呼ばれた場合に何らかの反応が返ってくるのか。
考えると、色々と疑問は尽きません。暇があったら教えて下さい。





『吾輩だって猫である』:合評の1(前半について)
2009/10/24

いや、OさんもNさんも猫との協同生活を経験しての上だから、見る目が違いますね。
ねこのぬいぐるみとは、また奇抜で面白い表現です。しかし、招き猫はよく見かけるけれ
ども、猫のぬいぐるみは、他の動物のぬいぐるみに比べて余り見かけないのは何故だろう。
 猫のぬいぐるみは夜行性で、夜中に抜け出し外に遊びに行ったら最後、戻って来ないの
かな。
などという話題は、猫にくわしい方々にお任せし、私は別のことを書きましょう。

*言葉のウソ、欺瞞
・官僚の国会答弁
 これは、質問内容が各省庁に知らされており各省庁で答弁内容を事前に準備します(現
在は、時々不意打ちの質問も見受けますが)。
所が、「Aについては、どうなっているのか」という質問が省庁の責任に関わる様な場合、
その答弁は「Bはこれこれこういう事情でCの状態になっておりますが、その内DがEに
なるように鋭意努力中でございます」と言うように、無関係のことにすり替えて答える場
面も良く見受けました。野党からの質問の場合は、そうでしたね。
 これからは、官僚に答弁させず閣僚が答えるように法改正されるようです。目指す方向
は正しいと思うけど、厚労省や国土交通省のような巨大省の大臣は、内容把握が大変でし
ょう。複数の副大臣を置いて任務を分担せざるを得ないでしょうね。
 「障害者自立支援法」は、またひどい内容でした。これを提案し成立させた女性が評価
されて局長になったという事実は、厚労省の本質をまざまざと見せています。

・規制緩和
 一点を除き、作者の意見に全面的に同意します。規制緩和により利益を得たのは、一部
の金持、とりわけ外資のトップの連中です。
これを推進した二人が、外資系企業から現在どのように厚遇されており、また将来どのよ
うに厚遇されて行くかを厳しく見つめて行く必要が有ります。

 私が作者に異論が有るのは、ソマリアの海賊対処の問題です。
私は、ソマリア近海で船を襲う連中は、紛れもない海賊だと認識しています。たとえ追い
詰められた漁民が行なう行為であろうとも、それが違法である事に違いはありません。
 対処法として海上保安庁が担当する案も出ましたが、同庁の任務は、本来沿岸の警備で
あり、装備・人員・補給などの面から、海外それも遠く離れたソマリア近海の船団護衛は、
実際問題として無理でしょう。
 しかし、この海域での海賊発生は、ソマリアの経済と治安の悪化が、その原因になって
います。根本的な対策としては、同国経済の立て直し以外には有りません。

*政権交代
 大方の予想通り、総選挙は民主党の圧勝と言う結果に終りました。今のところ新内閣も、
国民多数の期待に応えて居るように見えます。
(八ッ場(やんば)ダムについては、地元の異論が有りますが)
 政権交代は、歪み是正のためには喜ばしい事ですが、一つ大きな問題が有ります。それ
は民主党の実力者、小沢幹事長が相当に胡散臭い人物である事です。彼は元々、自民党の
幹事長だった人物です。その彼は、岩手県内で起きた事件の疑惑を未だ晴らしていません
が彼の采配のもと民主党が総選挙に大勝を得たことで、より力を増し今の国会運営に大き
な影響力を及ぼして居ます。
 次回の参院の半数入れ替え選挙でも、彼が采配を取ることは既に決まっていますが、そ
の結果、民主党が参院の過半数を取ったら、その後の首班指名の結果が、どうなるかは目
に見えています。自民党を含め、民主党以外の政党の意見は封じ込められ、彼による独裁
政治が始まる恐れが有ります。
 現在(つまり作品が書かれた後の時点です)その一つの表われが、小沢幹事長が議員立
法を封じ込めようとしている事に出ています。そうなれば、新法の提案権は政府にしか無
くなるわけです。作者の希望通りに、例え社民党、共産党が二桁の当選者を出しても
政権を取らぬ限り議員が法案を提案することは不可能になります。 これは国民の負託を
受けた野党議員の立法府における権利を奪い更に政権与党たる民主党内部の対立意見をも
封じ込めて、権力者の独裁を容易にする手段となります。これを許してはいけません。
 と、ここまでは作者もとっくにご存じの事で、「海賊対処法」の問題以外は、私とほぼ
同じご意見だと思います。だから、これを書いても、合評には成りませんね。
 それでも長々とこれを書いたのは、いわゆるノンポリの人たちに民主党の現状の危うさ
を認識して欲しい、と思ったからです。
 後半のギャンブル論については、その2として書く予定です。



吾輩だって猫である:合評の2(後半について)
2009/10/26

ギャンブル感について、代表的ギャンブルたる麻雀を例に3人の麻雀の達人の3種類の見方
1)勝負運・経験・経験が生む自信・余裕・冷静・臆病・集中力
2)運の生かし方と量り方
3)好奇心と自己愛・優先順位を誤らぬこと・学習
について述べたあとに、麻雀の魅力についての飼い猫「つむじ」の意見が出されている。
 その中で、p109の
「幻想を見ているときが生で ~ 意味を見いだしたい。」
という一節は、どう考えても麻雀を実行でき、実際に実行している人間様の立場で書かれ
ている内容なので他の節で見られたように「と聞いている」というような書き分けをした
方が良いと思われる。
余計な事ながら、この中でフランス人がセックスを小さな生と死の繰り返しだと言ったと
いうのは、男性の発言ですね。(どうしてなのかは、女性には謎でしょうが。)

 考えてみると麻雀には役が成立する確率から出て来る有利不利の判断以外に、その時の
メンバーと配牌状況で左右される東南西北の席の運が有る。当の4つの席には、腕前の異
なる4人がサイコロの偶然により座るが、彼らがめくる牌の順番が、これまた偶然により
決まる。これらは謂わば外的な要因で左右され予測不能である。
 ところが、麻雀に参加する人にも予測可能な要因として誕生日で定まる運の好不調を決
める周期が存在する。(この周期は、簡単な計算で求められる。)
麻雀に限らず、この運の不調時には、人はその注意力が散漫に成り実力を十分に発揮でき
ない。阿佐田哲也氏が「ツイているときだけおやりなさい」というのは、これを経験から
知った上での発言ではないだろうか。

 なんて、これまた合評には成っていませんね。
まあ、他と違った変な意見も、たまには良いと大目に見て下さい。
(←たまではなく、いつも変な意見だけかも?)


MB会合宿
2009/10/7

唐突ですが、お隣で報告されている標記の件
ダントツの優勝者は誰か、と読み進んでいくと

ヤッパリ。
α20号で、ギャンブル論を展開されたGさんでした。

以上、変な時間に目が覚めた変な会員からのご報告でした。




??

8

 

同人α作品合評他 2009(2)

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月25日(火)08時59分0秒
  .

             同人α作品合評他 2009(2)




        長編「肥と筑」にみられる、探求心と緻密性が合評投稿にもよく
        出ているように思える。同時に見え隠れする遊び心と優しさも。

         (評論集には掲載されていないものを掲示板記録の中から拾ってみました。)





同人α20号作品合評他

『僅か20日間文部大臣に就任した新平は大きな種を播いた』
2009/ 9/8
http://betty.jp/birdbrain/alllist/20-2.html    (同人α電子図書)

碇さん
いつもの事ながら、これだけの事を調べられるには、大変な時間を費やされたであろうと
敬服の至りです。
一般に世間では知られていない江藤新平・小倉処平の業績江藤新平に対する大久保の陰謀
新平が佐賀戦争に敗れた後の逃亡時に見せた小倉処平の暖かい援助これに先立ち、意外と
思われる西郷の援助拒否などが、小倉処平と小村寿太郎の逸話を交えて語られています。

この時の西郷の一見不可解な対応については、私はこう推測します。
明治6年末の西郷の下野の後、これに同調した薩摩出身の軍人・警吏が相次いで薩摩に帰
ったため、鹿児島県は無職の血気盛んな壮士が溢れており、西郷はその暴発をいかに防ぐ
かに腐心していました。ここで新平を匿うとこれを知った壮士達が、内に抱く大久保への
反感にも助けられ、決起してしまうということを心配したのではないでしょうか。
まあ今となっては、これを確かめようが有りませんが。

碇さんがこの文章を書かれた後で、時期を失しては居ますがこの江藤新平が、新政府内で
頭角を顕した経緯について解りやすく説いた小説が童門冬二氏の「小説海舟独言(講談社
文庫)」として世に出ています。
碇さんだけでなく、同人の皆さんも機会があったら是非手にとって見られる事を望みます。



北高と西高の建物
2009/ 9/13

碇様
貴重な映像を有り難うございました。
数年前、法事で佐賀に帰った際に駅前でレンタカーを借りて市内を見て回った事がありま
すが、余りの変貌ぶりに18年間住み慣れた市内で、道に迷った経験があります。

東校舎跡と県庁だけは、流石にお堀の位置から直ぐに解りました。
城内の一角は公共の建物だけが残り、非常に整備されましたね。
別の帰佐時に、県庁の屋上から廻りを展望したことがありますが、360度一望できる眺め
の中、佐賀の市内は流石に緑が豊かだと思いました。

西校舎の正門は、県庁側に有りましたね。
やはり蘇鉄の木がロータリー風の一角に植えられていました。
半世紀近くの時を隔てて、西校の正門が附中の正門と道路を隔てて向かい合って居たこと
が、一番の驚きでした。
われわれの在校時の西校舎の南側には、確か小さなプールが有ってその南側の道路との間
には、民家が存在していた記憶が有ります。

北校舎には、随分長い自転車置き場が付いていました。
きっと、四百台~五百台の収容能力が有ったのでしょうね。
その直ぐ外側は田んぼだったこと、田んぼの中を毎朝通ったことを思い出します。

 県庁そばから北校舎への移動は、大変だったと思います。
思い出深い映像を送って戴いたこと、重ねてお礼申し上げます。
  長岡曉生





『初心者の俳句』
2009/ 9/28
http://betty.jp/birdbrain/alllist/20-7.html (同人α電子図書)

私は安芸さんとは違って、文学作品、ましてや俳句などを作れる才能は持ち合わせており
ません。
なので、幾つかの質問・コメントをすることで合評に替えさせて貰います。
1.春立てり
  この「立つ」という言葉は、旅の出発を意味するのでしょうかあるいは立春という言
  葉と同様に、季節の始まりという意味をも含んでいるのでしょうか。
3.満月
    これは季語なのだろうかと思って検索したら有りました。
  やはり、仲秋の満月なんですね。
6.草の花
  踏まれても猶生きる草の花は、やはり春の花なんでしょうか。

以上、全くの門外漢なので宜しくご教示を御願い致します。





『沈み行く家 その7(最終回)』:合評
2009/10/10
http://2style.in/alpha/20-12.html (同人α電子図書)

★理事達の離散と苗字の意味するもの
 赤松理事(各地を放浪する主人公)
 竹田理事(東京暮らし)
  西野老人(大阪へ戻り、死後叙位)
  広沢理事(妻は千葉の特養ホーム)
  高山理事(妻の実家の栃木へ)
マンション沈下による環境崩壊により、主人公を含め理事達は離散していった。しかも作
者は沈下の真の原因は解らぬ物としている。
それは或る意味で、自然の力が人間の力の及ばぬ大きな存在であることを強調しているの
だろうか。
そういう眼で、これらの理事の苗字の付け方をみると、建築という非常に近代的職業に関
わる主人公(この場合、作者の身代わり)の深層意識が、実は自然への深い志向を懐いて
いることが見て取れる。(特に第二字は、全て屋外の事象を指すことが暗示的である。)

★生きているということは細胞の生死による入れ替わり
これは、作者一流の面白い見方である。
このように、作者が常になにがしかの新しい視点を読者に提供している事が、私にとって
は一番興味を引く。
動物の親子の世代による交代も、古手の遺伝子情報を受け継いだ新手が生命を受け継ぐと
いう意味では、これに近いと思われる。
違いは親子の場合は、物理的に離れた個体であること親子の場合は、特に有性生殖の場合
は新手の遺伝子は古手の遺伝子とは異なる情報を持つこと、これが進化の主たる原動力と
なっていることであろう。

★民事不介入という警察の言い訳け
 私の経験でも、警察は解決したことが余り評価されないことがらについては冷淡で、言
を左右にして対応を避ける傾向がある。
それでも近年は、ゴミを蓄積する家や、一帯にけたたましい騒音をまき散らす個人につい
ては、一部の警察では重い腰を挙げるように変化して来たことが、少しずつでは有るが進
歩とは言える。

★高層階の地震における挙動の実験
最後に一つ質問を。
タンスや机やテレビなどが建物上階の揺れによって凶器と化す現象これについては以前に
聞いたことがありますが、一つお聞きします。
防災科学技術研究所の実験は、まさか実際の建築を用いるものではあり得ませんね。とす
ればこれは、小型モデルによる実験、或いは数値計算シミュレーションによるもの、の何
れでしょうか。





良久子さんの合評に先立って
2009/10/20
http://2style.in/alpha/20-18.html  (同人α電子図書)

大事なことを忘れていました。
α20号初版製本の直ぐ後に、Oさんから報告されていますが初版には、良久子さんの作
品の初めの登場人物の紹介部分に大きな脱落が有ります。(第2版以降と作品集では訂正
されています。)

初版に基づいて良久子さんの作品を合評される際にはp111の5、6行の間に、次の文
を入れて読んで下さい。
  60歳に近いと思われる、半引退のビジネス・ウーマンである。
  そして最後の啓子は

初版には、次の2箇所の不具合も有ります。
                誤       正
・p112,下から7行  想像力が以上に→想像力が異常に
・p114,15行        含め笑い      →含み笑い

良久子さん、編集の不手際で大変失礼を致しました。
平に、ご容赦下さい。





『当世グランマ気質』:合評
2009/10/24
http://2style.in/alpha/20-18.html  (同人α電子図書)

陶器作りで知り合った、年令も経歴もばらばらの三人の女性達の孫を中心にした会話と啓
子の心中の想いが巧みにない交ぜになった文章です。主人公の啓子は、恐らく作者自身の
影法師ですね。
 ベルヴュー(Bellevue)とは、初めて聞く地名なので調べてみると米国の西海岸ワシント
ン州のシアトル市の東隣の街でした。意味はフランス語で、美しい(belle)風景(vue)
という事だそうです。
西海岸にも、フランスの文化圏が残っているんですね。
ついでに書くと、アンが孫を連れて行った美術館があるシアトル市は、ワシントン州の最
大の都市、その孫が住んでいるモンタナ州はワシントン州から見て、アイダホ州を間に挟
んだ東隣の州です。
なお、悦子の孫は地元に、啓子の孫達は東海岸に住んでいるという設定になっています。
この地理的配置を頭に入れて読むと、三人それぞれの孫に関する自慢話が理解しやすいと
思います。

・文の繋がり方(p113)
「貴方達がうらやましいわ。私も近くだけど、どんなに楽しいかしらっていつもおもうの
よ」という悦子の台詞中で「どんなに楽しいかしら」という言葉の前には「孫達が来たら」
と言う言葉が省かれているのかなと推定したのですがそうすると、そのあとに
「でもね、ときどきというのも良いものよ。..」というアンの言葉が続く前後の繋がりが、
論理的に少し解り難いのですが。
それとも、私の解釈自体がおかしいのかな。

・言葉についての提案
p113の「啓子が追い打ちをかけた」は「啓子がことばを接いだ」の方が
p114の啓子の「頭をめぐらす」は想いをめぐらす」の方が妥当だと思います。

 なんだか、米国在住の人の揚げ足を取っているように見えるかも知れませんが、日本語
を日常的に使う機会が少なければ、やむを得ない現象だと思いますし、知らぬ顔をするよ
り、指摘する方が良いと思うので、敢えて書きました。お気に障ったら、ご容赦下さい。

8

 

同人α作品合評他 2009-1

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月25日(火)07時07分38秒
編集済
  .

             同人α作品合評他 2009




        長編「肥と筑」にみられる、探求心と緻密性が合評投稿にもよく
        出ているように思える。同時に見え隠れする遊び心と優しさも。

         (評論集には掲載されていないものを掲示板記録の中から拾ってみました。)





同人α19号作品合評他


『りらの空』:合評
2009/7/11

後半に入って、りらの花一色という華やいだ雰囲気になってきましたね。
詩について、これだけ色々な見方が呈されたのは、私の入会以来、初めてです。
良かった。やはり、この詩の[華]が呼び寄せたのでしょう。

☆ブログの写真を見て
この写真を見ると、作者の大事な思い出は花束、そして背景の空・山・森にあると思えて
来ます。お祖父さんが、遠くを眺めている一方でおさなごは、カメラが気になり、じっと
こちらを見ている …、  実に微笑ましい絵姿ですね。

☆詩の背景
私は詩の背景として、ブログ写真の背景、中でも「空と山と森」とを付け加えて見ました。
そうすると、作者が用いた「童話」という言葉が、ストンと胸に落ちるような気がしたの
です。

☆小さく並んだ童話の父母:童話と精霊・妖精のイメージ間違っていたら、ごめんなさい。
お母さんも故人と成られたのでしょうか。
「緑茶をすする童話の父母が小さく並んで」いるのは故人の記憶が遠ざかり、見た目は遠
景中に有る小さな姿でしか出てこないつまりそれだけ時が経って居る、という事を表現さ
れたのかなと思いました。
 きっと、こうして先になくなった大事な人や生き物に対する共通の思い出がその土地土
地の精霊・妖精へと、変わっていくのでしょうね。
各地の妖精が良く小柄な姿で表されているのは、このせいかも。
 小さな子供たちが、その姿を見れるのは先入観のない柔らかい心を持って居るからなん
でしょうね。

と勝手なことを、想像して見ました。

☆おまけ:安都那[アツナ]村と安曇族の関係の絵解きブログ写真で見るお祖父さんは、
海人族の子孫と言う雰囲気をお持ちですね。
Sさんの古里で、昭和29年に合併して高根村(現在では北杜市)を構成した安都那[ア
ツナ]村、及び安都玉村・熱見村は、全て巨摩[コマ]郡内に有り全て[アツ]音を含ん
でいます。
三村のそれぞれは、もっと小さな村々が、明治7年に合併して出来たものですがこれら小
さな村々の名前には、[アツ]音は、含まれていません。
ではなぜ、合併した三村全てに[アツ]音が含まれているのでしょうか。
それは、この辺一帯が元々[アツ]に関わる場所だったからに違い有りません。
 この推定と巨摩郡の[コマ]が、白狄の庫莫奚を指す事を考え合わせると安都那村の[ア
ツ]音は下注で引用した[渥美、厚見、厚海、熱海など]と同様安曇の[アヅ]と同根の
言葉と思われます。
 つまり、この辺一帯は、海人族たる安曇族が富士川を遡り定住した土地だと絵解きする
ことが出来ます。

なお、安都那[アツナ]村の[ナ]とは、大[ナ]ムチ(=大地主=大国主=出雲族の祖)
や[ナ]ヰ(=大地・地震)と同根で、土地という意味です。
土地を[ナ]と呼ぶのは、日本語だけでなく満州語でも同じです。
この満州族は、夫余族つまり呉王夫概の子孫であり当然、海人族たる白狄[コマ]の血を
も受け継いだ民族なのです。
******************************************************************
注:[海人の國、日本]http://homepage2.nifty.com/amanokuni/ からの引用
[調べてみると、「アジム」という古語が、海人族を指す言葉で、「アド」「アズミ」等は、
その転訛だそうです。そのものズバリ安心院(あじむ)や、全国に散らばる安曇・阿曇はも
ちろん、渥美、厚見、厚海、熱海などは、みんなそうだというから驚きました。]


りらの空合評補足をも一度
2009/ 7/13

・森の妖精、精霊、など
 モンニョさんが、あなたの詩を見て
Sさんの詩は、メルヘンチック・・・
フランスの片田舎の、広い原っぱで、かわいい帽子をかぶって、素敵なワンピース着た女
の子が、ふあふあと、空を飛んでいるような気がしました。
時に日本の方を懐かしく眺めたり、遠い昔を思いながら・・・ふあふあーと浮かんでいる。
載せてある写真と詩と一体感・・・なかなか、見事と思いました。
好きですね・・・この方の感性・・・すばらしい。」
 と言っていましたよ。

・鍛冶職と海人族の関係
海人族は、操船と製鉄の術を兼ね備えていました。
操船術は、母系の越民族から伝わり、綿津見・住吉・大山津見の神を奉じ鍛冶・製鉄術は、
父系のトルコ族から伝わり、大山津見の神を奉じています。
ですから、海人族が鍛冶職となるのは、本来の技術を生かしているのです。

・安都那、安都玉、安曇及び巨摩(=肥)
これらは、朝鮮系の名前ではなく、渡来した白狄(海人族)系の名前です。
異民族に結びつけるなら、越族・呉族・その子孫の満州族です。
ただし、海人族の渡来時には、満州族の名前は無く、この部族名が出るのは明代後半の事
です。[満州]は彼らが奉じた[文殊]菩薩に由来しています。

・[海人の國、日本]のサイト
これを主宰しているのは、彫金を本業としている若い女性です。
すごい知識の蓄積ですよね。初めて見たときは、本当に驚嘆しました。

・和服の効用
川端康成は、ノーベル文学賞の受賞時に和服で臨み小柄な体ながら実に立派に見えました。
この時、やはり固有の民族服は体にピッタリと馴染むものだと思ったものです。

お礼をも一度





『絵空事』:合評の1
2009/ 7/13

みんな「鳴りを潜めて」いたように見えるのは
多分、日中は行楽に、夜は都議選の結果を見るのに、熱中してたんですよ。
Oさんの作品は長いから、読むのに時間がかかるし。(←オマエが言うな)

☆[絵空事]という題名の由来は
1)「身辺の幾つかの逸話を綴って作品にした」という意味があること
2)「誰かの絵の一部ではなく、自分で筆を持ち、下手でも構わず自分の生を描いてみよ
  う。」という件と『空』とが無意識のうちに合体したことに有るのかなと思いました。

☆無意識と意識の綱引き
p33:その魔の疑念が居座らない内にがばと起きて顔を洗わなければ。
p36:慣れない事の手探りで油断すると深い暗い穴に落ちていく様な気もする。
の2箇所は、心中の過程を表わす巧みな表現ですね。

勿論、これだけじゃ無く、私の評だって続きますよ。



絵空事:合評の2
2009/ 7/14

☆登場人物の名前
ここにも、さりげなく仕掛けがしてある見たいで、面白いですね。
比較的順調で、ごく最近は自分のための人生を送っている「幸子」対、深みと自主性のな
い「はい。チーズ」の人生を送ってきた「麻子」

「淺子」じゃあ、余りにも見え易い名前だから、ちょっとひねって「麻子」を採用した。
「幸子」と同じ二文字でもあるし。というのは、考え過ぎかなあ。
でも作者は、いつも何かしら対照的シンボルを用いて居るように思えます。



絵空事:合評の3
2009/ 7/16

☆一人称(主観)と三人称(客観)の交替
Nさんが指摘された、Oさんの作品中のこの交替と同様な場面は、今号では、Onさんの
「葛藤」で、私とゆめ子として、
13号の三浦さんの「若葉は萌えて」でも私と葉子として、出てきましたね。
プロの作家はいざ知らず、普通の男性は、このような主観・客観の交替手法は思いつかな
いような気がします。
勿論、Nさんの戸惑いの例もあるので、全ての女性がとは言いませんが大方の女性は、女
性特有の心理的切り替えスイッチを持ち、これが作品を書く中で自在に働いているのでは
ないかと思うのですが、皆さんの御意見は如何でしょうか。

☆登場人物の名前
私がフィクションを書く場合には、登場人物の数・性格をおよそ決めておいてそれぞれに
見合う名前を、周りの人を参考にしながら付けていきます。
所が面白いことに、話を進めて行くにつれ、人物相互の関係がその名前の意味を反映しつ
つ発展していくのです。
つまり、役割に対して割り振った姓名が、徐々にその意味を発揮してくるのです。
これも、無意識の作用でしょうが、実に不思議な現象ではあります。

☆麻子の生き方を読み手から見て「深みと自主性がない」と取りますか。
長岡が作品全体から受けた印象では、そういう意図で書かれたと思ったのですが。

☆絵空事・スラ事・スラーテン
絵空事に関連して、佐賀弁の[スラ事]・[スラーテン]を思い出しました。
[スラ事]は嘘、[スラーテン]は、賭を伴わないビー玉・メンコの勝負です。
この[スラ]は[仮の・実体がない]意味の[空(ソラ)]から来ています。
一方、[絵空事]の[ソラ事]は、確か徒然草に有った筈と検索したら、本当に50段、
73段、194段に見つかりました。昔から使われた言葉なんですね。



絵空事:合評の4
2009/ 7/17

☆(人称の切り替えで)読み手はついて行くのが大変でしたか。
いえ、心中の流れは問題なく解ります。
ただ多分おおかたの男性は、こんな切り替えスイッチは持ってないなと思ったのです。
(あくまで多分であって、統計を取ったわけでは有りません。)
その理由は、女性の方が男性に比べ人との共感をより持ち易く、主体・客体の切り替えが
容易に出来る心的構造を、備えて居るからではないでしょうか。
一種の性差ですね。

☆共感について男女の性差が発生した理由?
なぜそう言うのかというと
女性は、母親となると幼児との間にしょっちゅう密接な共感・共鳴を感じていると思うか
らです。そこでは或る意味、意識の切り替え、つまり主体の切り替えがしょっちゅう起こ
っているのではないでしょうか。
しかし父親の立場では、このような密接な共感がないため、大抵の成年男子は、幼児期に
おけるこの経験が薄れている。
そこに男女の性差が醸成されて来たのではないか。
と思いました。
この性差は世代を通じ、既婚・未婚に関わらず、受け継がれるものでしょう。

☆主人公の行動に「深みと自主性がない」と思った理由
その理由は、前報でも書いたように作品の中、その前半の表現に有ります。
例を挙げると
・p32の半ば
大人になるまで両親の言う通り良縁を意識した教育を受け、家庭円満と子育てに必要な心
得を伝授され、家族の意向に沿ってこれならと思う人と結婚し、・・・
・同じく
いつも夫、子ども、両親、姑の事を優先させる事に抵抗はなかったし、・p32の下部でも
結局は一番良い表情を一瞬捉えただけの、深みのない、真実から程遠い絵空事でしかない。
「はい、チーズ」の人生、そんな気がする。

などが、そういう状況の説明だと思ったのです。
この感想は、文章がそう表現していると言う感想であり、そういう人生についての善し悪
しを言ったわけでは、ありません。
いずれにしろ、後半では[答えが出ない事に悩み苦しみ始める。]とOさんの説明が有っ
た通り、そういう人生の見直しを図ろうとしているのですから。

☆作者がこの作品で言いたいことは、悩み???
でも、食の確保にかけずり廻っている未開人には、有り得ない悩み便利な世界に住み、暇
を持て余した末の目的が定まらぬ悩み要するに、時間的ゆとりがもたらした悩みでしょう。

とはいえ、「限りなく青く広がる空」の有り難さが身に染みて解るのもこのような悩みと、
時間的ゆとりが、共に有ればこそ。
文明人の有り難さですね。
やっぱり、人の心は難しい。
(↑ 結局、この合評で何を言いたいのか、全然解らんぞ。)

☆警告
おい、オヌシが好き勝手を書いている間に、Oさんの反撃が出てるぞ。
こんな合評書いちゃうと、オヌシも、天敵にされちゃうぞ。






『沈みゆく家 第六回』:合評
2009/ 8/3
http://2style.in/alpha/19-10.html  ((同人α電子図書)

 私は、このシリーズの中で、今回の話が一番わかりやすいと感じた。
それは、なぜか。
今回は、従来の次郎でなく零子が主人公になっている事に尽きると思われる。
今までの話は、次郎の心象風景が大きな比重を占め、それも時間と心の対象があちこちに
飛んで居たために、全体の理解のためには、少なくとも二、三回は読み返す必要が有った。
 今回は、そういう手順を踏まなくとも、筋を追っていけば、一回で理解できた。
これは、作者が自分とは別人格の零子を主人公としたために、敢えて複雑な心理描写を重
ねなかった事と、全体の話が基本的に零子の逸話を積み重ねた聞き語りの構造に成ってい
るからであろう。

☆出逢い
 零子と次郎の、知的共有部分について考えてみた。
p43の記述から判断すると、零子の仕事は最初の造船所の下請け設計から次郎同様の建
設会社の設計室の仕事に変わっている。
それ故零子と次郎は、かなりの部分の技術的知識、さらに恐らくは法的知識を共有してい
たと見て良い。
したがって、Oさんが感じたように語っているのは果たして零子なのか。
 そうは思えない個所があちこちに見られると、考える必要は無いと思われる。二人の共
有する部分は大きいはずであるから。

☆連絡船(p39)
  ドラや霧笛やマリンベルの柔らかで哀愁と希望、
  別れと再会を夢想させる感情を抱かせる音
この部分は、直ぐ後の
  よけいな騒音を吸収してしまう水の所為
  港から山に向かってきらきらと瞬く家々の灯りを拾い集める水の精
と言う幻想的な表現で説明されている。
この表現が、NさんとOさんが不審に感じた「少女特有の不安」をもたらす
[別れと再会]を、自ずから説明しているように思われる。
(ここで、同世代の少年が[水の精]を想像することは、先ず無いであろう。)

☆作者へ一つ質問
p39のマリンベルの二点鐘は「にてんかね」とルビが振ってあります。
一方ルパンシリーズの八点鐘は確かに「はってんしょう」でした。この二つの呼び方の差
異は、どこから来たのでしょうか。実際に、そう使い分けされているのでしょうか。



沈みゆく家 第六回:合評の2
2009/ 8/5

いや、勤務から帰宅して、賑やかな意見の応酬に驚きました。
OさんとNさんが明示された問題に対して、私なりに考えたことをかいつまんで書いてみ
ます。

◆Oさん
☆性差について:
→   「男性は、女の気持ちはよく分らない」というのは、正確ではありません。
    男性は、多くの女性(もちろん例外は有ります)が次にどんな行動を取るのか論
    理的に予測できないことに、大いに悩むのです。
    予測不能な部分と言うのは、イマジン氏が言う通り、遡れば巫女王時代の託宣に
    まで繋がっているのかな。

☆長岡さんは「水の精」は少年が思い浮かべるイメージではないとおっしゃるけど、例え
そこに個人差を越えた性差があるとしても、それがどんな不安に繋がるのか。:
→   これは、男女の生理の差で説明可能だと思います。
    男子の場合は、女性の初潮のような劇的な経験、しかもその後、定期的に不快な
    現象に見舞われると言う不安は、有りません。
    それに「水の精」は、インドのアプサラス(サラスヴァティー)やヨーロッパの
    オンディーヌ・人魚を引合いに出すまでもなく、もっぱら女性に割り当てられた
    シンボルです。

☆長年連れ添った夫婦でさえ、夫が妻を理解しようと努力する場合は少ないでしょう。:
→   これには個人差があるでしょうし、現在では五分五分と言う所まで変わりつつあ
    ると思います。

◆Nさん
☆[別れと再会を夢想させる]と[港の不思議な空気]の関係:
→   港もターミナル駅も、男女の間の[別れと再会を夢想させる]
    不思議な空気を持って居ると思いますよ。

☆不安の思いを抱きながらその不思議な空気が好きというのもちょっとヘン:
 →  若い頃に経験する恋愛感情というのは、正にこれだと思います。




百人一首


秋風に たなびく雲の 絶え間より
2009/ 8/9

Oさん
最初に出されたこの歌の下の句は、確か
  もれ出づる月の かげのさやけさ
だったと思います。
かげのさやけき でも、意味は通じると思いますが。


話は変わりますが
同人および読者の皆様方

α20号の原稿はもちろん
読者の方々からも、寄せ書きが一杯頂けるようにと
Oさん共々、首を長くしてお待ちしております。




坂上是則と蹴鞠
2009/ 8/10

坂上是則の後に出た蹴鞠の名人としては、平安末期の藤原頼輔が良く知られて
いますが、そこから蹴鞠の二大流派、難波・飛鳥井両家が別れています。
京都今出川通りに面した飛鳥井家の屋敷跡地には、慶応4年に香川県の白峯陵の
崇徳上皇の霊を祀る為に、白峯宮(現在は白峯神宮)が建てられました。
この白峯神宮には、飛鳥井家との縁に依って蹴鞠の神の精大明神も祀られており
今ではサッカー及び球技一般の神社として有名で、一流サッカー選手のボールが
奉納されているそうです。
 サッカーは、一般に欧州発祥と思われているようですが、実は中国起源の対戦
型蹴鞠を、宋を滅ぼしたモンゴル軍が東ヨーロッパに伝えたものが、そのルーツ
になったそうです。
宋の徽宗に仕えた水滸伝中の悪役大臣の高キュウ(キュウは人偏+求)は蹴鞠の
妙技によって、徽宗に近づいたという逸話もあります。




「あいうえお」順と年代順
2009/ 8/10

Oさん

「あいうえお」順の百人一首、最初から興味を持って読んでいます。

一つ希望が有りますが、聞いて貰えますか。
読者が手持ちの百人一首の本を参考にする際、掲示された歌が年代順では何番に当たるのか書き添えてあると、参照に便利だと思うのですが。
(大抵の百人一首の本は、年代順に並んでいるので。)

蹴鞠で有名な京都の白峯宮については、上田秋成の雨月物語第一話[白峯]を読んだ時と
孝明天皇の死の謎について調べた時に記憶に残った事を、再度検索して確認しただけです。
細部についてまで記憶していたわけでは有りません。




小倉百人一首
2009/ 8/8

Nさん
カンマが上つきに成った形の[アポストロフィー]は
[Y]キーの右上の[7]キーを[shift]キーと同時に押せば、出てきます。

皆さんは、Oさんの百人一首を読むときに、何を傍らに置いてますか。
私が参考にしているのは
「田辺聖子の小倉百人一首」(角川文庫 ¥700)です。
この本は作者が王朝文学者だけに、載せられた当時の逸話も多くて面白く読め
関連知識も知らず知らず身につくという優れものです。

私は昨日で週の勤務が明け、20号の作業もやっと一段落して書いています。
なんだか随分お久しぶりという感じですが。が。???

8

 

テーマ前書集

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月21日(金)04時30分1秒
編集済
  .

             テーマ前書集 2007-2013




  長岡氏の同人α初作品が11号(春)、13号(秋)では早速「楽」というテーマ
  を提供しています。博識と言われることをひどく厭がる博識の人ですが、基本的に
  は楽の解説にある五つの要素を色濃く持つ人のように思えます。少なくともそれを
  志向していることは確かです。花を愛で、自然を尊び、音楽で心を癒やします。
  そして、
  人類が築いてきた古今東西の叡智をしかと受け止め、未来を考える人でもあります。
                                                          (編集部)




第13号「楽」  2007/11

*13号表紙を飾ったのは、ご子息による「楽」です。トップページにあるラクダと猿の絵です。

13は、佛教では智慧を授ける虚空蔵菩薩にご縁の、おめでたい数です。
「しか言う御主も十分おめでたい。」とは、本人も十分解っております。
と言うのも、今回の同人αと担当の長岡曉生は13に深い縁が有るのです。

今回の αの累積号数は、13号
現在の αのメンバーは、13名
私事ですが、長岡曉生の
佐賀高校の卒業年次は、 13期
1年生の時のクラスは、 13組
2年生の時のクラスは、 13組
3年生の時のクラスは、 13組
絵担当の三男の生日は、 13日(8月)です。
最後の符合は、三男が教えて呉れました。

さて、α13号の題名を決める必要があります。
今年、平成19年のαの題名の流れは、次の通りです。
10号:[美]→11号:[選択]→12号:[出会い]→13号:[未定]
13号は、この題名の流れを男女の出会いと見立てて「楽」と致します。

○楽の意味
  楽には、一字で五つの意味があり、それぞれで読みが異なります。
  楽(ガク) は、奏でる。 楽人は、楽器の演奏家
  楽(ラク) は、楽しむ。 楽観は、楽しみ遊ぶこと
  楽(らく) は、容易に。 容易を、らくにと言うのは日本だけの用法
  楽(ゴウ) は、愛でる。 楽聖は、清酒を愛でること
  楽(ギョウ)は、ねがう。 信楽は、人を信じ求めること

白川静博士によると、楽は鈴の象形文字で本来の意味は楽器を奏でる事です。
奉仕された楽奏を、神が聞いて楽しんだ事から、楽しむの意味が派生しました。
この楽しむから、日本語での[仕事をらくにする]という用法が生まれました。
因みに、仕事を楽しむという精神構造は、日本人特有のものらしいですね。

あなたは、どの楽を選びますか。

長岡曉生

………………………………………………………………………………………………
「楽」から絵を描き起こすに当たって、らくな状態で穏やかに、
というニュアンスを込めて描きました。
ラクダと猿については動物名の中で「楽」と関連するものを選びました。
 「ラクダ」は音からの連想
 「猿」は猿楽からの連想
というわけです。よろしく。

小柳景義(かげよし)
………………………………………………………………………………………………





第24号「夢碍无」 2010/8

          

 むげんとは、夢幻か、無限か、無間か、はたまた無元なのか。投稿する同人は、いずれ
をも選べるけれど先ずは、「夢幻の如くなり」で良く知られた幸若舞の演目「敦盛」の
「夢幻の如くなり」をみて見よう。幸若舞は、源義家の十代の子孫桃井播磨守直常の更に
孫の桃井直詮、幼名幸若が始め室町時代に流行した語りを伴う曲舞(くせまい)の一種で
武士階級に特に好まれたという。

「敦盛」は、平家物語中、一ノ谷で平家の公達敦盛を討った源氏の武将、実は血筋とし
ては平家に属する熊谷次郎直実の無常観を主題としたものである。後に出家して法力房蓮
生と成る直実の台詞には「思へば、此世は常の住処にあらず。草葉に置く白露、水に宿る
月より猶あやし。金谷に花を詠じ、栄花は先立て、無常の風に誘はるゝ。南楼の月をもて
あそぶ輩も、月に先立つて、有為の雲に隠れり。人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻
のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらん
は、口惜しかりき次第ぞ」とあり、化天を下天と変えた信長の舞がよく知られている。

 念のため、幸若舞の歴史を詳しく調べて驚いたことは、現在ただ一カ所だけ残るその伝
承地と言うのが、何と筑後川の向こう、嘗て佐賀線の最終駅があった筑後の瀬高なのであ
った。
  肥の国と筑の国との関係を探り続ける私が、偶然にも遭遇した地名、瀬高。
まことに良きかな縁(えにし)、深きかな縁(えにし)。





第29号「兆」 2011/11

          

29号の題名は「兆(きざし)」、これに副題[無意識と意識の狭間で]を付けることにした。

この頃、つくづく思うことが有る。
身の回りに起こる大事な事は、気をつけていると必ず何らかの前兆がある。
その前兆は無意識が表面意識の世界へ変化・顕在化するのに先立って起こってくる。
例えば、昔から夢を正夢と言い、噂をすれば影がさすと言い、辻で聞いた噂話でこれから
を占えると言い童歌で社会の将来のことが解るという。
それらの前兆は、物事が現実化する前に、眼に見える色・形、耳に聞こえる音、文字にな
った言葉という象徴として現われる。


それは、何故か。
と言う仕組は、今回書く羽目になった二つの作品中で詳しく語ることにして、
ここでは一つだけ。

それは、他でもない。29号の題名と副題の決定である。
無意識と意識の関係については、α入会前からの関心事であり、αに入会後は、機会ある
毎に触れることが多かったが、いまだ纏めて書くまでには至らなかった。
今回、私に29号の題名「兆」と副題[無意識と意識の狭間で]を選ばせたのは号数が29と
言う素数であり、かつこれが私の姓名の総画に等しいこと29号の無限回廊の担当が私の
順番になっていたことである。
となれば、素数の重要性に初めて触れ、また無限回廊シリーズの提唱者である赤松さんの
「狭間」世界に私が引きずりこまれる「兆」であるのは自明であろう。
恐るべし、グレイホール。

もちろん、これは担当者に訪れた兆にすぎません。
皆さんは、題名「兆」に捕らわれず自由に書いて下さい。
でもきっと、それぞれの作品が、各人に次に訪れる何かを告げることになるんだろうなあ。

表紙絵について
今回の題名「兆(きざし)」に因んで、万理久利さんが殷代の甲骨占に用いられた亀甲の図
を描いて呉れました。
図では、活きた亀の全体図を上下から描いた形になっていますが、実際に用いられたのは
腹側の変色した矩形部分です。回りから差し込まれた数本の焼け火箸も、数回の占断分を
一度に描いたものです。





第34号「息吹」 2013/2

          

☆α34号について
 同人誌αも号を重ねて34号に成った。34号と言えば佐賀人それも我が世代に取って
は旧長崎街道、中でも市内を東西に貫通し、ツ―ツラツ―で通れる貫通道路の番号だった。
 それでは、34という数とαとの間には、何らかの関係があるのだろうか。実は、大き
な関係がある。
 34は素数17の二倍だが、αの主宰者赤松さんの本名の姓の画数合計(天格)・名の
画数合計(地格)は、共に17画である。とうぜん姓・名の画数合計(総格)は34であ
る。
 それだけではない。素数17は、現在赤松さんと共にαの無限回廊シリ―ズを分担して
いる他の2名、長岡と万理さんの姓名要素である地格・人格にも含まれている。
というわけで、この34号の前書きは担当者の長岡が分担し、表紙絵は絵が上手な万里さ
んが分担して呉れることになった。

★新会員と今回のテ―マ
 ところでこのα34号は、国木光さんという新会員が加入された記念すべき冊子である。
つまりαにとっては、また一つ新風が吹き込む記念すべき号数となる。
この「新風」と、34数(すう)との関係が密接な赤松さんの以前の担当テ―マ「颯」の、
「風が吹く」「風の音」という意味に因んで、今回のテ―マを「息吹(いぶき)」とした。
そもそも、国木光さんの名前の「国+光」には「風」という意味があるのだ。
と言うのも、周易の第二十卦(か)風地観の第四爻(こう)には「国の光を見る。もって王に
賓たるによろし」と有る。この風地観という卦は地上を吹く風で有り、その第四爻(こう)
は主宰者に歓迎されると言う意味である。
 テ―マ決定のあとで気がついたことだが、国を本字の國に戻すと國木光さんの姓名要素
である動格にも素数17が含まれているのだ。
 風と言えば、男女の風神を祀る奈良県龍田大社の女神の名は国御柱命(くにのみはしら
のみこと)と言うが、日本では柱は木で出来ている。ここにも国と柱つまり国と木の組み
合わせ、国木光さんの姓が登場する。
 テ―マ「息吹」と風との詳しい関係は、作品中に語ることにして
万理さんに依頼した「息吹」の表紙絵は、やはり風の精の「シルフ」を題材にして戴こう。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
34号の表紙絵                        万理久利

 依頼者提供の丁寧な資料でなんとかイメ―ジを膨らませることができました。
浮かんだら速い。
 「Sylph(シルフ)」と「鳳凰(ほうおう)」、二つも描いてしまう勢いです。
東西対決の様相も帯びてきます。
結果表紙の画像は、ゆっくりと舞い上がる東の大関「鳳凰」となりました。
光の粒、光子をまき散らしながら何かが静かに始まる、創造、再生が始まるのでしょうか。
この鳳凰の姿自体が、生命を包み込む大いなる「やすらぎ」「息吹」そのものになればと
考えたのですが、なかなか思いどおりにはいきません。
光の衣装のつけ過ぎでちょっと重そうにも見えます。
光子には“質量”は無いらしので、どうか気になさらないよう。
期待に添えず申し訳ありませんでした。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
画像二枚のお礼                     今回のテ―マ担当者

いえいえ「Sylph(シルフ)」と「鳳凰(ほうおう)」の2枚とも依頼者の期待通りの出来映
えでした。

・「鳳凰(ほうおう)」
誕生したばかりの蒼い宇宙空間のなかを、光の中心を眺めながら、ゆったりと上昇して行
く鳳凰の姿は、新しい宇宙の中で、進化・発展していく全ての生物の無意識を象徴してい
るようで、無限回廊シリ―ズを含むαの表紙絵にピッタリでした。
なお、この表紙絵の題字の息吹の影文字とルビは、古賀和彦さんに付けていただきました。

・「Sylph(シルフ)」
シルフは、どこにでも飛んでいく風の精です。風はHOROSCOPE中では好奇心を表わし
ますが、万理さんの絵でも、その眼は対象をしっかり見つめている姿に描かれています。
その扮装はもちろんピエロの姿。
とうぜん、この絵も[肥と筑]中の息吹の話題の挿絵として拝借しました。 役得ですね。




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著者前書き集/讃集

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 3月21日(金)03時51分31秒
編集済
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            著者前書き集/讃集
                 2007/11号-2010/22号



       氏が同人αに加入したのは2007年のことだった。今でこそ写真と著者
       コメントは電子作品集に保存されるようになったが、当初は意識的かどう
       かは別にしても、本人の手元からも同人αの資料館にも残されていないも
       のがほとんどだ。
       旧制度時代の貴重な写真とコメントを探しだしここに掲載した。
       どれも画面の中で生き生きと息づいている。





『肥と筑 第一回』 11号

          

前書き      2007/6/28

写真は、昨年7月長男招待の箱根旅行時、小田急ロマンスカー中のできず、ヒジョウに
残念です。
◆同居人から見た人物評(長岡曉生評)
・研究所退職後にびっくりした事。
それまで「お茶」、「ご飯」とだけ言っていた人でしたが、同居人がテレビを見ていると、
すっとお茶が出てくる事が度々あり、また食器を洗ったり(食器洗い機ですが)する事も
良くあります。これを書いている今も、お茶を入れてくれました。
(長岡注:別にワイロではありません)
・町内会長就任で変わった事。
この三月までの2年間、町内会長を任されたため、周りの人とのお付き合いが、人並みに
出来るようになりました。結構なことです。
・人格崩壊???
対人関係に変化が大きすぎたせいか、一種の人格崩壊が進行中です。
例えば、町内会の女性役員が見えると、玄関にわざわざ用意した黒い サングラスをかけ
て、「美人過ぎる女性を裸眼のまま眺めて、眼がつぶれたら怖いから」等とやっていまし
た。相手の方は笑い転げていました。
町内会の親睦会で、女性役員の旦那さんが、若い女の子と一緒にカラオケの係をしている
のを見て、当の女性役員に「ホラホラ大変。化粧を直して早く取り戻しに行かなくちゃ。」
等々やっています。冗談が好きな人です。おかげで、子育てが終わった余生を、楽しく過
ごしています。
(長岡注:私の遺伝中、父方はまじめ一方の、母方は諧謔好きの傾向が、有るようです。
ですから人格崩壊ではなく、現在、たまたま母方の血が騒ぐ時期に当たっているのです。
なお、同居人は、両親双方ともカカア天下上州の血を伝えています。)
・佐高卒業生の掲示板の効用
近頃は、佐高卒業生(11期、13期)の掲示板にのめり込んでいて私に対する要求が少
なくなり、おかげさまで私の読書時間を増やす事ができました。佐高卒業生の皆さん、あ
りがとうございます。




『肥と筑 第二回』 12号

          

前書き   2007/9/15

【同居人から】
 3連休最後の9月24日(月)、二人で映画「HERO」を見に行きました。前日はこ
の前編に当たる部分をTVで見ていたと言う偶然が有りました。
 この所「千と千尋の神隠し」以来、映画を見に行くことが無かっただけに、大画面とサ
ラウンドの音響効果がなかなか新鮮でした。おまけに、我が家の年齢では料金が1000
円だとのこと。これから二人で映画に嵌りそうな予感がします。最近は、年相応に温泉特
に白濁温泉を選んで行くようになり、次の行き先を調べる事も楽しんでいましたが、これ
に映画というもっと手軽な楽しみ方が加わり、退職後の日々を過ごせそうです。

【本人から】
以前「千と千尋」を見たつくば市の映画館が閉館となっていたので、地元のJUSCO
併設の映画館に行きました。3連休最後の夕方とは言え、観客は我々夫婦の他、何と6人
の一家族だけでした。あれでは、人件費を払うのがやっとではないかと先行きが心配です。

写真は、昨年10月那須塩原温泉旅行時、日光へ抜ける日塩紅葉ラインで撮ったもので
す。





『肥と筑 第三回』 13号

          

前書き 2007/11/30

 我が家の直ぐそばで、筑波山の東方7km程の所に茨城県立の花の公園、「フラワーパーク」が有ります。
これは、その小山の頂上にある万葉歌碑のそばで撮った写真です。
歌碑の歌は、万葉集の巻二十防人歌(第4369番)大舎人部千文作

   [筑波嶺の 小百合(さゆる)の花の 夜床(ゆどこ)にも
           愛(かな)しけ妹(いも)ぞ 昼も愛(かな)しけ]

と言うものです。ここで言う妹(いも)とは妻のことで、東国から九州に派遣された防人
が、故郷の妻を恋しく思って詠んだ歌です。
  さゆり→さゆる
  よどこ→ゆどこ
  かなしき→かなしけ
と変化しているのは、東国訛りですがよどこ→ゆどこ中の、オ列→ウ列の変化は、額田王
の歌にも見られまた、現代の沖縄弁にも見られるのは、興味深い現象です。

画面には映っていませんが、筑波山は向かって左側に有ります。





『肥と筑」 第四回』 14号

          

前書き   2008/4/12

長岡さんから次の様な説明がおくられて来ました。

「撮影場所は、私の住む石岡市内の小山に作られた
 茨城県営のフラワーパークという花の公園です。
 筑波山の東方7kmほどの所にあります。

 ここは、県花[バラ]の豊富な種類で有名ですが
 その他にも各種の草木の花が植えられており
 真冬以外は、何らかの花を鑑賞できます。

 温室も備えています。」

          ご本人についてのコメントは私が勝手につけましょう。
          温厚でよく気配りをして下さり、製本作業で彼の差し入れの食べ物
          (この前は大好きな胡桃の入った牛皮)の残った分をいつも持ち帰
          って楽しんでいます。私は甘いものには全く甘いので、すぐなつき
          ます。

          ご本人の説明では、短気でけんかっ早いという話だけど、一体どこ
          でそんな場面が見られるのかしら。決然と言い切る所にその片鱗が
          見られる様な気もするけど、間違えてると思
          ったらあっけらかんと前言を撤回したり、その素直さも見事です。
          これは余程自信がないと出来ないことでしょう。

          30年近く写経に精を出し、占星術の本を書き、太陽何たらの研究
          をし、テニスで奥様をくどき、史記と万葉集を精読し、、、いやい
          や、まだまだ知られざる彼の秘密が数多くありそう。
          謎の人物第?号かな。







『肥と筑 第五回』 15号

          

前書き      2008/5/31

 例の如く、我が家のそばに有るフラワーパークでの写真です。
小山の中腹の林の中に咲いた青と白の紫陽花の間に立って、ボロが出ないように遠景で取
りました。
 所で、今回の14号題目の「愛」にかけて、紫陽花の花言葉を調べて見ると、アララ何
と、[移り気・浮気・変節]というものでした。
紫陽花は、花の色が移り変わるので、そう見られてしまうのですね。
でも[元気な女性]という意味も有るから、良しとしましょう。


長岡曉生さん讃

長岡さんはまさに知の巨人と言うべき人で、私達が旧約聖書やギリシャ文化について少
々の蘊蓄をたれても、我々の知らないそれ以上の詳しい知識を頭の引き出しから惜しげも
なく出して見せてくれる。だからそういう話題の嫌いな人にとっては死ぬほど退屈な時間
だと思うだろうが、野次馬的好奇心に溢れる私達にとってはまたとない美味い酒の肴とな
り、時間も忘れるほど興にいるのである。

長岡さんと会った始めのころ、彼がホロスコープの権威で本も出していることを聞いて
不思議な感じがした。どうしてあの優秀な理系の頭の人が、手相や人相などといったいか
がわしい占いの世界を極めているのか判らなかった。そのうちはたと思いついた。それは
ホロスコープというものが時々の太陽を廻る惑星の位置を計算する、所謂天文学なのだ。
 どんな時代のどんな場所でも星々の位を正確に確定できるのである。たぶん最初に彼は
計算の精密さや理論の精巧さの魅力に取り憑かれたに違いない。そうこうするうちに、こ
の世の現象の基本的な部分が全てにおいて科学的証明できる訳でもないことに気づいたの
だと思う。すなわち神の存在を信じるか信じないか、無機質の固まりからどうして生命が
発生するのか(これはどうしても私にとって、将来とも己の感覚では理解出来ないことだ
が)、そのような次元の飛躍がなされ、星々に意味を持たせその配列で人生の生き様を見
るという価値の大転換に魅了されたと勝手に思っている。それはいまや理の世界と同様に
重要な要素である、茂木健一郎が唱えるクオリア(情や感覚)の世界が注目を浴びているよ
うに・・・。
私は時々創作を評す時、長岡さんという知の巨人に対抗するために、諧謔や斜に構えて
見る違った見え方、次元をずらした考えなどの禁じ手を使いながら、搦め手から攻めるの
が精一杯なのである。
赤松次郎





『肥と筑 第六回』 16号

          


前書き 2008/9/15
銀山温泉にて
 今年8月に、我が家夫婦と団地の知人夫婦とで、山形県の銀山温泉に行きました。
モデルとなったとも言う温泉で、四階建ての木造旅館が、川の両側に並んでいます。
写真は、その内の一つを背景に撮ったものです。(この旅館は三階建てだったかも。)

  【山の神からの作者評】
    この頃は、時間を作っては秘湯の温泉巡りをしています。
   この年になると温泉が一番です。主人も私につき合って呉れています。
   とても優しい人です。(長岡注:よそゆきの褒め言葉なので、信用しないで下さい。)
   二人で山を歩いている時は、私が登るのが遅いため、時間が経つとだんだんと離れ
   ていきます。主人は途中で待っていて呉れて、とても優しいのですが、追いつくと
   すぐに歩き出すので、暫くするとまた離れてしまいます。
   結局、私は休み無く歩き続けるのです。

(長岡注:やっぱり、本音は褒めているんじゃ無くって、文句言ってるんだよね。)





『肥と筑 第七回』 17号

          

前書き        2008/11/25

最近の長岡像
えーと、私も吟遊視人さんと浪速びとさんに倣って、写真を登録することにしました。
吟遊視人さんに倣った所:この中で本物の私は一人だけで、他はみんな影武者です。
浪速びとさんに倣った所:ごく最近の写真です。

と言う冗談はやめて、少し真面目に説明します。
この写真は、数年前(???)に中学校の関東同窓会を東京で開いた時の写真です。
いやー、数年前(まだ言ってる)は、私の頭部も毛髪と仲が良かった見たいで何だか黒々
・ふさふさとしてますねえ。

さて、合評の前にお断りしておきますが、私の作もだんだん元気がなくなって誘眠効果が
薄れてきています。ご免なさい。
誘眠効果で思い出したけど、馬込の先生(←赤松さんが名付け親)
毎回合評のあとは、化膿止めと鎮痛剤を下さい。お願いします。





『肥と筑  第八回』 18号

          

前書き   2009/3/1

 写真は、3月7日(土)朝から、家族全員で伊豆の伊東温泉一泊旅行に行った二日目に
撮った、一碧湖のレストランにおける長岡夫婦です。
晴れていれば、窓の正面に富士山が見える筈ですが、当日は曇っていて眺められなかった
のが、少々心残りです。
 この伊豆旅行は、私ではなく女房殿の一存で決まったものですが、JR車中に有った観
光情報紙で、思いがけず海人族と信州の安曇族に関する情報に出会うという、非常に不思
議な縁が有りました。
 富士と言えば、伊豆半島の西方、富士川を遡ると清水さんの故郷の山梨県巨摩郡高根町
(現北杜市)が有りますし、そのすぐ上流の右手に野辺山の太陽・宇宙電波観測所があり
ます。
この観測所を立ち上げた責任者は、海部宣男と言う私の教養学部時代の同級生ですが、彼
の苗字海部(かいふ)は、海人族に由来しています。
 富士の周辺、特に赤松さんの別荘地の河口湖町やその近くの富士吉田周辺は、昔から徐
福伝説や海人族秦氏の居住伝説で良く知られています。
と言うわけで、今回の旅行は、海人族との縁を強く感じた旅でした。





『肥と筑 第九回』 19号

          

前書き    2009/6/5

 6月20日つかの間の梅雨の晴れ間を利用し、夫婦で奥会津の高清水公園の姫小百合を
見に行きました。
 案内の人によると、前日まで降った雨と当日の晴れ間の効果で、当日と翌日が最高状態
だと言う事でした。 実際は、その翌日は雨になったので、我々が見た日が一番良い状態
だったようです。

 狭い木道内の近接写真なので人物が大きく成りすぎ、ちょっと不気味ですね。
申し訳ない。





『肥と筑 第十回』 20号

          

前書き  2009/9/9

 秋の連休の第二日に近くのフラワーパークで撮った写真です。
秋の花で並んで撮れる花は、意外と少ないのですが コスモスは、私の好きな花です。
本当は、赤・白・ 桃と三色揃うと、とても綺麗なんですが この場所では、白が見つかり
ませんでした。





『肥と筑  第十一回』 21号



前書き   2010/1/20

 1月17日初場所の中日、カミさんと長男と三男と連れだって国技館へ行きました。
写真は力士の幟を背景に撮ったものです。館内で驚いたのは、欧州系の観客の多いことで
す。まあ、幕内には、ブルガリア・エストニア・グルジア・ロシアからの力士が並んでい
るから、当然かも知れません。そう言えば、上記4カ国にはEC諸国が含まれていません
ね。ハングリ精神の持ち主でないと相撲は向かないんでしょうね。私の地元茨城県の水戸
出身の稀勢の里は、白鳳と大相撲を演じましたが、僅かに及びませんでした。でも、きっ
と強くなるぞ。

 日本人で最後に残った高位力士、魁皇の勝った取り組みでの声援は凄いものでした。
みんな、頑張れ。





『肥と筑  第十二回』 22号



前書き    2010/3/6

 1月30日、上野の東京都美術館に、三男景義の卒業制作展を見に行きました。
(同人α第13号[楽]の表紙絵を描いた息子です。)
写真中央が卒業制作の絵、右側が息子、左側が私です。
外に比べ、館内が滅法暑く、襟も着崩れてしまいました。

 写真では上が切れていますが、絵の高さは2.2mあるそうです。
一見、空中の岩のようですが、底部は地面と細い階段でつながって いました。
実は、息子の顔だそうで、近寄るとえらく細かい描写が あります。

 上空へと飛び出していれば、今回のテーマ[空を飛んでみたい]とピッタリつながった
のに、惜しかったなあ。

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