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誰にも話していないこと。私を叱った母さえ忘れているであろう苦い想い出を、今回は語ってみよう。
あれは…小学校に入る前のことだった。近所に『お蕎麦屋さんの公園』と呼ばれている公園があった。お蕎麦屋さんといっても正しくは中華屋なのであるか、子供にとって麺はすべて蕎麦屋なのであった。
狭いその公園にはブランコ、滑り台、鉄棒、砂場がひしめきあっていた。ブランコを思いっきりこいで、その前にある柳の葉をむしったり、鉄棒にカーディガンを巻いて、膝をかけてぐるぐると回ったりして遊ぶのが私の定番だった。
その日、公園に一枚の板が落ちていた。この板が私の人生で、はじめての敗北感を味わうこととなった。実際には敗北を自ら味わう方向に仕向けざるおえなかったこの性格に起因するものであろうから、自分でわざわざ負けたんだ。
『これさ、滑り台の上に置いて屋根にしようよ』と意地悪なくせに泣き虫なミエコが言った。『そうしよう!そうしよう!』とミエコに意地悪されることが恐い家来たちがくちを合わせた。私もそのなかのひとり。
屋根付き滑り台を滑る順番はジャンケンできめた。一番じゃなきゃいやだ。とミエコが泣かなかったのは、ミエコの臆病さだ。家来の実験が終ってからすべろうしてた。
簡易屋根を落とさないように気を付けながら家来達は順番に滑った。みんな巧く滑った。私が滑って全ての家来の実験が終了し、最後にミエコの番がきた。背の高いミエコは座高も高く、滑りかけた瞬間、屋根にミエコは頭部をぶつけ、横になっていたミエコの顔面に落下した。
滑ってきたミエコの顔は血ダラケだった。どうも鼻血をだしたらしい。ミエコが服の袖で鼻下を拭いたとき、蜂の子を散らす様に家来たちは一目散に逃げた。なぜか、家と逆方向に逃げていく家来もいた。
最後に私も逃げた。心臓が爆発しそうなほど、恐かった。家に逃げ帰り、押し入れの奥のほうに息を潜めて隠れた。
ミエコのし返し、板で遊んだこと、友達が怪我をしたこと、親にしかられること。そして逃げたこと…。それら全部から逃げるために、窒息しそうなほど長い長い時間、押入れに隠れていた。
心配はあたった。案の定、ミエコは私が板を降り回してぶつけたとミエコは母の帰宅を待って直訴に来た。母に押入れから手がちぎれそうなほどの強さで引きずりだされた。
言い訳をする間もなく私と母で謝りにいった。怪我した友達を置いて逃げたことを棚にあげた私は、ミエコは自分で滑るのを失敗しただけなのに…と悔しまみれの謝罪だった。
逃げた家来たちも私がぶったわけでないということを既に証明してくれていたのに、母は私を謝らせた。母もペコペコ謝っていた。
中学校教師であるミエコの母はミエコより意地悪な顔して、私の母に『だいたい、お宅は子供の躾がなっていないのよ!夫婦喧嘩ばかりしてるから子供に悪い影響を与えているんじゃないの!?』
と言いつつ、傾いた古いアパートの扉は音を立てて閉った。
母の切なそうな顔と私の悔しさがリンクして、私は泣きたくなった。でも私は泣かなかった。私がミエコの嘘に負けたのではなく、あの時、母が何も言い返さなかったことが悔しかった。ミエコのアパートを後にしながら「世間はこういうふうにできているんだよ」と母は静かに言った。
ミエコとは遊ばないと決意しながらも、ミエコのつねくりや嘘や意地悪が恐い家来達は、ミエコ一家が子供の足ではいけない町に家を建てて越す日まで、ミエコの機嫌をとりながら遊び続けた。
越したミエコは転校先でもアイカワラズ意地悪だった。
嫌々文通をしたいた私の元に、クラスメイトに『仕返し決闘』と名付けて、筆跡をごまかすために私に手紙を模写しろ。と言って来たが『嫌だよ!』とひとことだけ手紙をだした。命令を聞かない私をなじる目的で、何度も電話がかかってきたけど、私は無視しつづけた。ミエコの家来を本気でやめたとき、私もう中学生2年生になっていた。
お題は、公園の思い出ので!お題は【出来心】または【電話の思い出】
http://oak.zero.ad.jp/nachiya/
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